「『PTA議論』にすり替えた方が、みんな楽」

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2010年05月23日 15:23

先日、竹庵様と源氏星様から頂いたコメントについて、
書籍「救児の人々」に登場する、重症心身障害児の母親赤石恵理子さん(仮名)と
少し話してまいりましたので、その内容を書かせていただきます。


まず源氏星様には、ご返信が遅くなり、申し訳ございませんでした。
私が竹庵様からのコメントに対して前回のような返答をしたことについて少しご説明したいと思いましたが、それには赤石さんご本人の了承がいると思い、時間がかかってしまいました。
私が今書いている内容は、すべて彼女の了承を得ているものです。


竹庵様からのコメントが書き込まれた日、「不倫の話」の第一章に登場する赤石さんご本人が、泣きながら私に電話をかけてきました。

彼女は、自分自身で「私がやっていることは世間的に見ても、道徳的に見てもひどいことだ」と言っていました。
ただ、それは彼女が自分自身で言うことによって、「少し救われるところもある」ということで、いざ他人から似た内容を言われると、「私はやっぱりそういう烙印を受ける、そういう存在なんだ」と、傷付いたということでした。
また、竹庵様が医師資格をお持ちの方ではないかと、これまでのコメントから推察されたため、「お医者さんがそういう、他人を裁くようなこと言うんですね」とも話していました。

赤石さんは、この書籍に登場することで自分について何か言われることは百も承知で、それを分かって取材を受けてくれています。
ですが、いざその内容を直接ロハスのコメント欄で見ると、かなりショックを受けたということでした。

ひとしきり、彼女の訴えを聴いた後で、私からはあのようなコメントをさせていただきました。

その後、源氏星様からのコメントを頂戴いたしました。

>私が望むのは、どんなカタチであれ、まず知って、関心をもってほしいということです。不倫の果て云々の部分をもって「PTA的論議」をするなら、それもまた良いのではないでしょうか。

>とっかかりはどうあれ、話題にしてもらえるなら、そうして、こういう現実が有ることを認識して、小児医療や母子医療が表面だけをとらえて、伝えられていること以上の問題を秘めていることを知り、当事者や医療関係者や行政が、表面だけをみて批判したり非難されることが減っていけばとおもっています。

この部分についても、私自身もとても共感できる部分がありました。

それについて、再度赤石さんと電話をしたのですが、まだ気持が落ち着いておられない様子でした。
色々話すこともありそうだと思ったので、昨日、彼女と会って少し話しました。

彼女の言葉を、そのまま書かせていただきます。

以下、すべて赤石さんの話です。私の相槌は省きます。


「あのお母さん(源氏星様)の言葉、嬉しかったですよ。そうなの、私分かってて、少し過激にしゃべってたところあるかもしれません。本になるなら、知ってもらいたかったんですよね。こんな現実があること。

だってね、情けないけど、悔しいって思ったりすることもないわけじゃないんですよ。仕事辞めたり、いろんなことをあきらめたし失ってる。そうじゃなくいられたかもしれないけど、そうなってるんです。だから、ちょっと『このやろう』じゃないけど、知ってもらいたいし、考えてもらいたいんです。こんな私達がいるよって、翔太がいるよって。もっと知って、もっと見てって。

そりゃ『PTA議論』になるかもしれないです。そう言われても仕方ないこと私しましたよ。でも、そんなことなんでしょうかね。そんな話で終わっていいんでしょうかね。ええ、どうぞ私の話を道徳の教科書に載せればいい。それで上から目線で私のこと裁けばいいわ。多分ね、『PTA議論』にしちゃった方が、楽なんでしょう。一番面倒な、医療や障害や福祉の話、一番重たい話をしなくて済むからね。この話を『PTA議論』にすり替えた方が、みんな楽なんですよ。『自分の事じゃない話』『自分とは関係ない話』。それなら『国はもっとこうしろ』『政治家はもっとこうしろ』。それで話を終わらせられるからね。自分は遠くから石投げて、痛い目見ずに済むんだもん。上から目線で言いたいこと言って、『私達は何の罪もない存在。だからそうじゃないところは誰かが何とかしてね』って。それで結局何も変わらないの。誰にも当事者意識がないし、責任を持ちたくないから、何も動かないのよ。

でも、そうじゃないでしょ?この本の中で、豊島さん(豊島勝昭医師)も言ってたでしょ?『社会が助けるべき』というなら、まず自分自身が手を差し伸べられるか、手伝えるかって。私、それを考えてほしいんです。

