現場からの医療改革推進協議会第6回シンポ その3

投稿者: | 投稿日時: 2011年11月14日 13:17

現場からの医療改革推進協議会第6回シンポジウム、ポリオワクチンについての議論の部分を前回の続きで、ダイジェストでまとめます。


今回は、不活化ポリオワクチンを選択したお母さん、不活化ポリオワクチンを個人輸入している打っている小児科医の宝樹氏、産科医の鈴木氏、そしてポリオワクチンから医療崩壊の問題に切り込むジャーナリストの真々田氏です。

まずはセッションの中盤、司会の久住氏が、聴講席側で参加している出席者を数名、紹介しました(私も長男の件もあって紹介していただいたのですが、急なことで頭が真っ白になり、ごく簡単な自己紹介のみで着席してしまいました。後から考えれば、ポストポリオ症候群のことなど発言しておいてもよかったと反省)。


まずは、母親代表で松井さん。4歳と1歳のお子さんのお母さんです。私の子供たちと同じように、上のお子さんはポリオの生ワクチンを接種(定期接種)、下のお子さんは不活化ワクチンを接種したとのことでした。

●子供への医療は無料=助成が当たり前になっているので、他のお母さんたちをみていると、自費で不活化ポリオワクチンを接種させるのには抵抗が大きいようだ。公費での接種まで待とう、という人が実際ほとんど。

●お母さん友達の中では1人だけ、松井さんと同じように「自分の子供に一生残る後遺症を負わせることはできない、その危険を負わせられない」と、不活化ワクチンを選択した人がいた。

●行政や政府が「お母さん」のことばかりでなく、「子供=未来を作っていく存在」に目を向け、認識を強めなければ、平行線だろう。

●母親や父親も、プレママやプレパパ(妊娠中やその夫)のときが、一番余裕を持っていろいろ勉強できるとき。そういう人たちにもっとワクチンについても啓蒙したらいいのではないか?


次に、ポリオの会より小山会長です。

●ポリオの会、最年少の会員は、今年5月、東京で生ワクチンから発祥した当時0歳の男の子。小さな小さな装具をつけている(小山さん自身は野生株由来の患者)。

●ポリオの会にもメール等で、ひっきりなしに大小さまざまな問い合わせが来ている。不活化ワクチンや、2次感染の心配、保育園に入所させるにあたっての心配など。

●中には「カーテンに子供のオムツを触った手で触ってしまった。どれくらいカーテンを消毒すればいいか?」というような、過剰反応ともいえる問い合わせも来ている。聞いているほうは真面目に聞いてきているのだが、聞かれるたびに「あなたたちのようになりたくありません。子供をそうしたくありません」と言われている気がしてつらい。

●いろいろな立場からの発言等をいろいろな機会で聞くことが増えているが、最近、臨床医と研究医のスタンスの違いがよく感じられる。

●不活化ポリオワクチンの導入が現実のものとなりつつあるが、一番の心配は、すでにポリオにかかってしまった人、子供の医療が、ポリオという病気自体が、このまま忘れ去られていくのではないか、ということ。そうした人々への補償等をしっかり行ってほしい。

●まだ認定されていない人、まだポリオに罹患したことさえ気づいていない人たちへの補償、そういったものもしっかりやってほしい。


次は現場で小児科医として不活化ポリオワクチン接種を行っている宝樹氏。

●慶応卒後、聖マリでずっと新生児医療に従事、平成3年に渋谷区恵比寿で開業。

●ワクチンによる命にかかわる重篤疾患の予防を、誇りを持ってやっている。

●開業後、2000年ころは、渋谷区医師会でワクチン担当理事でもあり、ワクチン予防接種センターの切り盛りをしていた。その頃、福岡で生ポリオワクチンによる麻痺が出て一時接種が中止となったが、当時は自身も添付文書にあるように100万回に1回程度の副反応は通常の範囲内と考えており、免疫の維持が大事ということで接種を再開、継続してきた。

●不活化ワクチンを扱い始めたのは、昨年2月に神戸でワクチン麻痺が出た際、ちょうどツイッターを始めていて、その中にポリオの会の人がいて不活化ポリオワクチンの話が出てきた。自分の診療所のメールにも不活化ワクチンを希望する声が届いたが、そのメールの主に、夫がフランス人のお母さんがいて、不活化ワクチンの輸入を迫ってきた。そこで幾度かのやりとりのあと、不活化ワクチンの個人輸入を決め、細々やってきた。

●昨年秋に厚労省が補正予算で、ヒブとプレベナーと、なぜか突然サーバリックスに予算がつくこととなり、前者2つは長年の懸案だったから理解できたものの、突然サーバリックスにお金がついたことで、ワクチンへのお金のつけ方の手順に興味を持った。

