インターベンション学会報告(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年07月04日 18:00

まず自分の話した内容から。
他の人の分は、おいおい。


4年ほど前まで朝日新聞の記者をしておりました。独立して現在は、こんな雑誌を毎月発行しています。『ロハス・メディカル』をwebメディアと勘違いしている方が時折いらっしゃるのですが、webやブログは、あくまでも雑誌の宣伝のために片手間にやっていることで、紙が本業です。
紙が本業である証拠に、検討会を全回傍聴してブログやメルマガで報告してきましたが、その間ずっと前田座長からは「インターネットに書かれちゃう」としか言ってもらえませんでした。でも、雑誌本体にいわゆる医療事故調のことを載せた時には、検討会の最終回で「ロハス何とかに、とんでもないことが書いてある云々」と言及してもらえました。これでも分かるように、紙が本体で、webは影みたいなものなので、できましたら一度雑誌の現物を手に取ってご覧いただけると幸いです。本日も最新の7月号を若干持ってきております。もしご希望の方いらっしゃいましたら差し上げますので、後ほどお申し出ください。






さて、本日ここにお集まりの方にとっては釈迦に説法かとも思いますが、いわゆる医療事故調をつくるという話で、厚生労働省はしくじりました。
これほどの密度で検討会を開き、何回も試案を出し直して、それでも法成立のメドが立っていません。民主党からも対案が出てくることが決まっていて、参院で与党は少数派ですから、秋の臨時国会でも厚労省案が国会を通らないことは確定しています。
なぜ、こんなことになっちゃったかと言えば、一義的には厚労省が、司法という自分たちの権限が及ばない領域のことであるにも関わらず、必要な手順を尽くさず乱暴極まりない進行をしたからです。
ですが、1年間追いかけているうちに、厚労省だけが悪いんじゃないな、ここで厚労省の悪口を言っているだけだと、きっとまた同じような問題が起きるな、と思うようになりました。
今日はそのことについて、皆さんのお耳に痛いことも申し上げたいと思います。





そもそも、事故調をつくるという話は、最初に厚労省から出てきたわけではないと思います。
都立広尾病院事件で、医師法21条がそんなことになるなんて、と驚いた医療界が診療関連死の届出先を警察以外のところにしようということで厚労省を巻き込んでモデル事業を始めたんだけれど、その年度中に福島県立大野病院事件が発生してしまって、とにかく警察・検察の医療への介入を止めなきゃいけない、と。





いうことで、厚生労働省に「何とかしてくれ」と言ったんでしょう。当時の医療界の常識からすれば、当然の発想・行動かもしれません。でも、これは私のような外部の人間から見ると非常に横着だったように見えます。で、その横着さが、結局、厚労省の乱暴な進行も呼んだのでないか、と。いわば、今回の大混乱に関しては、医学会のリーダーたちと厚労省とが共犯なのでないかと思うわけです。先ほども言いましたように当時の発想では当たり前のことをしただけかもしれないとは思いますが、これだけ大混乱をきたしたにも関わらず、もし未だにその横着さに気づいていないとしたら、ちょっとお粗末すぎるのでないかと思います。





突然言われても、お前何を言っているんだと思いますよね。なので何が横着なのか簡単に説明します。医療用語に例えた場合に、今回医療界のリーダーたちがしたことは、診立ても悪いし、治療態度も悪いと表現できると思います。何といっても、第1回の検討会で樋口委員から、非常に本質的な問いかけがされているわけです。ところが最後まで、そこは曖昧なまま突っ走りました。検討会の中に学会の代表者も入っていたわけですから、診立てが悪いことに気づいて軌道修正することだってできたはずなんです。
それから治療態度の話はより深刻だと思います。大野病院事件がとんでもないと思うのなら、なぜ警察・検察と闘わなかったのか、広尾病院事件から、なぜ21条を何とかするという教訓が出てきてしまうのか。都病院局の隠ぺい体質を糾弾して医療者を守るべきだったのでないか。そもそも患者さんとちゃんと向き合ってきたのか。





面と向かって交渉するのが怖いから、面倒だから、ルールの方を変えたいって、そんな身勝手なことが通るわけがないんです。しかも、それを自分たちでやらずに厚労省にやらせようとした。それは横着すぎるだろうと思うわけです。





