和田秀樹×中川恵一の がんでもボケても

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2006年07月11日 14:41

がん医療、老年医療に携わってきた2人が、
日本人の心のあり方に斬り込む連続対談。
今回は、日本人の「生き死に」まで変えた
アメリカ型価値観のお話です。


●第2回 マネー敗戦と日本人の死生観
中川 前回「日本人は老化を恐れている」という話でしたが、「いつまでも元気で若々しくいることが素晴らしい」みたいなのは、非常にアメリカ的発想なんですよね。過剰なアンチエイジングへの傾倒はアメリカから来ている。なぜこうなってしまったのでしょう。

和田 私は、マネー敗戦の影響が意外に大きいと考えています。つまり、敗戦そして極東軍事裁判でも、実は日本人のメンタリティは結局ほとんど変わっていないんです。現実に天皇制や神社仏閣を捨てたわけでなければ、年功序列や終身雇用のような社会経済システムもそのまま残った。しかし1996年~97年頃、日本の不景気の一方、アメリカがITによる好景気で株高(時価総額高)を背景に、巨大な有利子負債を抱えた日本企業をどんどん買収し始めると、「日本もアメリカ型にならなければいけない」と考え出したんです。それがマネー敗戦です。

中川 経済の問題に聞こえますが、そうではないんですね。

和田 ええ。いわゆる日本人の地域共同主義、年長者を敬おう、お互い助けあって生きていこう、といった漠然とした感覚が一蹴され、アメリカのように「自立して競争原理で勝ち抜かねばならない」、とコロッと変わった。そうして「若さ・強さ・働く能力」至上主義になったんです。それを疑おうものなら抵抗勢力と揶揄された。しかし人間の体や心、つまり脳は歳をとるほど弱くなるんですから、超高齢社会を迎える日本では、年功序列・終身雇用はお年寄りを社会の一員として位置づけていく手段として、そのメンタルケアの観点からも、むしろ良い制度なんです。

中川 加えて、マネー敗戦は日本人の宗教観にも影響を与えているように見えます。ちょうどバブル当時が日本人が金とモノに価値を置いていたピークで、その後また精神的・宗教的なものに戻ってきている。結局金やモノは死んだらお墓に持っていけないですから、なにか精神的な世界に拠り所がないと安心して死を迎えられないんですね。

和田 マネー敗戦の後、日本は階層分化が起きました。つまり上流と下流がはっきり分かれて固定化した。昔のように学歴を得て「成り上がってやろう」という人は少なくなって、子どもの教育に力を注ぐ気概も失い、諦めが蔓延しだしたんです。その社会状況では、より宗教に依存する人口は増えるだろうし、一方、絶対的カリスマ的指導者を熱望する風潮も高まります。

中川 ただ、日本人はもともと八百万の神などと言って、多神教的考え方だったでしょう。1つの家の中に仏壇があって神棚があって、マリア様が飾ってある。それが、マネー敗戦を契機にアメリカ的、二元的価値観が民主主義教育とは別の次元で入り込んできたようです。つまり、アメリカは結局いつでもゼロかイチかに割り切りたがりますよね。非常に一神教的、原理主義的というか。人体や人間社会がゼロかイチかで割り切れるはずはないんだけれど。

和田 テレビの影響もすごく大きいと思いますね。テレビというのは正義や悪、白か黒か、どちらかはっきりさせたがるシステムを有しています。ほんとうは誰しも、どんなことにでもグレーな部分が必ずあるはずなのに、短い時間で白黒を押し付ける。実はあまり人々に考えさせるようなメディアではないんだけれども、「テレビではああ言っているけど本当は違うんだよ」と批判的な視点を持って子どもに教育するような親は圧倒的に減っている気がします。そうしてマスメディアが言うことがそのまま一般常識となるんです。

中川 アメリカの二元的価値観がテレビによって助長され、日本人に定着してしまった。

和田 人々が曖昧さに堪えられない、つまり精神医学では「人格障害」と診断名がつきかねないような状況に陥っているのだけれども、それがむしろ「正しい」とされるような事態になっているんです。だから「生と死の中間」はなくて、「生」ばかり追い続ける。

中川 つまり「老い」を認めることが出来ないんですね。

(ロハス・メディカル6月号より転載、現在病院に配置中の7月号に3回目掲載)

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