●昨年9月、「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」の開いた厚労省での記者会見に、小児科医として出席、世界標準のワクチンとしてIPVを紹介。その際、「小児科関連の疾患は数がすごく少ないので、B型肝炎訴訟のようにワーッと大勢でやれない。子供の福祉を守るためには、さまざまな疾患等のワクを超えて、共同で、全体で訴えていく必要があるだろう」ということでデモを行うことになった。

●自分のところは零細なので月に400本が限度だが、少しでも麻痺が出ないよう、減らせるよう、不活化ワクチンを打っていきたい。

●大臣、医師、研究者、メディア、学会、それぞれの専門性をどこに向けて、何の目的に使っているか、使っていくかが一番のキーワード。それを気づかせてくれたのが、ポリオの会であり、黒岩知事だった。


そして亀田総合病院周産期センター長の鈴木真氏もコメント。

●妊娠する前の段階で、ワクチンがどれだけ重要かを話していく、社会の人たちに理解してもらうことが大事。

●任意接種、定期接種などにについて、行政がどう考えているかはきちんと知られていない。任意だからといって打たなくてよいわけではない。われわれも伝えていきたい。


これについて久住氏が補足。「任意というと警察の“任意同行”というイメージがありますが(笑)、それとは違って必要なものですよね。しかし、国が責任を取りたくないから定期接種に入れないで、自己責任で打ってもらうと、いうふうに私は理解しています」


次は、ポリオ問題について追っているジャーナリストの真々田氏です。

●自身は、1961年の生ポリオワクチン緊急輸入で命を救われた、との自負がある(砂糖菓子にワクチンをしみこませた“アイスボンボン”との感激的出会い。「もう1個食いたい」)。

●その思いから、生ワクチンの緊急輸入に至る当時の顛末をまとめた記録映画「母が燃えるとき」を製作(1980年代)。

●日本でのワクチン集団の最初は、住民と現場の医師によるもの。1950年代後半、東北でポリオ流行。これに対し、ソ連から無償援助として3万人分の不活化ワクチンが届いた。厚生省は入れさせないが、抗議が殺到。解禁となった。これがお母さんたちと現場の医師が立ち上がって実現させた最初の集団接種。国によるものではなかった。

●1960年には、北海道炭鉱でポリオ流行。全国に広がり5000人発症、600人死亡。厚生省は翌年国産ワクチンができる予定だったので、ソ連から輸入しなかった(現状と構図がそっくり?)。しかも、「今はだめですが、将来は金になりますから」とお願いして国内メーカーに作らせていた。

●冬からポリオの流行が始まり、お母さんたちがソ連産の生ワクチンの輸入を希望。WHOに提出されたソ連やチェコのデータを町の医師が翻訳して勉強会を開いた。それを持って役所に押しかける。役所では最新知識を持った母親たちに対応しきれない。地方自治体が崩れだし、お手上げに。勝手にやりだすところも(神奈川のように?)。最終的には東京都の保険局長も厚生省への陳情デモの先頭に立ち、マイクを持って演説。⇒ついに厚生大臣がクビを縦に振る。

●要するに、厚生省(役所)も大臣も、何もしていない。そのかわり、その時代、お母さんたち、住民たちが、医療を作る主体だった。(医療生協はその表れ。安保闘争世代が地域に入って、地域医療・福祉を作り上げた)

●しかし現在の医療は、半世紀前とは性質が違ってしまっている。医療崩壊の取材を半年以上やってきて、自分たちが「医療の作り手」でなく「医療サービスの消費者」に成り下がってしまった。国がそろえたメニューから選ぶだけ?それは違う。自分たちがほしいものを手に入れるために政治があって行政があるはず。

●しかし、この国には医療行政は存在しない。“医療費行政”しか存在しない。医療費を同分割するか、しかも関係者だけで。私たちはそのお余りをもらっているだけ。

●日本にワクチン行政はあるのか?医療費行政から分かれた先にある。でも、ワクチン政策はない。

●しかも、50年前に生ワクチンを入れたときには、世界の最先端のものを頑張って入れた。だからその後何年かは、日本のワクチン行政は最先端を走っていたはず。しかし、今、日本のワクチン行政は、世界標準より遅れている。ワクチン以外で発生しないポリオまで作っている。どうするのか?

●小山さんの話のとおり、5月にまたワクチン麻痺が出てしまった。分かっているのに出てしまった。われわれの責任。個人としてできることはないかと、今年6月から世田谷区に直訴(区の主権者として)。調べると、未承認ワクチンに公費助成してはいけないという決まりはなかったので。残念ながらまだ動きはないが、神奈川が動いてくれたので期待できるか?


以上、セッション中盤は、多くの立場の人たちの話を聞くことができました。誰しも共通していたのは、それぞれが自分たちにできることをきちんとやっている、というところです。ただ文句を言ったり、後ろ向きになってしまうのではなく、手足を動かしながら、声を上げている。おおいに刺激され、また反省もし、そして背中を押される思いでした。

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