逆鱗(ゲキリン)~不在のポスト~その5

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年09月29日 18:06

翌日、遅くまで病院で院長の帰りを待ちました。

直接院長の顔をみて聞きたいと思いました。
そして、気づかない粗相があったなら、やはり詫びようと思いました。

午後九時を過ぎた頃、東京駅まで院長を迎えに行った車両管財課長が、
車を病院に戻しに来て、5階の総務課居室に電気が点いているのに気がついて上がってきました。

「院長先生は?」

恐る恐る私が聞くと

「もう自宅にお送りしてきたけど」

それもそのはず。
土曜日の夜に病院に戻る理由などないわけです。
やっと諦めて帰宅しました。

ミスターMさんは何も語りませんでした。

その後も、ミスターMさんのまわりで生じる同様の混乱のおかげで、
別の大きな病院から事務長を迎えることを院長は決心するのですが・・

それを差し引いても、事務長を迎えるまでの7ヶ月間、私は、やることなすこと院長の気に障り怒鳴られ続け、その後必ずどこかに同行するとか、院長の文章をパソコンに落とすなどという役目が繰り返しくっついてきました。
そんな場面での院長は、決まって気味悪いほどに上機嫌でした。
一種の『鞭とアメ』状態でした。

翌年4月、新事務長着任と同時にミスターMさんは、病院売店の仕入れ担当に出向扱いとなりました。売店の仕入れ業務を一年務めて、ミスターMさんは病院を定年退職し、奥様と郷里に帰りました。
最後までミスターMさんには役職がありませんでした。

院長は直接罵声を浴びせる相手を怒るのではなく、横にいる人への苛立ちや失望や、それを超える期待を伝えたいのではなかったかと思うようになったのは、ずっと後です。

三年後、私が病院を辞めることになる前、院長は私のまわりにいる人ばかりを攻撃し、決して私はその攻撃の的になることはありませんでした。
それこそ、最も辛辣で深い無言の叱責であり、怒りだったのではと、今になって思います。

とりあえず、「不在のポスト」は新事務長着任で一件落着しました。 

「お・わ・り」です♪

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コメント

何か読み終えて嫌な疲労感を覚えました。
原因は多種多様なのでしょう、多分、、。
知識は有る、頭も良い、高学歴、しかも病院の院長。
この方は多分、周囲に自分と同じだけの能力を常に求め過ぎていたのだと思います。

人を見て法を説け、そんな言葉が有りましたが、間もなく70歳、この先、生涯をかけ、人の道を学んで行くのでしょう!!
その修行を怠ると孤独で寂しい末路を迎えると考えます。
相手又は(第三者)に期待をかけすぎると必ず裏切られる。
世の中に自分の期待に応えてくれる人間が果たして幾人いるでしょう。ほとんど皆無、これが現実だと思います。
病理医だった叔父が昔、よく申しておりました。
最後は自分一人だぞ、その事だけは良く心得て置け!!
院長先生、これから先の人生、仏道の修行も平行して、される事をお勧めしたい。

我欲を捨て、病苦に苦しむ人達の救済のみに心を砕く。

病院経営など優れたマニュアルを使いこなせる、優れた参謀に任せて置けばよい。
優れた参謀は指揮官の一挙手一投足を見て、間違いなく経営をしてくれると信じます。

真木さん、貴女も、そして私も勿論ですが、人の振りを見て、我がふりをも素直になおせる勇気を持ちましょう!


>m,n.様

いつも率直で有意義なコメントをありがとうございます。

大袈裟かもしれませんが、医療は政府が丸お抱えで面倒をみてきた特殊な聖域だと、教育、農業と伴わせてよく言われます。

私が医療現場に関わって、痛感した多くの歪みや、医療を産業として捉えたときに惨憺たると言わざるを得ないような状況・・・。
破綻の危機と直面する多くの病院が存在する現実の中で、生き残りをかけて800数名の職員の生活を守るべく、孤軍奮闘してきた院長の時に稚拙にさえ映るおたけびが何を意味していたのか?
それでも院長のまわりの多くの職員は、鞍馬天狗様のようなワンマン経営者におそらく限りないロマンを感じ、ついていこうとしていました。(たぶん私もその端くれでした)

挫折した私には「もっと何かできることがあったんじゃないか」とか「実はまったく理解していなかったんじゃないか」などという懺悔に近い感情が今なお潜在意識としてあることも事実です。

そんな気持ちから、記憶にある情景をできるだけ正確にここにぶつけて、いつしか感覚が麻痺していたのではという不安もあり、(決して快い読後感でないことは重々承知の上)もし読んでくださる方がいるのなら、どう感じてくださるのか知りたいという思いがありました。

ですから、大変有り難く貴重に思います。

また別の側面から書くこともあると思いますが、これに懲りずにおつきあいいただけるならばとっても幸いです。

会話は常に大切ですね。不快感は真木さんに対してでは無く、
トップに対しての不快感です。貴女の文面から内容は良く理解はしている積もりですが、
この方(院長)は不可思議な部分が多すぎると感じました。
私達も世の中の中小、及び大企業の経営者、また官僚と言われる連中にもそれなりに接して参りましたが、
トップの方は部下に不安を与えぬ様にかなりの気配りをしておりました。
心の平静を保てる様な努力、そんな会話も交わした過去が有ります。
この方がそれ相応の能力、知識、資質を掛け備えておられる事は周知の通りです。
しかし教育は有っても教養は分かりません。
教養のある人は人間のバランスが取れていて、自分の感情をあからさまに部下に出す様な事は有りません。
怒らず、叱ります。

一番たちが悪いのは官僚と言う輩です。
国家が結びつくと総てが悪くなる。そう申したのはフランスの思想家ジャンジャック ルソ-ですが、
政治が官僚に丸投げでは悪の温床は無くなる事は有りません。
現在を語る時は大東亜戦争の完敗、明治維新、幕末の動乱、この頃からの近代史を正確に把握していないと、語る事は出来ないと思います。
何故か、総てはこの国の成り立ちに、また生いたちに原因が内在しているからだと私は考えます。
我が国の様に、長年に渡って不可思議な国家形態、国民だましをしてきた国家は際限なく失敗を繰り返して行くのでしょう。
第二次世界大戦の完敗の原因、責任、誰も取ってはおりません。
要するに責任を取らない、回避する、そしてそれが出来うる国、
悲しいことですが、これがこれが現実です。
そして今、尚その繰り返しを際限なく繰り返しております。
その原因は何か!?
私達はその事に気付かなくてはならないと考えております、、、。


若輩者で経験の浅い、また未熟者の私が述べることは何もないように感じます。

歴史を理解せずに、今を語れない、もっともだと思います。

厚生労働省が牛耳る医療行政は、朝令暮改甚だしいにもかかわらず、先取りしながら、一歩間違えば個人病院は崩壊する危険と隣り合わせに、病院を守り続けてきた成れの果てが、院長の姿なのでしょうか・・・

私はもう遠くから眺めることしかできませんが・・

これからも忌憚の無いコメントや、ご教示を頂戴できれば嬉しいです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

コメントのやりとりを楽しみにしている者です。

m,nさんの訓話のような説教がいい。。
もっと年輩者の経験知を発信する場所があってもいいなあ。。。と