成田山

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年03月21日 22:56

日曜日に車がきたので、
成田山に交通安全祈祷に行ってきました。

もともと、成田山のご縁は、
車ではなく、私の病でした。

当時、
父親が急逝し、私が突然発病し、
(まわりは心配のあまりか)
『厄年だからだ』
と言われ、素直に従って
厄払いしてもらったのが、
近場の成田山でした。


成田山.jpg

だから、どうなるというわけではないけれど、
特別な信仰心があるわけでもないけれど、

その後も、
わが家の車が変わるたび、
もう8回も通っているので、
習慣のようになりました。

しかし、

ほんの数分のご祈祷で、
お札とお供物いただいて、
5千円か7千円の2コースからの選択制です。

(もちろん、上限はありません!!
言うまでも無く、私は下の方です!)

なんて、ぼろいのかしら・・・
と感じる私に、ご利益はないのかしら・・?

いえいえ、何はともあれ、
安全運転が一番です!!

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コメント

 そうなんですネ。ご当人は親切心だと思うのですが、聞きたくもない話を人はいろいろ、持ち込んで来ます。
でも『いわしの頭も何とか…』で、お払いで、八方まるく治まるのなら、いいのではないでしょうか。(5K¥は痛いですが)

 ところで、厄年は、いわゆる本厄以外にも沢山あって、丁度、人生の節目的に、なんだかんだと考える事が多いようです。ちなみに、16、25、34、43、52、61歳ですが、みんなサイコロの表と裏の数字の組合せと一致するのですネ。

というのは、お酒でも飲みながらする話のようですが、ん十年前に、ほぼ内定かな、という感触の二部上場の企業を、地元の中小企業にします、と恐れ多くも断りに行った際に、人事担当の方から、『まぁ、あなたもこれから、いろんな節目がやってくると思いますが、しっかりおやんなさい。』というのと一緒に話してくださったことなんです。

そうでしたか、成田山へ出掛けて来られましたか、
確かに鰯の頭も何とかやらで、人間の心の弱さや曖昧さに入り込んで来るのが厄よけとか信心とか宗教関係の色々ですね。
血液型で、また星座でその人の運命がなども同様。

太平洋戦争が始まる前夜、日本のあらゆる神様を総動員して開戦日を決定したと言う裏話が有ります。
結果的には完敗、無条件降伏を致しました。

それだけで日本の神様なるものが、いかなものかが理解できます。

昨今は多少異なりましたが、戦前は記紀(日本書紀、古事記)なるものをこの国の歴史の基本において考え、皇国史観なるものを発明致しました。
この古事記、日本書紀、なるフィクションを真剣に考え千数百年、歴史の根幹と信じ込んできた所に大きな失敗の要因が隠されておりました。

日本の神様達にも大いに関係が有るのです。

明治維新になって佐幕とか尊皇攘夷なる思想、考えの基に貴女のお生まれになった京を中心に殺戮が繰り返され、貴重な、又優秀な幕末の志士、人材が多く命を失いました。
茨城県の水戸はその最大の悲劇を被った地域でも有ります。
何故か、それは日本書紀に記された内容、その後、北畠親房が記した神皇正統記、この書籍が大きな影響を与えてしまいました。
江戸幕府が置かれて間もなく、江戸小石川にあった水戸藩上屋敷で家康の第11子、徳川頼房公がこの神皇正統記を夢中で読み耽ってしまった結果、
水戸藩には尊皇の思想が芽生えてしまった。
しかし、この書物の基をなした日本書紀なるもの、天武天皇の10年、681年頃に編纂が始まり、完成をみたのは720年、約40年の歳月を要しました。
この時、この歴史書の編纂に当たって、間違いを正し、正しい歴史を著すと言うのが建前でしたが、本当の所は正しい歴史的部分を抹殺して、嘘の歴史、フィクションでっち上げしまったようです。
そのフィクションの部分をどうする事も叶わず、神話と言うお伽話に真実を閉じこめてしまいました。

この時、神様達もすり替えられてしまって、現代に至っている様です。
有る書物に、この様な文章が有ります。
現代の日本人の凡てが正しく日本を学び、日本と言う国を冷静に正しく見つめ直す事が肝要であると信じています。
この国の混乱の原因の一つが私達に日本の歴史が正しく伝えられていない。
その結果として未だに日本人としての精神的な自立や価値観の確立がなされていない。

また他の書籍にはこの様な名文面が観られます。
これをお書きになられてのはNHKの大河ドラマなどで時代考証をされて来られた名和弓雄先生、、、。
日本史と東洋史と西洋史の読後の感銘度をそれぞれ比較してみた。
感銘の一番少ないのは日本史であった。
理由は勝った側の都合の良い様に書き改められた信じられない嘘の記述があまりにも多い、、、。
名和先生にはかってお世話を頂いた事が有ります。
この様な歴史的真実を知ると、今まで制作されてきた巨匠と言われる監督の映画なども、歴史的には論外になつてしまいます。

そこで私達が詣でてきた神様達も天武時代にすり替えられて、全く別の人物が鎮座されている事実が多い様です。
日本史はその始まりからある重要な人物を歴史から抹殺し、別の人物とすり替えてしまっている事実がある様ですね。
現に古事記、日本書紀、編纂の時、二神社、十六家の系図を没収し抹殺した様子、
歴史の最初から嘘で固められた国家、
いくら神様を総動員しても戦争に勝てるはずがない。

と、言う私も若い時代は武士道的思考を背景に、正月の元旦には鶴ヶ丘八幡宮(鎌倉)に詣でていた一人なのでした、、、、、、。

鰯の頭も信じんから、
確かに何事も信じて疑わぬ心は屈強の部分を感じますね。

邪馬台国論争も既に遠い昔から京大、東大の両教授が北九州、大和説などで論争を繰り返して参りましたが、
正直なところ、全然違う地域にきちんと存在をしているのですね。
魏志倭人伝に記されている通りの卑弥呼の墓も別名で存在しているし、その墓は現在宮内庁できちんと管理をしております。
私もかって二度ほど足を運び、辺りの古墳群を散策調査した事が有りますが、納得が行きました。

国家と皇室では全く別個にお参りや鎮魂祭を行っている様子、

もし興味をお持ちの方は昭和53年発行、原田常治著、古代日本正史、上代日本正史の二冊の著書を熟読されたし。
帝国大学系の戦前の歴史学者の無能さが良く理解できます。

将に目から鱗が落ちる事でしょう!!


   


> sechanshinchan さま

コメントありがとうございます。

わぁ~、ほんとだ~
足したら全部7だ!!と発見でした。

いつまでも心に残るお話をしてくださった人事担当の方、さすが人事と感心しました。

>m,nさま

鬼気迫る気合入りコメントをありがとうございました。

日本の神様達や、京都や水戸のお話は存じませんで、興味深いです。フィクションの神話は、グリム童話に響き合うものを感じてしまいました。

宗教や神様が、病や困難を取り除いてくれるとは思いませんが、
心の拠り所というか、信じられるものの存在は、
安らぎや癒しになることもあるとは思います。
まさに『屈強』!!と納得いたしました。

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