救命最前線が「崩壊」?

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2010年08月25日 15:37

今日は救急医療について思うことを。

救急医療や「医療崩壊」について話す時、どうしても救命センターなどの医療現場に目がいきがちです。医療機関への支援ももちろん大事ですが、救急現場で一番最初に私たち患者に接するのは誰でしょうか?

■縦割りの間の「救急救命士」
救急車で駆けつける救急隊員です。救急隊の中には「救急救命士」という国家資格を持ったスタッフがいます。救急救命士は救急隊よりも業務範囲が広く、医師の指導や指示のもとで、気管挿管やアドレナリン投与、医療者向けAEDを使った除細動などの医療処置を実施できます(資料参照)。彼らの仕事は、患者に適切な病院を選び、状態悪化を防ぐための必要な観察や処置を行い、迅速に搬送することです。消防庁の調べでは、救急救命士の資格を持つ消防職員は約2万3000人。救急隊は3人以上で構成されますが、国内にある4920の救急隊のうち、約9割に1人以上の救急救命士が配置されています。(2009年4月時点)。

国が救急医療について議論する時、医療機関のことはよく言われますが、救命最前線で患者に接する救急隊や救急救命士のことは見落とされがちです。これには、救急救命士が厚生労働省と総務省消防庁の両方に縛られる資格であるため、議論されにくいということもあるでしょう。

救急救命士が所属する消防機関は総務省消防庁の管轄下にあり、消防機関の職員は市町村の職員です(東京は一部地域で例外もありますが都の職員)。ところが、救急救命士の処置範囲など業務内容については厚生労働省が規制しており、救急救命士になるための国家試験も厚労省の管轄です。救急救命士は現場では消防庁のコントロール下にありながら、業務内容は厚労省に縛られるという2重の規制を受けています。(ちなみに、厚労省が把握している救急救命士の登録数は3万7580人(2010年3月末現在)と、消防機関にいる救急救命士より1万人多くなっています。救急救命士には他の活動現場もあり、看護師など他職種で取得する人もいますが、他は「潜在」救急救命士となっているのか興味深いところでもあります)

救急救命士はまさしく縦割りの間に存在している資格で、こういうグレーゾーンには利権が生まれやすくなるのが霞が関の常です。これまでも、救命士の院内配置について診療報酬での評価の可能性を探るような話も一部で聞かれたりもしました。行動範囲を広げることで救急救命士の権限を拡大するというわけですが、救急現場で患者を救護するのが本来業務であることを考えれば、どうなんだろうと思います。

そんなことよりも、もっととんでもないことがあります。
今年1月、私はこれを見た時に、驚きました。




■基本的なスキルが不足
消防庁が開いている救急搬送業務に関する検討会で、昨年度に出されていた資料です。資格取得後の救急救命士のスキルについて評価されています。これを見ると、脈拍の触知位置や頸動脈の速さ・強さ、呼吸の速さについてなど、基本的な観察ができていない救急救命士が「約4分の1から3分の1いる」とされています。また、年間の搬送件数が少ない救急救命士ほど搬送に時間がかかること、資格取得後の時間が経過しているほどスキルが低下していることが示されていました。

最前線で患者に接している救急救命士のスキルに、かなりのばらつきがあるという事です。救急救命士は経験年数が上がればスキルも上がるとは一概に言えず、地域によっては搬送経験が少ないのでスキルが低下しているということも推察されました。

救急救命九州研修所の郡山一明教授が「救急救命士はミニドクターではない」と指摘するよう、病院前の救護を実施する救急救命士の役割は、状態悪化を防ぎながら適切な搬送先を選ぶため、必要な観察や処置を実施する事です。患者が心肺停止状態に陥ることを回避し、医療スタッフにつなぐ事です。そのために必要不可欠なスキルについて、かなりの差があるということが分かりました。救急救命士がこのような状態にあることを、国民は知っているでしょうか。

ただ、この資料は母数が少なかったので、現場で働く救急救命士や救急医療スタッフに聞いてみると、こんな声が返ってきました。

~救急救命士~
「人によってかなりの差がある。基本的なことができない人もいる」
「再教育をしてほしいが、忙しすぎてできないと思う。現場を空けられない」
「ほとんど殺人まがいのことをやっているんじゃないかと思うところもある」
「医師や医療スタッフとのスキルの差がありすぎる。もっと教育を受けられれば多くの傷病者を助けられる。確実に助かる患者は増える」
「医療崩壊というが、プレホスピタルケア(病院前救護)がそもそも崩壊している。『たらいまわし』で騒ぐなら、病院よりこっちも見てほしい」
「病院実習はお客さん状態で、ほとんどさせてもらえない」
「うちの地域にはそもそも救命士がほとんどいない。消防職員だけでやっている」