どうして、こんなにムシのよいことを要求して、それが通ると思ってしまうのだろうと正直不思議です。でも何年か医療者たちとお付き合いをしていく中で、ははぁこれだなと思うようになったことがあって、それは良い表現をすれば唯我独尊であり、悪い表現をすると社会に対して無関心すぎるということです。
4月12日の医療議連のシンポジウム。お医者さんが多数集まって大変盛り上がりました。でも、あの場にいたメディア関係者や一般患者は、非常に違和感を感じていました。中でも最たるものが、山形大の嘉山先生の言葉です。今や八面六臂の大活躍をされている、その嘉山先生が「医療がこんなになるまで医者は何をしていたと言われるかもしれないが、医者は医療をやっていたんだ」と胸を張ったわけです。医療者たちの本音を代弁しているんだと思います。
ちょっと待ってと思います。「医者は医療だけしていればいい」って誰が決めたんですか? たしかに早く一人前になるため脇目もふらずという時期は必要でしょうし、業界全体でも余計なことを考えずに済むに越したことはないと思います。思いますが、少なくとも社会はそんなことを要求してないはずです。おそらくインターン闘争とその後の処理で政治的な行動を慎むような力学が働いて、しばらくは事情をすべて分かったうえでの意図的な沈黙・無関心表明だったのが、そのうち本当の無関心に変わっちゃったのでないかと想像します。
念のために申し上げますと、医療は社会のサブシステムです。医療者だからといって、社会の構成員としての責務を免れるものではありません。
社会から、医療だけしていればよいと要求されない限り、自分たちで勝手にこれだけしていればよいと決めつけるのは図々しいです。少なくともサブシステムの当事者として、医療サブシステムが社会と調和して持続するよう行動する責務があります。その際に他のサブシステムと利害衝突が起こったならば、ちゃんと折衝しないといけません。そういう面倒なことを引き受けるためにこそ、リーダーというものは存在するはずです。それなのに今回は一体何をしたのか、ということです。その意味では、学会だけでなく、医師会の責任も当然問われると思います。





もちろん全部を自分たちでやらなきゃいかんということではありません。エージェントを使うのは結構です。病気だったらお医者さんに頼るのと同じことです。
でも、問題は医療界には、厚生労働省の官僚しかエージェントと呼べる存在がいないことです。そもそも官僚は公益のために動かなければいけないのですから、一業界のエージェントとして使ったら本来はいけないんです。しかも普段厚労省に大して協力もしてないクセに、都合のよい時だけ使おうとしても、思い通りに動いてくれるはずがありません。そういう横着をするから厚労省の側でも自らの利益を図って、いろいろ訳の分からないことになるのです。
今回の問題は、明らかに医療というサブシステムと司法というサブシステムとの間で衝突が起きているわけで、医療業界内だけでゴチャゴチャやっていても絶対に解決しません。医療以外のサブシステムは、みな必要な努力を積み上げて、その他のサブシステムと不断に折衝しているわけです。自分たちの要求を通したいと思ったら、他のサブシステムが努力しているのと同様に、ちゃんと実態をよく見極めて、必要な手間暇費用をかける必要があります。早くそのことに気づいていただきたいと思います。それをイヤがる限り、横着と呼ばざるを得ません。

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医者っていうのは、昔なら技術職、職人。 という事でも良かったのだと思います。 今でも、ものすごい手術が上手な外科医であれば、 そうい 続きを読む

コメント

すっきりです。
そのとおりだと思います。
医師は特権階級意識が抜けきれていないというか、おごりがあります。
医療関係者として、謙虚に反省したいと思います。
国民の皆様、ごめんなさい。

今回の指摘は、おなじ医療界で仕事をしている人間にとっても、もやもやを解消させていただいた重要なことだと思います。
上で藪医者様が特権階級意識とおっしゃっていますが、現在の医療界の上層部がそうであっても大多数の若い勤務医はどちらかというと奴隷根性(もしくは洗脳状態)に近いのではないかと思います。
自分なりに、この状態から抜け出す方法、要求を正しくだせる相手、方法をもう一度見極めたいと思います。

原因究明機関の第一目的は
何はなくとも再発予防であり
資格停止等の責任追及も
その手段の一部たりうる可能性は
あると思います
被害者救済は究明しなくてもできるでしょう

