医療事故調をめぐる第三次試案について |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年04月07日 10:28 |
長らく更新をサボっていてすみませんでした。
こんなことを考えていました。
『ロハス・メディカル』は患者と医療者の懸け橋をめざしています。
今回の医療事故調の議論を巡って
一部の患者被害者の方々と一部の医療者の方々との感情対立が
抜き差しならないところへ入りつつあるのを知り、途方にくれています。
私は、どちらも善意に基づいて行動していることを知っています。
しかし双方、正しさを主張すればするほどズレが大きくなります。
厚労省から第三次試案が出されたことで決着の時が近づいているようです。
しかしながら
このままだと、どのように決着したとしても必ず恨みが残るでしょう。
それで良いのでしょうか。
少々乱暴ですが両者の最も中核となる主張を端的に表現すると
患者さん側は
「事故があった時に隠すな、嘘をつくな、誠実に対応してほしい」。
医療者側は
「医療者が安心してベストを尽くせるようにしてほしい」です。
真っ向から正反対の主張をしているのでないことが分かります。
むしろ、正直者がバカを見ないようにすれば、両方満たされます。
正直者がバカを見ないと確信できる仕組みなら
こんなに話がややこしくなるはずはないのです。
問題は
正直者がバカを見ない世の中などというものが存在したことがあるか。
それを国の制度として担保できた例があったか、ということ。
事例をご存じの方がいらしたら、ぜひ教えてください。
厚生労働省にも教えてあげればいいと思います。
それで一件落着です。
今回、ここまで話がこじれてしまったのは
正直者がバカを見ないとお互い確信を持てないまま
組織を作るという話だけが進んだからだと思います。
話は変わります。
患者も医療者も、ともに有限の生を生きる、神ならぬ身の人間です。
患者という種類の人間がいるのではなく
たまたま病を得た人間が患者になるのであり
医療者という種類の人間がいるのではなく
役割を引き受けた人間が医療者になるのです。
そして医療者の役割は
今の日本で単にお金を得る手段として考えたなら
とてつもなくシンドくて割に合わないと思います。
(正直、やってみろと言われたら、間違いなくお断わりします)
でも、自分の意思で人様のお役に立つという「自らの真善美」の充足感が
何物にも代えがたいから
大勢の医療者がなお現場で踏みとどまっているのだと思います。
邪心まみれの人が皆無ではないでしょうけれど
日本の中で見れば奇跡的に正直者が多い業界だと思います。
新聞記者として世の中を斜に見る癖のついていた自分が
「いい人」の多さに感動してロハス・メディカルを作っているくらいです。
ですから患者さんたちにお願いしたいのは
どうか医療者の中の正直者、まじめにやっている人を信じていただき
彼らがバカを見ないようにしていただきたいということ。
今回、皆さんと感情対立を起こしている方々と
よく話し合っていただけないでしょうか。
そして、医療者に申し上げたいのは
「自分は正直です」という人はあまり信用ならないのですが
少なくとも疑いをかけられていることに対して
頭ごなしに否定することなく誠実に説明してほしいし
何より、患者さんを誹謗中傷したり
言い負かして悦にいったりしないでほしい、こう切に願います。
そういうことをすればするほど感情対立が大きくなります。
恨みを残したままになるのか
解消して新しい医療の形をつくれるか
ピンチでありチャンスでもあると思います。
コメント
ご心労お察しします。
そういう意味でも、厚労省試案は医療者と患者の間に無用の軋轢を生み出し、拡大し、煽り立て、断絶させていると思います。
それは第3次試案でも全く変わっていません。
あるいは意図的なものかも知れません。
特にインセンティブ分析があまりにも稚拙で、ほとんど為された形跡すらありません。
制度設計の基本であり、根幹であるはずなのですが…。
どこか陰に隠れて笑っている者がいそうで、非常に不愉快です。
医療専門職全員、それ以外の国民全員の両者が完璧に納得できる制度はありえないと思います。
最大多数の最大幸福というのは経済学用語だと思いますが、妥協できる点を見出していくしかないでしょう。
国民全体の中で医療専門職は少数派ですが、国民に医療を提供できるのは彼らしかいません。
ごく正当な医療を展開している医療専門職が故意や悪意ではない診療関連死で刑事罰の対象になるかどうかが分かれ目です。