私、結構過激発言してます。この本の中で。ちょっと確信犯的に分かってて。もちろん本心だけどね。でもそれは、知ってほしいし分かってほしいし、考えてほしい。自分たちのことなんだって。だから、ちょっと強く言ったの。叩かれるかもしれないって思ったけど、取材受けたの。あのお母さん(源氏星様)が言ってたみたいに、最初は『PTA』でも、そこからNICUのこととか、障害者のこととか、を考えてもらえるなら、それならいいと思う。でも、表面的に『不倫はいけません』で終わるなら、全く意味がないわ。でも、ちゃんと自分自身の問題として、考えてもらえるようになるなら、私は私の話もどんなふうに読んでもらってもいいと思うし、私は何言われてもいい。それが、翔太の役割なのかもしれない。あの子しゃべれないけど、そうやって大切な役割を果たせるのかもしれない。


さっき、私『失ったもの、あきらめたものがある』と言ったけど、もちろんそれだけじゃないですよ。得たものも、たくさんありますからね。翔太の存在。翔太という生きている存在。喜びは、悲しみも苦しみも怒りも、全部包括しているんだということも、私なりに分かったところがあります。幸せのラインだって、自分で決めていいって思ったし。

まあ、若いころもそれなりに楽しかったですよ。女子大生ってだけでもてまくってた時代があって、大きい会社で働いて、恋愛と仕事に忙しくて、旅行行ったり友達と遊んだりね。でも、今はもうその頃に憧れないし、戻りたいと思えなくなってるんですよ。あの頃、生きてる実感があったかって言ったら、分からないの。楽しかったけど、何か希薄だった気がする。今の方が大変だけど、地に足がついてる気がする。

やっぱり、翔太なんですよ。『こんな風に産んじゃってごめんね』とは今でも思うし、多分ずっと思っていくと思います。でも、私はもうあの子を失えない。生きていくんだなって思います。そして、いつか私あの子を失うかもしれない。あの子の方が先に逝くこと、つらすぎるけどないとは言い切れない。でも、その時にも私生きていかないといけないから。あの子も生きていて、そして私も生きている。両方が、それぞれに生きているんです。この世の中でね。そんな実感、今までなかったと思いますよ」

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コメント


熊田様

私のつたない書き込みを、ここまで取り上げてくださりありがとうございます。
明石さんのお気持ちを考えると、私の書き込みは、突き放しているようにおもわれるかもしれないとおもっていましたが、好意的に受け止めていただいたようで、ほっとしています。

私は竹庵さんの書き込みをみて、明石さんを批判したり、切り捨てているようにはおもいませんでした。むしろ、心配されているのではないかとおもいました。
やはり、一般の人にとっては「一般的でない」とおもわれたり、批判されることは避けられないでしょうし、その部分にばかり衆目があつめられ、とらわれて本題が伝わりにくくなるのではないかということを心配されているのではないでしょうか。
だから、「でも、いいじゃん。それで」っていう私のコメントのほうが、明石さんには、むしろ残酷なものであるだろうとおもっていました。

明石さんが、どういう思いでこのインタビューを受けられたのか
その思いを改めて読ませていただき、よかったとおもいます。
明石さんは、NICUのOB仲間にも、障害児の親のなかでも、本音がいえず、孤独を感じてらっしゃったのですよね。
後悔と孤独の中にいて、このインタビューにこたえ、出版に貢献することで、社会に貢献したいとおもわれた気持ち、わかるような気がします。
このために、自分が道徳的に批判されても構わないという覚悟も勇気もすばらしいとおもいます。

しかしながら、ご本人もおっしゃっているように、自分でおもっているのと、人から実際批判されるのとでは大違いですし、今後ももっと辛い思いをされるかもしれません。仮名であっても、わかる人にはすぐわかるでしょう。一旦出版されると、今後もずっと残りますし、ずっと将来にも影響がでないともかぎりません。
差し出がましいとおもいつつ、どうか、熊田さんはじめ、ロハス・メディカルの皆様には、今後も末永く、明石さん親子を守り、支えてさしあげてほしいとおせっかいな願いを抱いている次第です。

たくさんの人の思いの詰まったこの本が、かかわった方々の人生と小児救急や障害児福祉の問題に、光を差し込み、未来を開いてくれることも心から願っています。


ああ、確認して訂正するつもりで、そのまま投稿してしまいました

×私は竹庵さんの書き込みをみて、明石さんを批判したり、切り捨てているようにはおもいませんでした

訂正

私は竹庵さんの書き込みをみて、明石さんを裁いてらっしゃるようにはおもいませんでした

明石さんに、よくここまで話してくださったと感謝しております。
明石さんとお子さんを応援します。

私も竹庵さんのコメントに裁くという印象を持ちませんでした。

この本を読んだ中で できるだけ多くの方に、人生が「舗装された安全な道路」ではなく、実は、「ほんの一歩で、奈落の底に落とされてしまう細い峠道」と感じていただけたらと思います。

