終末期問題についていくつか。

投稿者: | 投稿日時: 2009年04月28日 12:22

一昨日のエントリー「終末期の治療方針、『家族の意見がバラバラ』」では、「後期高齢者終末期相談支援料」についての調査報告として、終末期の診療方針等に関する話し合いの上での困難として、

「家族の意見がバラバラ」
「家族間の意思の統一が図られていないので、こちらの考えが押し付けに取られる」
「日ごろ病院に訪れない身内・親族が多く、死期が切迫している状態になって初めて病院を訪れ、これまでの話し合いの経過を無視し、合意内容を一から構築し直すことが多い」

などが挙げられたそうです。


この記事を読んで初めて、「後期高齢者終末期相談支援料」というものの存在、意図、そして一時凍結を知り、さらに「終末期医療のあり方に関する懇談会」の発足背景がわかったように思います。


あとは、純粋に気になったことがひとつと、考えたことがひとつ、そしておまけに思い出したことがひとつあります。

まず気になったのは、ちょっとしたところ。

終末期の診療方針などの話し合いを実施している病院(調査対象全体の47.3%)のうち29.7%が「終末期の話し合いを診療報酬で評価することは妥当だが、話し合いの結果の文書提供を算定要件とすべきではない」としているのに対し、一般国民を対象にした意識調査では、終末期の治療方針などを「話し合いたい」と回答した84.7%のうち、さらに72.3%が話し合いの内容を取りまとめた文書などの提供を「希望する」を選択した、という点です。


このギャップはどうして生まれてしまうのでしょう?医療側が文書提供に関して消極的な理由が知りたいです。やはり煩雑で、負担がさらに増えるから?それとも文書に残すことで、何らかの不都合が生じかねないとか(内容や責任が明文化されることで、のちのち問題が生じた場合のリスクを負うことになる、など)・・・?


また、終末期の治療方針などの話し合いをする上で、医療機関が困難に感じていることとして最も多かったのは、「家族の意見にばらつきがある」ということだったそうです。

たしかに、家族の中での意見がまとまっていなければ、限られた診療時間の中で相談をし、結論を出し、文書作成までもっていくのは、実際かなり大変だろうなと思います。しかし一方、家族や本人にしてみれば、あらかじめ意見をまとめておけと言われても、医師という専門家の話を聞かなければ、話を進めようがないと感じる場面も出てくると思うのです。


とはいえ、医師の方々が家族のああでもない、こうでもない、といった話に延々つきあうのも非現実的です。そこで思い出すのが「医療コーディネーター」あるいは「医療メディエーター」といった職業です。


医療コーディネーターは、セカンド・オピニオンや命に関わる病気の告知などに際し、医療者と患者・家族の間に立って、両者の理解・判断の橋渡し的役割を果たすことを目指すもの(ただし民間の認定資格で、実際のところは患者側が個人的に雇うかたちがとられているようです)。代表例が、日本医療コーディネーター協会というところが認定しているもので、ホームページによると、資格者はみな看護師の資格も有しているようです。

また近年、医療メディエーターが注目されてきた大きな理由が、医療訴訟の増加です。それに伴い、裁判外紛争処理(医療ADR)に期待が集まっているようです。医療訴訟では法的事実が明らかになったとしても、それが必ずしも遺族・家族の求める治療の経過等、全貌が明らかになるとは限りません。そこで医療メディエーターら第三者が間に入って、患者側・医療側の納得を得たうえで合意形成を目指そうという取り組みです(医療ADRには他に、裁判を簡易化したようなタイプのものも検討が進んでいます)。代表例として、日本医療メディエーター協会が育成プログラムを提供していますが、これは医療機関職員(資格問わず)を対象とし、認定資格というわけではないようです。


ちなみに医療メディエーターと医療コーディネーター、上記のとおり別のものですが、求められる資質等は、あまり変わらないように思えます。・・・が、実際のところ、どうなんでしょうか?


