率直に話し合ってみたら、役者が足りなかった コメント欄

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2010年07月30日 07:15

 7月25日午後、東京・有明の癌研究会で<癌研オープンアカデミー『日本のがん医療の未来を考える』>が開かれた。冒頭に野田哲生・研究所長が「がん治療・研究に関するあらゆるステークホルダーが集まって一緒に話をしようという趣旨」と説明したように、医療者はもちろん、患者、政策担当者、企業人、メディア人など150人あまりが集まり、歯に衣着せぬ活発な議論が行われた。今までにないほど率直な議論ができた時に皮肉にも見えてきたのは、隠れた最大のステークホルダーである「医療費を払ってくれる健康な人々」が、その場にいないということだった。(川口恭)

この続きはこちら

<<前の記事:千葉県保険医協会で話します    「救児の人々」新潟日報に紹介されました:次の記事>>

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://lohasmedical.jp/mt/trackback/2764

コメント

「障害者自立支援」が行き詰まっているのは、納税し支援する健常者側の視点を無視した「クレクレ」議論に終始しているからです。

それと同じで、「弱者像」を捏造して「強者」から搾取するという政策モデルはそろそろ破綻させるべきですね。

>健康な人々」が、その場にいないということだった

2年前の2008年4月に日比谷で行われた
「真の公聴会!医療現場の生の声を直接国会議論へ!!」
http://www.iryogiren.net/boshu/080412.html

に参加した時の私の感想と同じです。


いくら医療体制の危機が叫ばれても、一番のマジョリティーである一般健康市民が興味を示さなければ、事態は好転しません。

このことは今回のことに限らないと思います。


そういった意味で数少ない成功例が、県立柏原病院の小児科を守る会、ではないかと思います。
(チョット、トピズレ失礼・・・)

いざ自分や身内が癌になると理性的に考えられなくなり、藁をもすがる思いになるのは当然のことです。そのこと自体がわかっていない。客観的になろうという努力すらみられない。
健康なときから、癌になる、進行癌と診断される、癌で死ぬというのはどういうことなのかを、冷静に理解しておくことが国民教育として必要です。
癌に限らず、死は必ず訪れるのに、そのことを避けようとしたり、本人以外で決めようとしたりする文化が日本の特徴のように思われます。国民宗教のはずの仏教観とは対極にある「覚悟のない社会」です。
このあいだも、90歳の母親が「だんだん食べなくなってきて体重も減っており心配」と外来につきそってきた娘さんがおり、母親はしっかりしていたので、まず、のど越しの良いとろみ食など、食の工夫についてお話したあと、老衰の経過について述べ、終末期医療の選択について、胃瘻・DNR/DNIなど事前指示書の話をしたら、泣いたのは娘「そんなことを話してほしくて連れてきたのではない。どういうふうに看取るかは家族で話し合って決める」と。御本人の母親はというと平然と「胃に管は入れないでほしい」などと淡々と希望を話した。娘さんは「母親がこんなふうにちゃんと考えているなんて知らなかった」と驚きつつ、まだ、「あんな話題を振るなんてひどい」と抗議。
1週間後の受診時には「食欲も戻ってきた」とのことで、御本人は相変わらず落ち着き払っており、娘さんは「いやあ、このあいだは心の準備ができていなかったので」と、「今後も宜しくお願いします」とお辞儀されましたが、息子さんも付き添ってきて、「エコー検査はしなくていいのか」と疑念を表明。「だって食欲が回復してきたのならもう検査はいらないでしょう」と申し上げ、市から案内が来たら毎年検診を受けるように勧めて終了。90歳の検診に効果があるのかどうかはエビデンスはないのですが・・・。90歳の老親の死生観を知ろうともせずに「家族で考えるから」と医師が終末期医療の希望を訊くことからもガードしようとする、聞きかじりの検査を受けさせよと要求するって、どこかおかしい、日本人の家族愛。癌の告知でも「自分なら知りたいが、家族の癌は告知しないでやってほしい」と論理学的に破綻しているダブルスタンダード。
健康に関する国民教育がほんとに必要です。健康保険料でカバーされる「疾病」と税金でカバーされる健診/検診など「予防医療」とで財布が違うことすら理解しておらず、「この際全部調べてください」などと、全く無茶苦茶な要求をする人も多い。
あちこちトビスレ。死なないと思っている日本人に疲れているいち医療人の愚痴とお笑いください。

このお話でもっとも印象深いのは老母さんの息子娘世代の生老病死についての未熟そのものな教養不足です。これこそが日本の文部科学省が今日まで続けてきた教育行政の顕著な結果であります。ここの医療問題ブログで私がつねづね槍玉に揚げてきた鈴木寛文部科学省副大臣のやるべき仕事は、畑違いの医療行政ではなく義務教育という教育畑そのものの行政の土壌改良であることを、この機会にもういちど指摘しておきます。

>国民宗教のはずの仏教観
この点に誤解があるように思います。古代から日本の『宗教』は、『怨霊信仰』『ケガレ(忌避)信仰』『言霊信仰』であると思います。仏教は怨霊調伏のために輸入された手段に過ぎないものです。
これを踏まえると、上記、後2者によって
>癌に限らず、死は必ず訪れるのに、そのことを避けようとしたり、本人以外で決めようとしたりする文化が日本の特徴
であることを説明できますね。
死(ケガレです)を予想して口に出すことは、それが実現することを望んでいることになるのですから、したくないのも当然ですよ。
それに、この『信仰』を自覚していないひとがほとんどでしょう。でも自覚してないクセに、これらの『信仰』の影響下にあるのです。よく「縁起が悪いことを言うな」などと言うでしょう?
死の覚悟のための議論さえ、どうやったらいいのか、自分でも想像も出来ませんです。脳死の議論だってよくあそこまでやれたもんだと感嘆してマス
そこに、お金の話もからむわけですからねえ
まとまりがなくてすみません。

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。