過剰に反応されることは望まないのですが・・・

結果としては「生きる実感」を強調せざるを得なくなるのも分かりますが・・・

私がいつも思っているのは、超高齢者に対する胃瘻処置と同様に、「無理に生きさせることの方が楽であって、無理に生きさせないことを説明して納得してそういう選択をするべきではないか?」ということです。もちろん一律な線引きはできないでしょうし、大変な労力を要するでしょうが、そういう努力をするべきであると考えています。しかし、個々の現場にはそんな努力をする余裕がないことも現実なんだと思います。

本当に難しい問題ですね。

源氏星様

ご丁寧なお返事を、ありがとうございました。
赤石さんもこちらのブログをご覧になり、源氏星様のお言葉は届いているのではないかなと思います。
私自身としては、やはりリスクを冒して取材に答えて下さった彼女の気持ちを、できる限り大事にしたいなと思っております。
本当に至らない、と痛感するばかりではありますが…。

源氏星様のコメントをきっかけに、こうして様々なお声を伺う事ができるという事も、すごいことなのではないかと思います。

仰るように、一人でも多くの方にこの書籍に触れていただき、何かを考えたり感じたりしていただけるきっかけになればと、願ってやみません。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

元・NICU卒業生障害児の親様

コメント、ありがとうございます。
有り難く拝読いたしました。

私自身もこの取材を経て、自分が今後子供を産むことがあった時に、NICUのお世話になる可能性は十分あり得ると思いました。
それは誰しもに同じ事なので、そうなったときに少しでも悩みやつらさが少ないよう、今の私が何かしていかなければ、と思っております。
その一歩が、この書籍だったかと思っております。
どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

TT様

コメント、ありがとうございます。
仰る部分の議論、今後私達一人ひとりが、考えていくところなのだろうと思います。
それを、シェアできるようになっていけばいいなと思います…。
私自身、それぞれの「場」からの声を、これからも聞いてまいりたいと思っております。
どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

まず、ずっと感じていたことをついに書いてくださって、ありがとうと申し上げたい。
シングルマザーの方の話から始めたという勇気も称賛に値します。
すぐに「反応」して自らの偏見をさらけ出してくださった方にも感謝。
(書き方が皮肉っぽいと感じられる方もあるかもしれません、すみません、こういう性格なもので。へそ曲がりの反骨。)
「限られた医療資源の配分」を考えるとき、「切り捨てる」ことを冷たいとか必ず批判があります。でも、「自然」はもっともっと冷厳なものではないのでしょうか。「自然」がすべて暖かくて緑で、なんてことはありません。清潔な水にしろ、快適な住居空間にしろ、「人工」だからこそ、こんなに長生きできるのですよ、人間は。
「ひとりの命は地球よりも重い」なんて、ミエミエのうそっぱちに決まってるじゃないですか。
身を粉にして、献身的に働いてくださっていることには心から感謝しますが、「新生児死亡率ゼロ」「妊産婦死亡率ゼロ」なんてあり得ない目標を掲げるのはいい加減やめてください、産科医や小児科医の皆さん。
自然の中で生きる以上、遺伝子が完全でない以上、それは無理ですってば。
リスクを引き受けること。死を受容すること。
こういう議論ができないと、ひどくゆがんだヒステリックな方向に話が暴走しそうで怖い。
熊田さん、あなたは稀有なジャーナリストです。問題提起する勇気がある。その回答が万人受けしない苦いものであることを予感しているのに。

生涯いち医師様

コメント、ありがとうございます。

>「人工」だからこそ、こんなに長生きできるのですよ、人間は。

この部分には、共感いたします。
様々な場面でこうおっしゃる方に出会う事もございますが、
突き詰めると自己矛盾に到達してしまうので、難しいなと思います。
(私自身、色々言いながら、医療や科学の様々な恩恵を享受して生活しております)

予定調和や辻褄合わせでは、もうすまされない段階に来ているのだろうか、と思います。
もちろんそれ自体は必要で、だから成り立てている社会でもあると思います。

恐縮ですが、法務業の末席様のお言葉をお借りさせていただくと

>個別と全体の対立、いや、情と理のトレードオフ。そして今までの日本社会では触れてこなかったし、分母の拡大で先送りしてきた葛藤。

ここにいい加減踏み込まないといけないし、本当の「綺麗事」を言わないとやっていけなくなってきているのだと思います。
でもこれは、私が自分自身を試し、問いかける事にもなるものです。
その石を投げたんだと、自戒しております。