~医療スタッフ~
「救急隊によってスキルに差が大きい。適切に搬送してくれる人もいれば、なんでこの患者をうちに、というような判断をしてくる救急隊もいる」
「救急医療はプレホスピタルケアが一番大事。うちでは救急救命士と医療スタッフでの講習をよくやっている」
「現場が忙しくて、救命士の病院実習を受けられない」
「救急隊と医療機関がうまくやっていれば、搬送ルールなんていらない」

都市部や地方など地域によって差はあるものの、救急隊のスキルについて問題視する声が多く聞かれました。

■再教育に耐えられない現場
救急救命士は、資格取得後2年の間に再教育として128時間以上の実習を受けなければいけませんが、このうちの48時間は病院実習です。もともとは128時間以上の病院実習が義務付けられていましたが、救急救命士の数が少ない地域では病院実習に出すと出動人員の確保が難しくなったり、教育体制が整っていない病院では見学のみになってしまったりするなどの問題が現場から指摘されていました。自治医科大学の加藤正哉准教授が国内の救急救命士1,533人に実施した調査では、44%が128時間の病院実習を達成できておらず、実習をまったく受けていない救急救命士も11%いました。実習を受けられなかった理由で最も多かったのは、「人員のやりくりができない」が54%と過半数でした。こうしたことから、国は2008年に病院実習時間を48時間までに減らすことを決め、残る80時間以上を地域での実習にシフトさせたという経緯があります。

 地域で救急救命士の再教育を担うのは、「メディカルコントロール協議会」と呼ばれる消防機関や行政、医師などから成る専門組織です。この協議会は消防庁が2001年度、救急隊員の応急処置など医療の質を保障(メディカルコントロール)するための協議の場として、各都道府県や地域に設置するよう求める通知を出したことから始まりました。しかし、MC協議会については地域による活動の温度差が指摘されています。医療機関とともに積極的に病院前救護の質向上に取り組んでいたり、搬送と受け入れのマッチングを独自で行ったりする先駆的な地域もあれば、ほとんど活動していない地域があることも言われています。


■そんな中でも権限拡大
そうした状況の中、厚労省は昨年度、救急救命士の処置範囲を広げようと検討を進めてきました。▽血糖測定と低血糖発作症例へのブドウ糖溶液の投与▽重症喘息患者に対する吸入β刺激薬の使用▽心肺機能停止前の静脈路確保と輸液の実施―の3つについて検討が進められています。厚労省は「検討」とは言っていますが、実施する方向になるのは間違いないでしょう。

救急救命士の処置範囲を拡大し、活動範囲を広げることは、権限拡大になります。一部の方の利権を生みますから、熱心な方もおられるようです。一方で救急救命士の処置範囲拡大を快く思わない団体がいることも聞かれます。

でも、そんなことより救急救命士の基本的なスキル自体をボトムアップさせることの方が大切ではないかと思います。どんなに処置範囲や活動範囲を広げても、最も大事な基本的観察や処置のスキルが不足していれば、現場の混乱や質の低下を起こすことが懸念されます。脈拍や呼吸観察などの基本的技術が足りていないというデータを、どう見るのでしょうか。救急受け入れ不能問題の解消に向け、搬送ルールの策定も都道府県に義務付けられましたが、搬送業務の効率化には、救急隊のスキル向上が欠かせません。

現場で一番最初に私たち患者に接するのは、救急救命士はじめ救急隊です。彼らから、不安や再教育の充実を求める声が聞こえてきます。消防庁の検討会を取材するようになってから担当者は何人も変わりましたが、いつも再教育の話は後回しにされて、業務内容の拡大など華やかな話ばかりが出てくるため、おかしいんじゃないかと常々思っておりました。

24日に消防庁が開いたメディカルコントロールに関する有識者会議でも、再教育に関する話題は出たもののほとんど時間は割かれませんでした。再教育の在り方について各消防本部にアンケートを実施するという案が事務局から出されましたが、委員からは現場の声が反映されたアンケートになるのかと懸念する意見もありました。

地域が再教育を実施しやすいよう国や自治体はどう支援していくのでしょうか。また救急救命士や消防機関、医療機関など地域はどう取り組んでいくのでしょうか。これからも見ていこうと思います。