 川口様の口演の概要を自分なりに解釈しますと以下のようになります。
 昨今の医療界の状況を、事故調問題への医療界の対応の観察から、やや辛口に「医療界のリーダー達は横着をしている」と評しました。
「医師会や医学会などは、本来厚労省では対応不能な大きな問題を、厚労省を使って解決しようとする横着を行った。」と見抜いていました。
つまり、「本来、検察庁や法務省、最高裁、総務省などの複数の巨大組織を対象に、医師以外の多くの専門家の力を借りながらも、自ら折衝すべき事を、厚労省に肩代わりさせた。この甘えの姿勢が逆に厚労省に頭が上がらない現在の関係に繋がっている。」と。
川口さんのこの分析は当たっていると思いました。

切れのある口演内容で、医療者として反省を致しました。
( 「」内は、川口さんの言葉ではなく、私の勝手な理解です。)

川口さんは優しいなあ。

「医者は社会的に無能である。
無能者が悪い待遇になるのは、冷徹な現実だ。」

ってことですよね。

なるほど、そうなのか・・と思いますが、では誰が(どこが)医療界のリーダーなのか?と考えても、思いつきません。

医師免許保持者の全てを代表できる(本当は医療界全体を代表できる、だと良いんでしょうけど)組織が必要なんでしょうね。

すいません。医療以外のサブシステムは、他のサブシステムと不断に折衝している例示が思いつきません。よろしければ、お教えください。
医療者側もいろいろと行動はしていると思います。各種署名活動・白衣のデモ行進・国会議員への請願等、結果が出ていないのでダメということでしょうか。力の入れ場所が不適当なのかもしれません。
しかし、報道されることは少ないと思います。

事実上の刑事免責を得る手法など、この医療事故調査を通じて簡単に達成可能だと思うんですがね。
この事故調に提出された資料は、良心に基づいて提出されたものであり、これを刑事裁判の資料に用いるのは、公序良俗に反する行為であると、新法の前文にでも記しておけば済む事ではないでしょうか。
そして、提出された資料を刑事裁判に用いる事が違法であるならば、その資料をあえて持ち出せば違法捜査となり、違法捜査によって得られた資料は立証能力ゼロとなって刑事免責が事実上勝ち取れます。また、公序良俗に反する起訴を行う事は、起訴便宜主義下でも不可能でしょう。
こうした法的準備は、厚労省からの働きかけだけで十分達成可能なはずです。海難審判所の前例もありえるからです。

・社会の仕組みに対して決定的に無関心
・他のサブシステムにも、その行動には背景事情がある

上記2点はまさにその通りで、なるほどそういう見方もあるんだ、と勉強になりました。

どうしても医師目線でしか考えられなくなっているので、こういう指摘は非常にありがたいです。

>4年ほど前まで朝日新聞の記者をしておりました。

4年ほど前から朝日新聞がおかしくなってのは、川口さんがやめたから?

と冗談(半分、本気ですが)はやめにして、「良い表現をすれば唯我独尊であり、悪い表現をすると社会に対して無関心すぎる」という御指摘、まったくそのとおりです。

平均的な医者は、良い意味でも悪い意味でも世間ズレしていません。

社会が医者を見る目が厳しくなった昨今、若い医者は打たれ弱くなっているし、それなりに経験を経た医者は開き直っている傾向があります。

山形大の嘉山先生の言葉も、会場の雰囲気に思わず出てしまったのだと思いますが、ある程度の年齢以上の医者の本音だと思います。

何で医療だけさせてくれないんだ?医療って、たいへんな仕事なんだぞ?他の事まで考えているヒマなんてないぞ、と。

それでは市民社会を形成する一員としての自覚が足りない、そう言われても仕方がないでしょう。

専門家が専門領域に閉じこもって、社会に対する影響など気に掛けなくてよい時代は、とうの昔に過ぎ去っているのですから。

いずれにせよ、一般市民対医者、報道人対医者という対立の図式に陥りやすいのは医者の側も同じ、しかも過剰反応していると思います。

不毛な対立から一歩進むために、医者の側も努力しなければならない、という苦言として、重く受け止めます。

川口さんご苦労さまでした。
 平坦で分かり易く、印象深いお話で、やはり文章のプロの発表という感じでした。
『医療がこんなになるまで医者は何をしていたと言われるかもしれないが、医者は医療をやっていたんだ』と胸を張ったわけです。医療者たちの本音を代弁しているんだと思います。」まさにそうです。「あの場にいたメディア関係者や一般患者は、非常に違和感を感じていました。」というのは、

