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Top >連載ピックアップ > 真木魔愛の病院ウラの四方山話> 琵琶湖にて
7時間弱のドライブで 到着したのは ここです。
琵琶湖ホテル。
法事の前、 一年ぶりに 親族が集いました。
夕飯は、鉄板焼き
久しぶり?にお肉を食べました。
子供たちがどうしても 一緒の部屋で寝たいというので、
妹夫婦と同室で眠ることに・・・
それぞれ 気になるのが 睡眠時無呼吸症候群。
先に寝たもの勝ち!
というわけで、
今晩も早めにおやすみなさい。
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今日もとってもいいお天気でしたね暖かいを通り越して、日中は暑かったです。今日は、随分長い距離をサイクリングしました。ひとりで自転車でこんなに遠出をするのは... 続きを読む
いびきによって睡眠が阻害され、さらに呼吸が止まっているような状態が確認されて、長... 続きを読む
ロングドライブ、お疲れ様です。帰り道も、お気を付けて、早めの休憩を心がけてください。
美味しそうですね。近江牛でしょうか。目の前で焼いてくれると、食欲倍増ですね。
法事ですか、ご苦労様、四月から新しいお仕事と申されておりましたので、その前の気晴らしかなと勝手に想像いたしました。 琵琶湖と聞くと、かの有名な琵琶湖周航の歌を思い浮かべます。 美しくも悲しい歌です。 その次に思い浮かぶのは、琵琶湖疎水、京の何処かお寺さんの境内を煉瓦積みの水道橋が横切っておりましたね。 東海道本線が開通した当時、鴨川を斜めに渡ると汽車は大きく右に折れ、現在の奈良線の線路、第二線を暫く走って左に折れ、名神高速道路に沿って走り、大津に抜けておりました。
京都を出た汽車は最初稲荷駅、旧山科駅、大谷駅で停車、旧線跡は高速道路の建設で大半が失われてしまいましたが、大谷駅を出ると間もなく逢坂山トンネル(現在内部は京大の地震研究施設に使用)抜け、大津に抜けておりました。 京都市内と琵琶湖の高低差は45メ-トルだそうです。 大津に出た東海道本線は此処から琵琶湖を渡る汽船で湖上連絡をして、長浜に渡り、これより関ヶ原に向った様です。 大津~長浜間の湖上連絡には二時間を要したと有ります。 しかしこの琵琶湖の湖上連絡も米原までの鉄道工事が完成、明治22年以降は今日の本線を利用しております。
琵琶湖にて、と言うタイトルから東海道本線開通時のお話しの一部をさせて頂きました。 悪しからず!!
四月からの新しいお仕事、ご健康に充分お気づかい頂き、前向きにご努力下さいませ。
m,nさん、こんにちは。横取りコメントですみません。
煉瓦積みは、南禅寺の水道橋ですね。ご存知かも知れませんが…。 これから、桜だ、つつじだ、と咲き乱れる いい季節になってきます。 が、京都人ながら未だ行ったことがありません。 京都はインクラインだ、水力発電だ、それを利用した市電だ、と先人は先取の気風 著しく、技術、文化のリーダーシップを取ってきましたが、最近はおとなしいようです。京都人が直接、何かをしなくても、コーディネータとして、場を提供する、などいろんな形が考えられると思います。応援宜しくお願いします。
セッチャン、シンチャン。チャンと敬語が用意されておられるので、以後も様は敢えて省かせて頂きます。
早速にご紹介を頂き有り難う御座います。 あのお寺さんは南禅寺でしたか、 もう、随分昔になってしまいますが、平安神宮と市立美術館を訪ね、そのまま山の方に散策して参りました所、偶然見つけたお寺さんで、大きな木立に囲まれた境内に突如、現れた水道橋、その異様さに一体何かと思いました。 幸い能書きが有って得心致しましたが、琵琶湖から水を京都市街に引いたのですね。 当時、何とも素晴らしいと感動致しました。
私も半分は京都人の血をひいております。 父親はれっきとした京都生まれ、京都育ち、京都の美術学校で日本画を学びました。 その様な分けでお墓もとりべ山にあります。 生まれたのは伏見区のお稲荷さんのちかくですね、、、。 しかし昭和19年、レイテで戦死を致しましたので、京都は遠い場所になってしまいました。 毎年、大谷さんへ冥加金だけを納めさせて頂いております。 偶然、真木さんの母方と墓所が一緒だったりで、魔愛ちゃんとは縁が有ったのだと未だに思っております次第。
京都にお住まいだったら、是非、南禅寺はおろか、史跡巡りをなさって下さい。 灯台もと暮らしではもったいない。 素晴らしい歴史と文化が有るのですからね。
>sechanshinchanさま
コメントありがとうございます。
近江牛ですョ~! 端に写っている、わさびを少しのせていただくと、とろけるような食感が何とも言えず・・・
帰りは、雨が降っていたので、結局全部夫が運転しました。 「九州まで、いつも全部運転しはんねんでぇ~」とsechanshinchanさんのお話を引き合いに出し、楽をして帰ってきました・・
次は、もうちょっとゆっくりしたいです。(と、いつも言ってます)
>m,n.さま
