JMM読者投稿:「医療格差」の解決に必要な考え方とは?

投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2007年06月29日 18:45

====質問:村上龍============================================================

Q:816
 参院選の各党のマニュフェストには、「医療格差」への取り組みが盛り込まれるようです。医師・看護師の不足、公立病院の閉鎖など医療における地域格差の解決には、どのような考え方が必要なのでしょうか。

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■ 読者投稿編:「医療格差」の解決に必要な考え方とは?

 ■ 読者投稿:中村利仁


 自分は北海道の旧産炭地で育ち、外科医になってからの10年間、地方を行き来して過ごしました。世界的な外科医になろうなどという野望があるわけでもなく、ほどほどに腕を磨きながらの生活は、親の死に目に会えない程度には忙しかったものの、周囲や患者さんにも恵まれ、やり甲斐のあるものでした。言われるほど都会生活に執着する気持ちもありません。医者はどこに住んでどんな遊びをするかではなく、自分が必要とされるところで思うように腕を振るえることが最も大切なのではないかと思います。

 ところで、ビスマルクが疾病金庫を設置した昔から、医療サービスは、経済合理性を追求する限り、過少供給に陥りがちであるということがよく知られています。

 正確に言えば、中長期的にかつ外部性を考慮した経済性を追求しない限り、医療サービスを供給しようという努力は合理的には見えないのです。

 近年の予算折衝の過程では、一般会計の四分の一を占める社会保障関連予算の圧縮を求める財務省に対して、厚生労働省もそれなりの抵抗をしますが、最後は官邸の決断で医療費削減が決定されるというのが年中行事になっています。

 ただし、国家が医療に関与する大義名分としては、過少供給に陥りがちな医療サービスを充分な水準に引き上げ、保つというところにあったはずです。供給を制限し、ニーズを削り取ろうと努力することは、神の見えざる手の仕事であって、国家のそれではないように思います。

 他方、日本や日本人は、製造業については世界に冠たる地位についた経験を持ちますが、サービス業の何たるかについては、あまりよくわかっていません。サービス業の経済とは、いわば、落語「花見酒」の経済です。幾許かの酒と銭がやりとりされますが、繰り返される杯のあとには一見したところ何も残らないというこの咄が、サービス業の本質であると言っていいかも知れません。

 医療サービスも例外ではなく、散々な大騒ぎの末、あとに残るのはほんのちょっとした苦しみからの解放、ほんの少しの歳月というのが精々です。裏目に出ることも珍しくありません。生老病死は人生そのものです。所詮は空です。医療サービスにできることはほんのわずかなことに過ぎません。しかし、そこには人という多大な資源が投下されています。その人をどのように活かすのが効率的なのか、実はよく分かっていないという事実から考える必要があるでしょう。

 地域格差と言いますが、医療崩壊は都市部の人口密集地の方が重大な局面を迎えています。特に分娩医療の供給過少は深刻で、関西では、深夜の分娩中に急変した妊婦が都市部の18箇所の病院で対応不可能とされ、結局は出産後亡くなるという悲惨な事件も起きています。関東のとある県庁所在地では、ひとつの「区」から分娩できる病院が一掃されました。

 医療の地域格差では、都会と地方という単純な対立関係は成立していない、通常の効率性を柱にした経済原則が一見通用していないということを示す好例です。

 そういう奥深さを意識して、よく失敗を観察し、考えながら対応していく必要があるように思います。

 北海道大学大学院医学研究科医療システム学分野 助手:中村利仁

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(本稿はJMM [Japan Mail Media]  No.433 Extra-Edition 2007年6月26日【発行】  有限会社 村上龍事務所 【編集】  村上龍 【WEB】   に掲載された投稿を、編集部の許可を得て転載したものです。)

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