 小松先生の「医療崩壊」の「IV 立ち去り型サボタージュ」p158 「勤務医の考え方と医師不足・・・勤務医は、社会と多少距離をおいて、自尊心と良心を保ちつつ仕事をすることを望む。医療にささやかな誇りと生きがいを感じており、医師の仕事を金を得るための労働とは考えていない。ただし、先頭にたって社会を引っ張るような迫力や、強い使命感のようなものはない。他のものからの賞賛より、自らが価値があると思うことが重要だと考えている。・・・自尊心を捨てない限り、自らの利益を声高に主張するようにはならない。自らの待遇や職場の環境を改善するために勤務医は立ち上がらない。徒党を組まない。扱いが悪くなると病院から立ち去って、より小規模の病院へ行くか、開業する。」
というのに、一般の方が違和感を感じたのと同じだと思います。

偶然かもしれませんが、
私の発表の最後のスライドは、前回の医師連盟のものと入れ違えて、
「立ち去らない医師からの提言」
という題名にしました。
座長の住吉先生も最後の一言の前にこのことを紹介されていましたが、アインシュタインをはじめとした、物理学者が「科学者としての社会的責任」を果たそうと努力されていたように、医療者としての社会的責任を果たさなくてはならない時がきていると思います。

それが厚生労働省の役割じゃないでしょうか?
という厚労省に対する過大評価と
過剰な期待がいけなかったのでしょうね。

>良い表現をすれば唯我独尊であり、悪い表現をすると社会に対して無関心すぎるということです。

 なかなか耳の痛いお言葉ですが真実だと思います。

 実際、大学病院で過ごした時代は1日24時間、365日ほぼ医学と医療漬けで、病院、研究室、講義室の他は、宴会、学会で使うホテル・飲食店、コンビニ程度しか行くところもなく社会と関わることなどほとんどありませんでした。
 年をとって私立病院に職場を変わったことでプライベートな時間がある程度作れるようになって実際に「外の世界」を体験できるようになり、またインターネットの普及で情報を効率よく利用して社会に関わることができるようになったことでいろいろなことがわかるようになりました。

 医療では、営利を目的とすることを禁じられつつ経営効率が求められ、また保険診療報酬制度という現場の実情と乖離した公定価格システムが統一価値観になるため、医師は一般社会の自由競争とは著しく異なる偏った世界で長年過ごすようになります。このしくみの全体像が見渡せるようになると、いかに自分たちが特殊な環境におかれ、社会に対し無頓着であるのかを思い知るようになります。(逆にいうとその特殊な構造を一般の人に理解してもらうのはかなり大変でもあります)

 特殊な環境にあることが自動的に社会の決まり事から免責される権利になることはなく、もしその必要性がある場合は社会に対して認めてもらえる努力が必要なのは全くご指摘のとおりで、川口様は「横着」と優しい表現をされましたが、医師の社会に対する無知と甘えだと思います。

>医療以外のサブシステムは、みな必要な努力を積み上げて、その他のサブシステムと不断に折衝しているわけです。

経済学的には統制価格下で「均衡」したら、パレート最適ではなくなります(大幅に供給が減ります)。今起こっている現象は、正にそれでしょう。
「そういう面倒なことを引き受け」たら割に合わないから産科医も小児科医も減っている。医療界の指導層だって、割に合うなら民間企業のように外人経営者に置き換えてでも改革が行われるでしょうが、割に合わなければ立ち腐れるだけ。
「市民社会を形成する一員」として「面倒なことを引き受け」られる人材と言うのは、けしてボランティアで仕事はしません。銭の切れ目は縁の切れ目です。朝日新聞社だってそういう人材は、医者よりはるかに少ない専門的教育しか受けてないでしょうが、勤務医より高給を貰っているでしょう。

 医師が悪い意味でもいい意味でも世間ズレしていないのは事実だと思います。一番問題なのは,自分たちがスケ-プゴ-トだと思っていないことです。でも,そうだからこそいままでの「満点とは言いませんが総合的には優れていた」医療を続けてこられたのでしょう?
 もう出来るのは,「医療破壊」を医療従事者のせいにされないように努力するだけです。それですら至難の業に思えます。
 「医療破壊」を防くために動くことは「国策」に逆らうことではないんですか?。太平洋戦争中に「戦争反対」と叫ぶことと代わりがないんじゃないですか?「権力」に逆らうということがどれだけ危険を伴うことか考えてほしいです。

こちらに書き込みさせていただくのは初めてです。以下の文章はssd氏のブログに書き込んだ内容とほぼ一緒です。

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このエントリーをすべて読みましたが、頷ける部分と違和感を感じる部分が混在していました。この違和感は医師という特殊な状況で奢り高ぶっているからなのか?それとも川口氏をはじめとしたマスコミが悪いのか?それとも国民が悪いのか?