私が資料として掲示したように、少なくとも海外の先進国が故意や悪意でない診療関連死を刑事罰の対象とはしない制度で医療安全を図っている点は、見習ってほしいと思います。
なぜそのような制度にしているおか、厚生省の会議では海外の事例が議論にすら挙がってきていません。
医療安全には何が必要なのか、どうしたら医療専門職が安全な医療を提供できるのか、患者の医療事故を最小限に抑えることができるのか、その点が厚生省の議論には欠落しています。
診療関連死の全てが医療事故ではありません。
また、医療事故を刑事事件化したところで事故が減るわけでもありませんし、医療安全のシステムづくりにも役立ちません。
むしろ、第一線での医療職の離反を招くだけです。
医療過誤裁判で遺族が御旗のように出してくる言葉に
「真実が知りたい」というコメントがあります。
裁判ですべてが明らかになっても、思うとおりの判決が出なければ控訴に際して同じことを繰り返しています。日本人個々人が他人を信じられなくなっていて、何か隠しているんだろうという先入観でしかものをみなくなっている現状があります。
また「自分以外はバカ」と思っている人間がいかに多いか。ネットで問題となる誹謗中書もここに原因がある気がします。
そして、残念ながらそれらをあおったのはマスコミかもしれません。
昔は「帝国大学の教授が、こういえば皆納得したものだ。」と聞いたことがあります。
ところが、すべての権威をマスコミが破壊してしまったといっても過言ではありません。政治も官僚も医療も教育も大相撲もプロ野球もです。
例えば某首相の肩を持つわけではありませんが、就任当初から無能だの短命だのと批判をするのは正常なマスコミがやることではなく社会を壊しているのと同じだと思います。
何とも鬱陶しい世の中になったものですね。
>中村利仁先生
お言葉ありがとうございます。
厚生労働省に対して文句を言うことが
なぜか患者に文句を言っているかのように
受け取られてしまっているのが大問題だと思います。
話せば分かるはずなのですが。
>病院勤務内科医先生
まさにお説の通りと思います。
でも、おそらくその主張法では
今回前面に出てきている患者さんたちの心には届きません。
何とか共通言語を見つけたいと思います。
>一内科医先生
お嘆きの事象について
内田樹さんが連載(次号から始まります)の中で
かなり明快に説明してくださっています。
川口恭様
始めまして都内で小規模開業をしております一医師です。
いつもブログを拝見させていただいております。
今回の書き込みを読んで本当に感動しました。
きちんと機能する医療事故調を作ることはやはり必要なことと考えます。
システムエラーの防止、再発の防止、死因に疑問ある患者に対して医学的答えをだす(調査に対して感情的なものは一切入ってはいけません)機関というのは理念として共感できます。
もちろん今までの試案は上記目標を全く達成することができない代物で、話にならないのは言うまでもありません。
充分な議論の後、正しい意味での調査機関ができるのを心待ちにしております。
この正しい理念を無視して、天下り先の確保のために即急に設立をさせるなどは絶対に防がなければならないことと考えます。
>そして、医療者に申し上げたいのは「自分は正直です」という人はあまり信用ならないのですが少なくとも疑いをかけられていることに対して頭ごなしに否定することなく誠実に説明してほしいし何より、患者さんを誹謗中傷したり言い負かして悦にいったりしないでほしい、こう切に願います。
そういうことをすればするほど感情対立が大きくなります。
こんにちは。こちらの一段落特に共感です。現場を知るものとしてこの危機状況は分かりますが、それを患者さん、他の業界の人に説明するのにその態度はないだろう!と感じることが最近本当に多いと感じています。
医療業界以外の人にも伝わる言葉で話そうよ、敬意をもって接しようよ、強い中傷や非難の言葉は人を動かさないよ…と思うのですが…
などと書くと甘い、と一喝される状況が目に浮かびます。なので川口先生がこの一文を今書いて下さったこと、嬉しかったです。
川口様、お返事ありがとうございます。
患者団体の心に届かないということですが、わたしは、診療関連死と医療安全委員会の議論で、医療専門職と患者団体の溝は決して埋まらないと思います。
医療に対する考え方がお互いに共通する部分はあっても、最後のところで正反対を向いているからと思います。
おそらく今のままなら、どちらも譲らず、三次試案もだめ、四次試案もだめ、泥沼にはまって最終的には医療安全委員会の構想そのものが流れると睨んでいます。
今後も、対立したまま年月が流れるだけでしょう。
どうして、こうなってしまったのでしょうか?