さて、もしこうした“患者側と医療側の間に立つ”職業が公的な資格となって(=「コメディカル」として)、保険適用される形で「相談者」として病院に雇われるとしたら、まさにこの問題の解決策となるような気がするのです。最初と最後の説明は医師と患者側の間で行われるとしても、そこに立会い、また最終的な結論を本人・家族が決断するまで、予約制等で相談を受け付ける。ある程度の医学知識があり、医師からそれまでの諸々の経緯を含めて引継ぎを行えば、医師の判断等も反映させられると思います。


・・・というのが、私の考えたこと、思いつきです。保険診療で、というのが肝なんですが、同時になかなか難しいところなんでしょうね。現状でさえ、医療現場ではコメディカルが不足しているようですし。それでも新しい雇用機会の創出ともなりうるんじゃないでしょうか。(ここ最近の話題の流れで言ったら、「公的(国家)資格」を作ること自体は、厚労省のお役人の方々にとっては、難しいながらも悪い話ではないとか?・・・なんて皮肉ったりして。)


ところで、終末期医療のことを考える時、もうひとつ思い出すのは、療養病床の削減⇒介護施設・在宅介護への移行という現在の政府の基本方針です。いろいろ問題もあるようですが、もしなんとか、そのとおり事が運んでいくなら、これからますます病院でなく介護施設や自宅で最期を迎える方々が増えていくんですよね。そうしたときには、この「終末期をどう迎えるか」という問題は、いっそう複雑になっていくだろうと推測します。(「75歳以上」という限定も、そう考えるとやっぱり変ですよね。)病院関係者だけでなく、もっと関係者の枠を広げて、議論していく必要があるんじゃないかな、と思いました。

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コメント

「遺言書作成報酬」第一東京弁護士報酬規定(参考)
3000万円以下_______________¥200,000
3000万円以上3000万円以下___¥200,000~¥470,000
3000万円以上3億円以下______¥470,000~¥1,280,000
3億円以上__________________¥1,280,000以上

文書化する内容も違うので遺言状作成と同じだけの報酬をよこせとは言いませんが、「後期高齢者終末期相談支援料」1回¥2,000はあまりに医療業の価値を見下していませんか?あーだこーだと素人が考えなくても、十分なコストを支払っていただけるなら、顧客(患者・家族)の希望を叶えるシステムを現場のプロ(医療職)が考え出しますよ。

>あーだこーだと素人が考えなくても、十分なコストを支払っていただけるなら、顧客(患者・家族)の希望を叶えるシステムを現場のプロ(医療職)が考え出しますよ。


仰るとおり。以前パチンコ業界の売り上げと医療費とが同じ位の規模だと聞いてやってられない気持ちになりました。

水と安全と健康はただで当たり前という国民感情のなせるわざなのかも知れません。

「魂を売ってアメリカに行こう!」(米国で頑張っている先生方すみません)とか「今こそ保険医総辞退」とでも言いたくなるような気分になってしまうので、もうちょっと配慮したエントリーを立てられませんか?

改行10粘さま Anonymousさま

>「後期高齢者終末期相談支援料」1回¥2,000はあまりに医療業の価値を見下していませんか?

お気持ちはごもっともだと思います。私も別にこの料金設定自体は適切と思っていたわけではないのですが、問題はやはりそこというわけでしょうか。

ただ、私はご提示いただいたような遺言状作成に係る弁護士の報酬のような金額は適切でないと思っています。遺言状は全ての人が作成するものでないですし、遺言状がなくても死後のことは法律で割りきったり、遺族内で時間をかけて解決することが可能です。しかし一方、生きている間の治療方針は一部の人でなく、できるだけ多くの患者・家族が専門的見地からのアドバイスを受けながら判断していくほうが理想です。そうしたときに、2000円とまでは言わないまでも、日常的な保険診療の感覚の中で賄える価格であってほしいと思ってしまうのです。

ただし、それだけに、これを医師の方々に強いるのはどうかとも考えます。通常の診療だけでも既に相当の負担がかかっていらっしゃるのは皆が知るところです。そこで私はそれを専門のコメディカル(医療コーディネーター他)が主治医と連携しながらメインでその作業を担当すればよいのでは、とシンプルにそう思ったのです。

エントリー内での書き方でそこのところがきちんと伝わらなかったとしたら、すみませんでした。あるいは、そうではなく、伝わっていてもそのようなやり方には問題があるということでしょうか。であれば、恐れ入りますが、そのあたりのお考えをご指導いただければと思います。