医師や医療従事者が世間ずれしてくれていたからこのような安価で良質な医療制度を保てていたのではないかと思います。世間を知らないがゆえにいい意味での唯我独尊状態になれて聖職者を演じることが出来たのです。しかし、世間を知ってしまえば、自分はなんてばかばかしいことをしているんだろう、って思ってしまうわけです。

現に、社会人を経験した後に医学部に入学してくる人たちが多く進む診療科は決して救急や産科・小児科・内科などの過酷な診療科でないことからも明らかです。

昨今の「医療崩壊」という現象は医療従事者(特に医師)がインターネットを介して自らの殻を飛び出して世間を見るようになったから発生しているのだと思います。自分たちは聖職者ではない、普通の人間なんだ、と自覚したのです。

世間は都合のいいときには聖職者を強要したり、世間と同じであるべきだと言ったりしていますが、いったいどちらをお望みなんでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーー

皆様、たくさんのコメントまことにありがとうございます。
様々なご意見をいただき
「なるほど、あの表現は拙かったな」
「ここはもっと議論できるといいな」ということが
たくさん出てきております。
まず他の先生方の発表を一通りご紹介した後
改めてエントリーを立てます。
しばし咀嚼の時間をいただけますと幸いです。

ストライキなんかしちゃうと、下手なテロよりインパクトがありますので、
そこまでやるのはちょっと・・・
と言う医者が多いと思いますが、
ちょっと良い子ちゃんすぎましたね。

私は医療崩壊系?ブログの熱心な読者です(勤務医です)が、今回川口さんのentryで今まで医師のブログに感じていた違和感を見事に表現してくださり感動に近い思いを覚えます。私はどんな職業でも社会の中で自分達の立ち位置を説明するを説明する義務があると思いますが、医師は歴史的にそれを免除されてきた(守られていた)時代が長かったと思います。今はそのツケが回って来ているだけでないかと思います。特に医療界で上に行けば行くほど自分達のことを社会に向かって説明しなければならないという意識が低いと感じます。スーパーローテ、マッチングが導入されたときも偉い先生方は「現場のことが何にもわかってない」「厚労省は馬鹿だ」等とぶつぶつ行っているだけで、正式に反対声明を出した者などおらず失望したことを思い出します。私の感じることとしてはブログもあるジャンルにおいて一つの流れができてしまうと、なぜかいくつかのテーマに関してはどのブログも論調が似てきて論理がパターン化する傾向があると思います(混合診療なども同様に「絶対反対」で思考停止してしまっているように感じます。なんか自民党に文句のあるやつは全員左翼、みたいな。ちょっと適切なたとえでないかもしれませんが)。今回川口さんが取り上げてくださった「医師自身の責任」は絶対に必要な視点だと思います。では長文で申し訳ありませんが失礼致します。舛添大臣関連の記事も楽しみにしております。

もうひとつ。

「他の業界と同じように様々な所に働きかけてこなかったあなたたちも悪い」、という内容のコメントがありましたが、私は必ずしもそうは思いません。

以前別の業界の方のブログで、「医療業界は『業務上過失致死は刑が重すぎるので何とかしてほしい』と働きかけている。わが業界はそんな働きかけをしていない。我々も医療業界を見習うべきだ」とのエントリーがありました。これは医療業界に限った話ではなさそうですし、特別医療業界の対応が遅いわけでもないのでは、と思います。

そもそも、以前より医療業界は政界に多大な力を持っていたのですから、政官に色々働きかけをしてこなかったはずはないと思います。今回も、いきなり法務省に働きかけるのはやはり筋違いのような気がします。まずは監督官庁の厚労省の幹部に相談して助言をもらうべきだと思います。その上で厚労省が、「医師会から法務省などに働きかけれてほしい」、と助言すればそうしたでしょう。

しかし、自分の監督業界がほかの省庁と法律に関して調整している姿は官僚の目にはどのように映ると思われますか?おそらく、「おれたちを差し置いて何かってな事をやっているんだ?」とご立腹されないでしょうか?

全く持って、その通りだと思います。
以前から私が考えていた事と、ちょっと共通点があったように思えたので。
記事を引用させて頂きましたよ。

「医者の横着」
http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-entry-338.html

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