愛車~出会い~ |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年02月18日 23:14 |
病院に勤務するようになって、
車大好き院長から、
院長が研修医時代から40年以上にわたり
お付き合いのあるディーラーさんを紹介され、
そのディーラーさんが、
長い月日をかけて探してくれ、
オークションで生落としてくれました。
5年前に、4年落ちの中古で購入しました。
病院に転職して、土日の休みなく、
勤務不規則な私に夫が言ったこと。
「病院に行ってよかったことは、
唯一、赤い車がきたことだけでんな」
カーナビがなくても、
CDなくても、
ETCなくても、
燃費悪くても、
電気系統壊れやすくても、
私のお気に入りです。
コメント
とても素敵な車ですね、病院勤めで出会った愛車、一つでも良い思い出に出会えばOK!、、、。何事にも惚れ込める心は大切と思います。
そして惚れ込んだものは大切にしてください。
ク-ぺタイプの様ですが快適なフットワ-クを感じます。
ホイ-ルもスタイリングにとてもマッチしてますね。
私もかって惚れ込んだ車が有りました。
25万キロ位い乗りましたが、有鉛ハイオク、ツインキャブでスピ-ドメ-タ-は240kまで付いておりました。
同じ車を二台乗りつぶしました。
デザイン、性能とも惚れ込んで乗りましたよ。
フットワ-ク、ハンドリングも最高で
昔の旧道、特に楽しかったのは松本から飛騨の高山に抜ける安房峠超えの旧道、ダ-トコースの坂道、S字カ-ブなど車をスピンさせてはしったものです。
その頃はまだ奈川ダムも無く、途中で会うのは松本電鉄のボンネットバスくらい、バックして道を譲ったものです。
仕事の関係も有りましたが、日本列島は九州の先端から北海道、知床、宗谷岬などほとんどの道を走破した、つわものでした。
ちなみに、横浜から下北半島の大間崎までは850キロありますが、高速道路の無い時代、早朝出立、翌朝、6,30分発の函館行きのフェリ-に間に合わすため、
一人で一気に走り通した事も幾度か有ります。
国道は4号をさけ、仙台までは6号を使いました。
朝、三時頃、大真崎の港に到着、車から降りた時、流石に足がよろけましたね。
この様な経験は2~3度有ります。
ちなみに、居眠り運転など一度もした事は有りません。
真紀さんの素敵な赤いク-ぺから、懐かしい話をさせて頂きました。
そうそう、追い越し禁止は常習犯、免停も頂いております。
そうしないと間に合わない事が多かったのでね、
お許しあれ!!
>m,n.さま
お車にまつわるお話ありがとうございます。
25万キロですか・・
高速道路無しで、850キロも壮絶ですね。
拙車をお褒めいただき、
今日のブログの話題を躊躇してしまいました。
ところで、240kまでスピードメーターが付いている車はドイツ車ではありませんか?
高速道路の無い時代に850キロ走破。凄いですね。しかもフェリー乗船とは、まだ道、半ばですね。
私は、東日本は知りません。と言って、西日本も殆んど知りません。が、縁あって、九州は20回ほど往復しましたが、それでも750キロです。阿蘇の外輪山には感動しましたが、中岳のガスには閉口しました。
帰って来て、しばらく走るとオイル交換をするという、これまたおよそローハスとは無縁の行動ですが、なかなか新幹線には転向できません。
女性にうれしい、コンパクトカー。それもいいですね。トントンも一緒でしょうか。2ドアクーペスタイルも、ライフスタイルと共に変わって来ますよ。
>sechanshinchanさま
そうでしたね。
いつも運転は旦那さんだって、
奥方より伺って、遠いのにすごいな~と当時感心しておりました。
トントンはかなり現実的で、
どのメーカーが下取りがいくらで、
値引きがどのくらいか、しっかりチェックしています。
一体誰に似たのでしょう??