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75歳は医療の曲がり角 後期高齢者医療制度

なぜこんな制度が始まるの?

 前項の末尾で立てた問いに答えを出す前に、もう一つ考えてみてください。
 病院とは、人が死なないよう「治す」ことをめざす場なのでしょうか、それとも「安らかに」死ねるよう支える場なのでしょうか。
 建前で言えば、両方とも大切。患者さんの状態や希望に応じて使い分けられることになっています。でも実際は「治す」に偏っています。病院が「治す」に力点を置いた組織や収益構造になっているからです。そして、亡くなる方にもギリギリまで「治す」医療が行われる結果、亡くなる直前3カ月にかかる医療費は、非常に高額になります。
 何となく話の流れが読めてきたのではないでしょうか。
 日本は空前の高齢社会を迎えました。人間、年を取るとどうしても病気になりやすくなり、医療費もかかるようになります。そして高齢者の多くが引退しています。
 これまで医療費は、働いている現役世代がほとんど負担してきました。しかし今や、現役世代にこれ以上の負担を求めると社会から活力が失われかねない情勢です。
 前回の薬価特集の際にも触れたように、医療を社会の負担と見るか産業と見るかによって全然見え方が異なり、産業と捉えた場合には必ずしも医療費抑制の必要はないのですが、今回はその議論は置いておいて、医療費抑制が必要であるという政府の見解に沿って話を進めます。
 さて、このままでは医療費が賄えなくなるという前提に立つと、医療費を減らすか、負担する人を増やすかの選択になります。そして、実際に医療を頻繁に使う高齢者たちに費用負担してもらうと、無駄な医療も抑制されて一石二鳥でないかという仮説が出てきます。
 この仮説が成り立つなら、「高齢者にふさわしい医療」と「医療費抑制」は、たしかに両立することになります。
 そして、何が「高齢者にふさわしい」のかを現在、社会保障審議会や中医協で議論しているわけです。厚生労働省が示した方向性(前項表)を改めてご覧いただくと、政府が「安らかに」重視へ舵を切ろうとしていることは、明確でないでしょうか。
 たしかに、「治す」をめざす医療行為には、苦痛を伴います。人は必ず死にますので、その時期が近づいた方に、苦痛にしかならない「治す」を延々と行うのは、患者も喜ばないし医療費の無駄遣いでないか、という問題意識があります。
 この問題意識自体は、皆さんも間違っているとは思わないでしょう。本人がよく考え家族とも相談して、「治す」と「安らかに」のどちらを選ぶか決めることができ、いつでも方針変更できるなら、患者にとってありがたい制度になる可能性はあります。
 ただし心配なのは、これほど大掛かりな制度変更なのに、対象となる後期高齢者も含めて、詳しいことをほとんどの方がご存じなかったと思われることです。法改正時に丁寧な説明がなかった以上、導入後もきちんと運用される保証はありません。患者や国民にとってありがたい制度となるよう、目を光らせて監視する必要があります。
 後期高齢者であるというだけで自動的に「安らかに」へ回されたら大変です。また、そもそも「安らかに」を担保するだけの人員や施設が準備されているのか、という問題もあります。受け入れ先もないのに在宅へ回されたら、それは現代の姥捨て山です。
 最後に一点。これほどの制度改正が、いつ決まったのか、議論になっていた記憶はないのだが、と疑問に思っている方はいないでしょうか。実は郵政解散選挙の後、自民党が圧倒的多数となった06年の通常国会で、退任直前の小泉内閣が医療制度改革関連法案として成立させていたものなのです。小泉さんは人気絶頂の時点で総理を辞めました。後から、いろいろと置き土産が出てくるものですね。

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