登校拒否 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年02月17日 23:24 |
私は、遠いむかし、むかしの高校時代、
あまり学校に登校しなかった過去があります。
今月初めに京都に帰った折、
高校時代、塾に通っていてお世話になった
先生と電話でお話しました。
私の結婚式(東京)に京都から出席してくださったのが、
お目にかかった最後です。
だから、19年前です。
この先生は、大学浪人中を含めて
大きな支えになってくださいました。
大学受験に失敗したとき、
(後から思えば当然の結末でしたが)
部屋にこもり続けた私を
見かねた母の連絡を受けて、
夜遅い時間だったのに、
自宅まで駆けつけてくださいました。
「そんな状態やったら、この先、受かる学校なんてひとつもあらへんでぇ」
と泣きじゃくっていた私を一喝した先生です。
一番みっともなく、暗く塞いでいた時期に
真正面から向かい合ってくださった先生の姿は、
教育の原点が何なのか
時が経ても変わらぬものを気づかせてくれます。
コメント
登校拒否には色々な問題が有りますね。真木さんにもその様な時代が有りましたか、
私などは恥ずかしながら無欠席、無遅刻、無早退で症状か何か頂いて、これが右,総代ならばと卒業式の当日、下をむいて考えさせられた事を記憶しております。
次回、是非その登校しなかった時代の事をメディカル的立場からお話し下さい。
最近は虐めによる登校拒否、自殺が問題になっておりますが、この問題は凡ての国民一人、一人が正面から向かい合い、考え、討議を要する問題と考えます。
かって虐めた人間、虐めを受けた人間、それこそ貴重な資料を持っているはずですね、、、。
私も中学2年のときなんとなく学校に行きたくなくてよく休んでいました。理由もなく。
本当に“なんとなく”毎日毎日判で押したように同じところに通うことに違和感を覚えたんですよね・・・。
で、休むにあたっては一応病気らしい振りはするものの、母にはわかっていたはず。
大騒ぎせず黙認してくれた(そもそも「学校より大切なものがあれば休んでよい」という持論の)母に感謝しています。
復活した理由は、3年生になったときの担任のひとこと「おまえは本当はいい子なのになー」。
2年生のときの担任とうまくいっていなかったことも学校に行きたくなかった原因だったんでしょうね。職員室でも相当な言われようだったようですから(笑)それに反しての何気ない教師のコメントがいまだに自分の自信につながっています。
>m,n.さま
優等生でいらしたのですね~!
無遅刻、無欠席、無早退は
容易に成し遂げられることではありません。
すごいことです!!
私の場合は、
中学校まで国立の附属で少人数一貫教育を受けて、
突然地元の新設公立高校に入って、友人もできず、そのマンモスな雰囲気に馴染めず、
いつのまにか、塾だけに行くようになっていました。
一種の適応障害とでもいうのでしょうか?
ただ、今回登校拒否を思い出した原因は、メディカル的な要素がなきにしもあらずなので、
改めて書かせていただきます。
>森さま
『なんて、素敵なお母様!!』
と感動しました。
目先の感情を押して、
大きな心で支えることは
なかなかできないと思います。
ささやかな言葉に傷ついたり、
逆に、真心の言葉に背中を押してもらったり、不思議だなあとつくづく感じます。