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コメント

消防署員に取材をすると、圧倒的な人手不足を訴えられます。
最近、救急現場にポンプ車が出場するようになっていますが、これも救急搬送件数の増加に、隊員の数が追いついていないため。
「定期」で入る訓練は決まっているのに、予備人員がいない・・・。

消防署員「にも」、団結権がありませんから、現場の率直な声は表に出にくい組織です。


ママサン様

コメントありがとうございます。
私も取材していると、近年は救急搬送件数が増加する一方で火災件数は横ばいであることから、消防隊員と救急隊員、消防車と救急車、それぞれの数のバランスが悪くなってきたということを耳にします。

ママサンの仰る「救急現場へのポンプ車出動」もそうした問題の解消に向けた一つで、「PA連携」と呼ばれて国も制度化に向けて検討を進めていますね。
http://lohasmedical.jp/news/2009/10/09190213.php
(色々大変な感じはしていますが…)

つくづく思うのは、救急現場の事情は資源と土地文化と交通事情などで差があり過ぎるので、地域独自の取り組みをどう支えていくかだなと思います。

消防の団結権も、政権交代後に検討会が設置されて消防庁内で議論が始まりましたが、迷走を極めているようです。
これも秋以降、どうなるか分からないですよね。


熊田梨恵さんの書かれたこのコラムは、救急救命士問題を大きな視点から捉えていますから、以下に私が述べることは各論にすぎないかもしれませんが、我々麻酔科医の中では問題な事案であり少し意見を述べたいと思います。
毎年、近隣の消防から救急救命士の気管挿管実習を頼まれます。
私自身は救急救命士の気管挿管が解禁されても転帰が改善するとはとても思えませんでしたが、周囲とのしがらみで嫌々協力していました。開始は確か2004年頃であったと思いますが、かれこれ5年以上たっても消防や総務省による救急救命士の気管挿管についての分析結果は報告されていません。
さらに、海外における救急救命士による気管挿管に関する研究やレビューは救急救命士の気管挿管に関する否定的な見解が肯定的な見解を圧倒しています。また、院外心停止例において病院到着前に気管挿管を行うことによって転帰が改善するという報告は皆無です。英国では日本とほぼ同じく25例の気管挿管成功例が実習で必要で、その後フィールドで仕事しているようですが、2008年に救急救命士による気管挿管について検討した委員会は、救急救命士による気管挿管は有害無益であるとの結論に至り、実施を中止すべきであると勧告しています。
私の調べた限りでは日本において救急救命士による気管挿管によって臨床的に意味のある転帰の改善を示したデータは見つかりませんでした。
このような状況下で救急救命士に挿管実習をさせていくのは時間と金の無駄であると思います。
また、挿管に失敗し死亡事件となった場合でも医師ほどには責任を追及されないとはいえ救急救命士へもある程度の処分が科せられる場合もあり、スキルに自信がない状況で気管挿管をするのは彼らにとってストレスではないでしょうか。
熊田梨恵さんが書かれたように基本的なスキル自体をボトムアップさせることが大切なのです。我々医師からすると、とにかく早く搬送してくれた方が患者の予後がよいので挿管操作に時間をかけ搬送を遅らせないでほしいのです。

いち麻酔科医様

コメントありがとうございます。

>海外における救急救命士による気管挿管に関する研究やレビューは救急救命士の気管挿管に関する否定的な見解が肯定的な見解を圧倒しています。また、院外心停止例において病院到着前に気管挿管を行うことによって転帰が改善するという報告は皆無です。

このような話を私も耳にした事がありました。
力不足のため自分で調べるには至らず、記事には書いておりませんでしたが、海外がこうした動きに否定的であることはなんとなく感じておりました。
それだけに、どうして権限拡大の動きになるのか、霞が関だとこういうことになってしまうのかなと思っておりました。

救急救命士は資格取得までの期間も医師よりは短いですし、その分再教育や実習、OJTを充実させていく事が重要なのだろうと感じておりました。
救急医療は風土や地形、住民の性格や発生しやすい傷病などに大きな差があると思います。
自治体や消防機関、医療機関などの考え方や関係も様々でしょうから、なおさら現場に出た後が重要と感じます。

再教育もままならない状態で、さらに権限拡大が行われ、実習が増えると現場はどうなるのだろう、と思います。
コメントを頂戴した救急救命士の方に共通していた「もっと再教育を充実させてほしい」というメッセージが生かされてほしいと願っております。

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