医療専門職の立場で言えば、診療関連死の業務上過失致死化につきると思います。
医療専門職は絶対反対、なぜなら故意や悪意による死は業務上過失致死ではなく、明らかな殺人罪であり、正当な医療行為での診療関連死は過失ではない、と考えているからです。
患者団体も、故意や悪意による死は医療専門職と同じように考えるでしょうが、そうでない診療関連死は過失であり刑事罰相当、との立場を譲らないからです。
これが溝が埋まらない最大の原因だと思います。
もちろん、原因は他にもいくつかあると思いますが。
どちらも一歩も譲らない状況なのです。
両者の間にたって、意見を調整する機能も成り立っていません。
わたしは、医療安全委員会の議論がどう出ようが、医療専門職が、まず医療安全のシステムを海外の先進国から学び取って早急に実行に移すしかないと思います。
医療専門職自体が自分達の主張を通したければ、医療安全のシステムを早急に構築して一般国民に見せなければ駄目だと思います。
そういう医療専門職の姿を見ても、患者団体の気持ちは変わらないかもしれません。
むしろ、医療専門職の医療安全への積極的な取り組みを見れば、患者団体ではない、一般の国民が医療専門職の立場の理解してくださるのではないでしょうか?
法律や制度を支持するのは利害関係のある人だけではなく、利害関係のない一般国民です。
この際、どこまで行っても平行線の医療専門職と患者団体の溝を埋めることは諦めて、医療専門職が一般国民の理解を得られるように努力したほうが良いと思います。
これは、川口様のご判断で掲載していただくなくても結構です。
あまり、わたしばかりが長文のコメントを残すのは気が引けますので。ご迷惑になるかも知れないので。
ただ、ブログの内容は読んでいただけたら、と思います。
川口様、もうご覧になったかもしれませんが、WHOのpatient Safetyのガイドラインと厚生省の試案との大きな乖離について書いてあるブログがあります。
厚生省の試案のいい加減さとWHOのガイドラインとを比較した内容です。
田舎の小児科医先生の「ステトスコープ・チェロ・電鍵」の、
”医療事故報告制度、WHOガイドラインと厚生省案”がそれです。
http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-856.html
(参考資料)世界保健機関Draft guidelines for adverse event reporting and learning systems>
http://www.who.int/patientsafety/events/05/Reporting_Guidelines.pdf
上記のブログ「ステトスコープ・チェロ・電鍵」当該エントリの、わかり易い対比に納得しました。問題は国民に「なぜ懲罰がいけないのか」「なぜ結果が裁判に利用されてはならないのか」などをどうやって理解してもらうかですね。私の個人的意見ですが、「ミスしたものを罰する」という古い考えで成立した「業務上過失致死傷」という刑罰自体がリスクマネジメント学の発展によって過去の遺物になっていると思うのです。これは医療に限らず、自動車事故や業務災害でも同じです。時に理不尽な逮捕や書類送検をされる業過に対する批判と、ミスした本人を罰するよりシステムの改善こそ必要という議論なら、国民にわかりやすいのではないでしょうか。
川口様の御尽力に感謝いたします。これから書くことは、極論と考える方がいらっしゃると思いますので、不適切と思われるようでしたら、削除していただいて結構です。
医療事故調などの制度設計の目的を考えることが、到達点への道のりをスムーズにすると思います。
「医療の保全」これが唯一の目標と考えます。私たちの世代や子ども達の世代が、必要な医療を受けられないような寒々とした状況を回避することが、最優先されるべきです。
一部の過激な患者団体の主張を受け入れることは、医療供給を著しく悪化させることとなります。具体的には、リスクの高い処置に誰も手を出さず、救急、産科といった地雷だらけの診療科のなり手が消滅することとなるでしょう。
個人的な経験からは、病院勤務内科医先生のおっしゃる
>診療関連死と医療安全委員会の議論で、医療専門職と患者団体の溝は決して埋まらないと思います。
に首肯せざるを得ません。
「青い鳥」を追い求める一部の患者団体に折れてもらうしかないと考えています。
最期の砦の基幹病院の崩れ方をみると、最早、時間との勝負になっている感があります。緊急避難的にでも医療従事者を保護する対応を打ち出さないと、保全する医療自体が無くなってしまいます。再建は容易ではない筈です。