まだ早かった

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年04月01日 22:29

嵐山の桜は、2~3分咲きでした。

父親の命日は4月13日で、
12年前のこの日の深夜、
つくばから5時間半のドライブで帰りました。(過去最短記録)

途中、夫と運転を交代したとき、
リウマチ発病間もない私は
こわばりがひどく、
シートベルトを自分で締めることができませんでした。

それでも、

嵐山の渡月橋を挟む夜桜は、
素晴らしく綺麗でした。

桜渡月橋.jpg

父が、心筋梗塞の発作で急逝する数日前まで、
電話で普通に話していたので、

本当に父が死んだこと、
父がこの桜を二度と見れないことが、
信じられませんでした。

実家に着いて
父の冷たくなった手を握って、
初めて死を実感しました。

でも、その時の私には、
悲しみよりも
畳に跪くことや、座ること、
とにかく同じ姿勢でいることが
痛くて辛かったことだけ今も強く残っています。

自分の身体が痛いことだけで
頭がいっぱいになることが、
父の死よりも哀しかったです。

桜の開花には、少し早かったですが、

愛宕山.jpg


愛宕山を背景に、菜の花は満開でした。


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コメント

辛かったですね。何も言えません。

ピョコンと頭 一つ飛び出ているのは、
確かに愛宕山ですね。
醍醐の桜は満開でしたよ。

春になりましたね。四月と聞けばやはり寒くとも春です。
文面を拝読させて頂き、何も語らずとも、その心境の一々が理解できます。
経験なき者にはなかなか理解は難しいとおもいますが。
人生は本当に予期せぬ事が起こりますし。思った様には参りませんね。
うまく行かぬのが人生で有ると言う人もおります。
確かに、、、、。
先日、良寛和尚の事を少し記しましたが、
あの釈尊(お釈迦様)でさえ最愛の弟子を失った時は見るに忍びぬほどやつれたと伝っております。
ましてや身体が本当に難儀の時は自分を取り巻く総てを、感覚の中で捉える事など出来ようはずがありません。
それは本当の事だと思います。
人間の素晴らしい部分はそんな経験から第三者に対する慈しみの心が生まれると言うことですね。
昔、こんな言葉が有りました。
運命も偶然も如何なる星も、成功と失敗を支配しない我々の手以外は何ものも、、、。
人生の可能に対する果敢なる挑戦を致しましょう。

北関東の春はこれからです。
短い桜花の季節を何事も忘れて、しばし、華やいだ気持ちになって下さるよう!!

>sechanshinchanさま

コメントありがとうございます。

昨日のぽかぽか陽気で一気に
満開になりすね。

> m,n.さま

思うようにいかなくて当たり前と思えば、小さな達成感や優しさが、ものすごく有り難く、愛おしいものに思えます。

今日は、こちらの桜も8分咲きでした。
気持ち新たに、できることを、ひとつずつ、、、ですね。

お心尽くしのお言葉を、いつもありがとうございます。

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