今後とも、ご指導賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

書籍は、読んでいないので、こういうコメントになりますが。

映画、「暗いところで待ち合わせ」に確か記述があるのですが、点字ブロックを伝って移動すると、街路樹にぶつかる、という映像があります。

視覚がない人が素直に進むと、街路樹の周りを巡っているせいで、ぶつかる訳です。設計者は、視覚障害者ではないから。

乙武さんの五体不満足、だって、本当に理解されているとは思えません。沖縄の普天間だって、もっと身近で言えば、同僚のリストラだってそうです。

かように、まだまだ、人間は自己以外を知らず、また、知らないで良いと思っていて、障害者なども、数少ない理解者に頼っている。

この理解へのパイを広げること、そして、時には、それ故に、諦める、という悲しい選択肢もあること、それを広げていく必要があるように思います。

勇気ある著作だと思います。残念ながら、まだ未読ですが。

luckdragon2009様

コメント、ありがとうございます。
やはり、どのようなことであっても、わが身に起きるまではなかなか自分のこととしては捉え難いと思います。
私も取材を続ける中で、何度も「もし自分が妊娠して早産になったら」「子どもがNICUに入ったら」と想像しました。
考えた末、最終的には「子ども持つ決意をしたら、きちんと責任を持って育てよう」という思いに至るのですが、きっと「自分のこと」としては捉え切れていないのだろうと思います。

それでも、知っているといないとでは、かなり違うと思いますので、この本で「伝える」ことができれば、と思いました。

だからこそ、思いを聞かせてくださったご家族や医療者の方々に、敬服するばかりです。

どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

騒ぎの主です。正直言って想定外の反応に戸惑っていました。
いろいろな方のご意見を伺ってからの方が良いのではと考え、コメントを控えておりました。
熊田さんの努力などもあり、この本が多くの医療関係者や「救児」の問題に関心を持っている方々から歓迎されていることを心からお喜び申し上げます。しかし、それだけでは十分とはいえないと思うのです。こうした問題に関心を持たない人々の蒙を啓くことも重要なのではないでしょうか。
そういう視点に立って考えると、プロローグとして赤石さんを前面に出した表現に少しく違和感を持ったのです。勿論、赤石さんとの出合いがなければ、熊田さんがこの本を書かなかったということはあったにしても、もう少し抑えて書かれた方が良かったのではないか。今のままでは本質的なことから読者の目を背けさせてしまう〔現に自ら誘導してしまった感はあるのですが〕のではないかという懸念があったのです。
熊田さんは才気溢れるも優しく、そして何事にも一生懸命な方だと思います。その思いがプロローグに滲み出ているのだと思いますし、本書も「全力で」取り組まれたのではないかと思います。しかし、思いが強ければ強いほど抑えることも大事ですし、抑えたことによって「書きたい、書きたい」という衝動が書き手を次に向けてさらに飛躍させていくエンジンにもなるのではないでしょうか。余計なことばかり申し上げて恐縮ですが、今回すばらしい才能を見せてくれた熊田さんの一層のご活躍を期待したいと思っています。次回作が待ち遠しく思います。
最後になりましたが、赤石さんの心を傷つけてしまったことは深くお詫びしたいと思います。しかし、赤石さんを「裁いたり」、「非難したり」する意図は毛頭なかったことを改めて申し上げたいと思います。

>竹庵様

しかしそれだけでは十分とはいえないと思うのです。
こうした問題に関して、未だ蒙を啓くべきことだと考えている医療従事者の蒙を啓くことも重要なのではないでしょうか。

と書けば、あなたがどれだけ無神経な書き込みをしているか
お分かりいただけるでしょうか。

今回の竹庵さんの発言から「裁いたり」、「非難したり」する意図は感じませんでしたが、そう感じた人がいたのも確かです。とはいえ、それがあまりに無神経とは思いません。川口さんの意見にも賛同しかねるところがあります。

社会学書より引用しながら意見を述べますが・・・
「現代は排除や差別に満ちた社会」であり、「差別は、けっして特別な誰かが特別な誰かに対して起こす限られた社会問題ではない」のです。「無知は差別が育つ温床」であり、誰もが誰かを「差別している可能性に気づく」ことが大切です。「排除や差別のない社会という幻想」を抱くのではなく、「私たちがいかに差別的な日常を生きているのか」認識し、現実を受け止めることが必要です。

差別だと感じても程度の軽いものに対して過剰反応するのではなく、悪質なものに抵抗する必要があると思います。程度の軽い差別に対しては、十分な理解を求めるような丁寧な説明でよいと考えています。

>今回の竹庵さんの発言から「裁いたり」、「非難したり」する意図は感じませんでしたが、そう感じた人がいたのも確かです。とはいえ、それがあまりに無神経とは思いません。

 おそらく、これがある程度閉鎖されたコミュニティであるならば、おっしゃるとおりだと思います。

 ただ、現実としてこのブログをすでに当の本人が読まれているという状況において、竹庵さんの発言は無神経であると私も思います。何か言い訳をしたかったという気持ちは大変よく分かるのですが、出てこなかった方が良かったでしょう。

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