「医師以外でもできることは医師以外に任せる」という方向は大いに賛成です。と言うより、あらゆる医療問題においてその方向の改革がベストだと思います。しかしお金がない。医師の仕事を代行する人を他所の部門からコンバートすればその部門で人手不足になりますから新たに雇用しなければなりませんが、お金がない。赤字ですから。赤字でもその雇用が収益を上げて赤字削減に貢献すれば雇用可能なのですが、医師業務補助となるとその効果は医師の負担軽減に止まります。とにかく病院にお金が足りないのですよ。

「あーだこーだと素人が考えなくても、・・・」という意味は「御提案の方法(医師業務補助・代行)をすでに考えている病院はたくさんあると思います。にもかかわらず、何故できないのかと言うとお金がないから。」という事なんですが、少々きつい表現になってしまいましたm(_ _)m

なお、コスト計算なんですが、他職との比較が分かりやすいかと思いましたが余計にかき混ぜる結果になったようです。
現実に沿って考えると、後期高齢者終末期相談員なる専門職がオフィスを構えたと仮定して単価2,000円の顧客を月に何人担当したら人件費と事務所経費を賄えるか?月労働時間(8時間x20日)を黒字維持に必要な顧客数で割ると一人の顧客に携わることのできる時間が求められますが、その時間で顧客との面談、担当医との打ち合わせをそれぞれ複数回行い、さらに書類の作成を行うことが可能か否かを考えれば2,000円がどれ程ばかげた数字かが見えてくると思います。

改行10粘さま

病院にお金がない、という状況。これが元凶であることはご指摘のとおりと思います。医療費の削減で病院の職員が減らされ、細かな業務まで看護師や医師が担っているところも多いと聞きます。逆に言えば、医療費を増やすしかないということですよね。

そして2000円という料金設定の話。確かに安すぎる感はありますね・・・。ちなみに私のイメージでは、病院にそういう専門職員が配備されているのがいいように思いました。その上で、やはり一患者の金銭感覚からすると、せめて自己負担は、いろいろな検査と料金・所要時間とも同程度の感覚で、一回当たり3000円くらい、それを何度か繰り返すくらいでないと、一部の人の特別なものになってしまう気がします。時間は主に宿題方式で節約できればと・・・。でも、もっとじっくりやるなら、もっと金額は上がってしまうでしょうね。

終末期の現状

終末期をどう過ごすか。
長寿化・核家族化・単身世帯化・少子化が進み、看取り(死との出会い)の経験が急速に減少した今、本人も家族も死を直視した経験がほとんどなくなっています。また医療によってどこまで延命可能で、どのような技術が提供されるのか、それに対して看取る側はどのような感情を抱くのか、ほとんど想像できない状況に至っています。一方今後は20年間で年間死者数が倍増する見込みです。
経済面からは、死にかかわるコスト(終末期から葬儀・法要を含めて)をどこまで削減するか、が問題になります。
医療面からは、患者の満足、家族の満足、社会としての満足についてどこでバランスをとるかが問題になります。
医療技術の限界については医師が答えるしかないでしょう。
終末期の生活がどのようなものであるかの情報提供は看護師が適任でしょう。
患者と家族の相談役としては看護師と社会福祉士が適任でしょう。
このような考え方をもとに、現在大きな病院では社会福祉士が急増しています。診療報酬もこのような考え方をもとに考えるとまずまずの評価になっていると思います。

患者および家族が死に際して心揺らぐことは当然です。家族は死後も心が揺らぐ(もし・・・だったらと後悔する)ことがあってあたりまえです。言い換えれば終末期についての話し合いに対して書類を作成することは医療者を守る必須アイテムといえるでしょう。

心の揺らぎに対して相談に乗るのは医師が適任とはどうしても思えません。かといって死後の心の揺らぎに看護師や社会福祉士がかかわることが適切かといえば「違う」というべきなのですが、宗教者に期待できる状況でもなく、看護外来・社会福祉士外来といった形で対応するしかないでしょう。

ふじたん様に概ね同感。
あとひとつ、介護についても触れて欲しかったですね。

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