ビジョン新検討会7(2)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年08月28日 16:42

昨日書いた問題は
どうやら持ち回りで文案を回した最後が大熊委員になってしまい
そうなったのは、大熊委員が文筆で生活している人なので
できるだけ穴のない状態で見せたいという思惑が働いてのことだったのだけれど
それに別の構図を感じ取った大熊委員が噛みついたということのようです。


「私だけ抜きの文章」というより
「私の意見が最後に回された文章」で
でも、そこに大熊委員が合意しなかったため
結果的に「私だけ抜きの文章」になってしまった、と。


その割には大熊委員のプレゼンは印象が強かったなあ、というのが正直な感想。
さすがメディア人と評価すべきか。
順を追ってご報告していく。


高久
「大臣から一言ご挨拶をいただこうと思うが少し遅れられるそうなので、来られたら一言いただきたい。では今日も多くの方から資料をご提出いただいている。時間がないので1人5分程度で説明をお願いしたい。まず海野委員から」


ここで海野委員が説明したのが、例の『提言』。なるほど、3回目、4回目の時も海野委員が過去の議論のまとめ資料を出していたっけと思いだす。
「私たちの考えるコンセンサス得られている部分についてまとめた。細かくは説明しないのでお読みいただきたい。これを出すのは、複雑で専門的な議論をしていたことと、時間が短く議論が十分でない部分もあったが、そういうことを踏まえても検討会の委員として提言としてまとめられるのでないかということ。今日は中間とりまとめをするが、今後も続けていただけるとのことなので、これに基づいてより充実したものにしていければ。なお、第5回の時に医師養成数を増やした時の推計がほしいという話が出たと思うので、それも付けた」
いずれ公表された時に全文お読みいただきたいのだが、この提言自体は非常に真っ当なものだ。大熊委員も中身に噛みついたわけではない。今回の経緯が気になる人も、一度は虚心に読んでいただきたいと思う。


舛添大臣登場。
「先週末も精力的にご議論いただいた。本日、中間とりまとめがコンセンサスを得た形でなされると聞いている。今後とも日本の医療の未来のために、必要に応じてお集まりいただき、ご検討いただければ。ありがとうございます」


高久
「引き続き大熊委員」


ここからが、昨日のエントリーに書いた大熊委員の発言である。
「土日と、がんセンターでの会合に参加したのだが、そこで私だけ抜かされて海野委員の原案が出てきた。これまでの医療を巡る議論というのは、医療費をいかに安くするかと、いかに開業医へ利益を持っていくかに終始していて、この検討会での論議は、今まで語られてこなかった医療の質や現場で働いている人たちのことのうち、働いている人々の焦点を当てたのはよかったけれど、患者と医療者とのパートナーシップ、上下関係でないパターナリズムでなく真実を共有して共に歩むという姿勢には欠けていた。

この文章も、その場に私もいたのに私だけ抜かされた形で、しかし委員以外の医者の名前は出ているということで、患者をおきざりに医療者だけで何でも決めてしまう閉鎖性が象徴的に現れているなあと思った。私だけが、そういう批判をするのでは説得力がないと思うので、この検討会にはメディアの人も大勢傍聴していて私にメールをくださる。それを読むことで代えたい。『医師の方々が現状を何とかしようと一生懸命なのは分かるが、行き過ぎではないか。論議を聞けば聞くほどそう思う。自分たちにとって都合のよい部分に予算をつけようという動きばかりで、これ程までに欲望が剥き出しになった検討会は滅多にないと思う。医療のことは自分たちだけで考えないといけないと思いすぎでないか。自浄が働けばよいが、この経緯を見ていると非常に不安だ』『論点の個々については頷けるところも多いが、全体として見ると医師の大陳情大会だなあと記者クラブなどで話をしている』。

この検討会は安心と希望をうたっているけれど、悪い言いかたをすると、それは患者の安心と希望ではなく、医療者の安心と希望とキャリアアップのためのものになっていないか。国民が望んでいることは他にあると思うので列挙する」
この発言で大臣が目を剥いた。以下は大熊委員提出の資料現物をお読みいただきたい。


国民が本当にそういうことを望んでいるかについての判断は留保するけれど、医療の現状が、患者国民の望んでいることを十分供給できていないというところは間違いない。また、そのミスマッチの原因がどこにあり、どうやったら解消の方向へ向かうのかの考察が、医療提供者側の論理でしかされていないのも事実だと思う。ただ、この検討会のミッションが、ビジョンの具体化つまり予算化だったということを思い出せば、『大陳情大会』という言いかたも失礼だろう。


問題があるとするならば、そもそもビジョンがビジョンたり得ていなかった、つまり根知的処方箋になっていなかったということであり、その意味では、最初のビジョンをきちんと批判的総括できなかった自分も責任を感じる。

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