東海道本線開通のお話、興味深いです。そうだったのですね。 いつも詳しい歴史をお教えいただき、ありがとうございます。
琵琶湖からの帰り、東山、大谷さんから、平安神宮、京都市美術館、京都会館などを通って、嵐山に抜けました。 平安神宮の鳥居が、綺麗に塗り替えられていてビックリでした。
気がつけば、人生の半分近くが関東暮らしになってしまい、京都は実家の周りぐらいしかわかりません。 勿体無いなあと思います。
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コメント
ロングドライブ、お疲れ様です。帰り道も、お気を付けて、早めの休憩を心がけてください。
美味しそうですね。近江牛でしょうか。目の前で焼いてくれると、食欲倍増ですね。
法事ですか、ご苦労様、四月から新しいお仕事と申されておりましたので、その前の気晴らしかなと勝手に想像いたしました。
琵琶湖と聞くと、かの有名な琵琶湖周航の歌を思い浮かべます。
美しくも悲しい歌です。
その次に思い浮かぶのは、琵琶湖疎水、京の何処かお寺さんの境内を煉瓦積みの水道橋が横切っておりましたね。
東海道本線が開通した当時、鴨川を斜めに渡ると汽車は大きく右に折れ、現在の奈良線の線路、第二線を暫く走って左に折れ、名神高速道路に沿って走り、大津に抜けておりました。
京都を出た汽車は最初稲荷駅、旧山科駅、大谷駅で停車、旧線跡は高速道路の建設で大半が失われてしまいましたが、大谷駅を出ると間もなく逢坂山トンネル(現在内部は京大の地震研究施設に使用)抜け、大津に抜けておりました。
京都市内と琵琶湖の高低差は45メ-トルだそうです。
大津に出た東海道本線は此処から琵琶湖を渡る汽船で湖上連絡をして、長浜に渡り、これより関ヶ原に向った様です。
大津~長浜間の湖上連絡には二時間を要したと有ります。
しかしこの琵琶湖の湖上連絡も米原までの鉄道工事が完成、明治22年以降は今日の本線を利用しております。
琵琶湖にて、と言うタイトルから東海道本線開通時のお話しの一部をさせて頂きました。
悪しからず!!
四月からの新しいお仕事、ご健康に充分お気づかい頂き、前向きにご努力下さいませ。
m,nさん、こんにちは。横取りコメントですみません。
煉瓦積みは、南禅寺の水道橋ですね。ご存知かも知れませんが…。
これから、桜だ、つつじだ、と咲き乱れる いい季節になってきます。
が、京都人ながら未だ行ったことがありません。
京都はインクラインだ、水力発電だ、それを利用した市電だ、と先人は先取の気風 著しく、技術、文化のリーダーシップを取ってきましたが、最近はおとなしいようです。京都人が直接、何かをしなくても、コーディネータとして、場を提供する、などいろんな形が考えられると思います。応援宜しくお願いします。
セッチャン、シンチャン。チャンと敬語が用意されておられるので、以後も様は敢えて省かせて頂きます。
早速にご紹介を頂き有り難う御座います。
あのお寺さんは南禅寺でしたか、
もう、随分昔になってしまいますが、平安神宮と市立美術館を訪ね、そのまま山の方に散策して参りました所、偶然見つけたお寺さんで、大きな木立に囲まれた境内に突如、現れた水道橋、その異様さに一体何かと思いました。
幸い能書きが有って得心致しましたが、琵琶湖から水を京都市街に引いたのですね。
当時、何とも素晴らしいと感動致しました。
私も半分は京都人の血をひいております。
父親はれっきとした京都生まれ、京都育ち、京都の美術学校で日本画を学びました。
その様な分けでお墓もとりべ山にあります。
生まれたのは伏見区のお稲荷さんのちかくですね、、、。
しかし昭和19年、レイテで戦死を致しましたので、京都は遠い場所になってしまいました。
毎年、大谷さんへ冥加金だけを納めさせて頂いております。
偶然、真木さんの母方と墓所が一緒だったりで、魔愛ちゃんとは縁が有ったのだと未だに思っております次第。
京都にお住まいだったら、是非、南禅寺はおろか、史跡巡りをなさって下さい。
灯台もと暮らしではもったいない。
素晴らしい歴史と文化が有るのですからね。
>sechanshinchanさま
コメントありがとうございます。
近江牛ですョ~!
端に写っている、わさびを少しのせていただくと、とろけるような食感が何とも言えず・・・
帰りは、雨が降っていたので、結局全部夫が運転しました。
「九州まで、いつも全部運転しはんねんでぇ~」とsechanshinchanさんのお話を引き合いに出し、楽をして帰ってきました・・
次は、もうちょっとゆっくりしたいです。(と、いつも言ってます)
>m,n.さま
東海道本線開通のお話、興味深いです。そうだったのですね。
いつも詳しい歴史をお教えいただき、ありがとうございます。
琵琶湖からの帰り、東山、大谷さんから、平安神宮、京都市美術館、京都会館などを通って、嵐山に抜けました。
平安神宮の鳥居が、綺麗に塗り替えられていてビックリでした。
気がつけば、人生の半分近くが関東暮らしになってしまい、京都は実家の周りぐらいしかわかりません。
勿体無いなあと思います。