はじめまして!

投稿者: 川口利 | 投稿日時: 2012年06月11日 17:27

新たにロハス・メディカルブログ執筆者に加わりました、川口 利(さとし)と申します。ロハス・メディカル発行人で株式会社ロハスメディア代表取締役を務めております川口 恭の実兄です。同じ場所で株式会社ロハス・メディカル・ジャパンという会社をやっております。昨年度から、「いのちの授業~がんを知る」という出前授業を中学校対象に実施しています。

「川口利の医療と教育の狭間で」というコーナーを担当することになりました。ブログに先立って、5月22日から「まぐまぐ!」でのメルマガ発行を開始しました。タイトルはSobre La Vida(西語です。日本語では「いのちについて」となるのですが、ちょっと安っぽいので、西語にしてしまいました)。メルマガへの投稿記事も含めながら、「いのちの授業~がんを知る」のご報告を中心に書いていきます。よろしくお願いいたします。

初回は、メルマガ発行申請時に書いたサンプル号からの転載に一部手を加えたものです。

私は、平成23年度から都内の中学校で「いのちの授業~がんを知る」という特別授業を実施しています。医師と患者を講師に招き、私が進行役を務めながら、可能な限り生徒参加型の授業を心がけ、生徒さんたちに「いのちの尊さ」や「生きることの意義」について考えてもらうきっかけ作りをしています。

昨年度は4校で実施し、今年度も5校を予定しています。実施報告的な内容も書いていきますが、私自身が「いのち」について考えたり思ったりしていること、何らかの形で「いのち」に関係することなど、長さやテーマも統一性がないものになりそうですが、まずは始めてみたいと思っています。

このサンプル号には、なぜ中学校で「いのちの授業」をやるようになったのかを書いてみます。

平成21年の11月頃だったと記憶していますが、医師と患者2人組の講師をセッティングして、中学生対象にいのちの大切さや医療機関受診の心構えなどを教えることはできないかということを考え始めました。学校で教えるべき大切な要素ではあるものの、なかなか現場の先生方には負担の重い内容ではないだろうか、それであれば学校の中に入り込んで提供していくニーズや価値があるのではないだろうか、と考えたわけです。

たまたま私の知り合いに中学校の校長さんがいましたので、その年の暮れにご相談申し上げたところ、「うーん、具体的に何をどう教えるのかが分からないとイメージできないね~」と厳しいご指摘をいただきました。通常、翌年度の行事予定は2月下旬から3月上旬くらいには決まってしまいますので、組み込んでいただくためには急がねばなりません。年明け早々にその校長さんにアポを取り、実施計画書のようなものを用意して学校にお邪魔したところ、計画書をご覧になった後で「いや、こんなにしっかりしたものを考えているんだったら、ぜひうちの学校でやってくれないか」との嬉しいお言葉をいただいたのです。

実施時期は平成22年11月ということで決まりましたので、医師側の講師と患者側の講師の人選に入ることとなりました。

愚弟がロハス・メディカルの発行責任者を務めている関係から講師をお引き受けいただく方が決まり、ずっとその方たちと授業を実施してきています。

果たして中学生相手に自分たちが思い描いている内容を伝えることができるのか? 学校側が実施する価値のあるものとして評価してくださるのか? 継続的な事業として位置づけることができるのか? 等の課題をクリアするべく、「いのちの授業」パイロット版を実施しました。結果は上々、校長さんからもお褒めのお言葉をいただき、生徒さんのアンケートでも好評をいただき、改善すべき点はあるものの、継続的にやっていく価値があると判断しました。

中途半端なところで終わるようですが、サンプル号はここまでとして、続きは第1号へ回したいと思います。

最後に私のプロフィールを簡単に書いておきます。


氏名   川口 利(さとし)
     *今までに(さとし)と読めた人は家族以外には存在しません。学生時代のクラスメイトには
       リー君と呼ばれています。
生年月日 1961年(昭和36年)1月23日
     *どうでもいいことですが、連続した数字になるのは1月23日と12月3日の2日だけです。
出身地  千葉県市川市
略歴  1979年(昭和54年)千葉県立国府台(こうのだい)高等学校卒業
     1983年(昭和58年)上智大学文学部英文学科卒業
     1983年(昭和58年)4月から12年間、千葉県の公立高等学校で英語教諭として勤務
     1995年(平成7年) 退職
     1996年(平成8年) 12月から青年海外協力隊員として中米のホンジュラスに滞在し、
                  1999年 (平成11年)3月帰国。
     1999年(平成11年)9月から青年海外協力隊調整員(コーディネーター)として中米の
                  パナマに滞在し、2001年(平成13年)7月帰国。
     2001年(平成13年)8月から5年間、青年海外協力隊OB設立の民間会社に勤務
     2006年(平成18年)10月から株式会社ロハス・メディカル・ジャパン代表取締役

<<前の記事:第22回予防接種部会 これって越権行為?    パイロット版「いのちの授業」:次の記事>>