一病~リウマチ~息災徒然ノート 4 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月04日 22:31 |
最初の入院 1
MTXの劇的効果ですっかり発病前の生活に戻ってから半年後の1995年10月半ば、
一週間微熱が続いて、食欲不振と重い倦怠感に風邪をこじらせたのかなと思っていました。
それでも仕事も学校も休まず通いました。
一週間後の日曜日の夜、
今度は強烈な悪寒が走り全身がぶるぶる震えました。
厚い掛け布団を何枚被っても痙攣したような震えが止まりません。
「救急車を呼ぶか?」
という夫に、
「明日の朝、外来なので大学病院に行く」
と答えるのが精一杯。
救急車だと、どこの病院に運ばれるかわからないと、当時の私には漠然とした不安がありました。
自分のカルテのある大学病院で診てもらうことが一番と信じていたのです。
体温は40度近くありました。
翌朝、
夫の運転で大学病院外来に駆け込みました。
私の様子がよほど尋常ではなかったのでしょうが、
予約の時刻を待たずに緊急で血液検査をしてもらいました。
外来のソファに倒れこむように待つこと1時間。
血液検査の結果は、
白血球の異常減少で (おそらく1000/μl 以下、3桁だったと記憶しています)
「とにかくすぐ入院、このまま入院、今家族は誰かいますか?」
といつも冷静で無表情の鈴木先生が少し興奮気味でした。
鈴木先生は私にいくつか病状について質問しながら、
同時に内線電話で、
「ベッドの空きは?個室でもどこでもいいから、外来から急患一人・・」
と病棟にベッドの手配をされている様子です。
私は、内心
(入院なんて何て大袈裟な・・・) と思う反面、
(これで助かった・・)
と一抹の安堵を感じました。
看護師さんが車椅子を手配し、
若い女性医師が病棟から降りてきて
「主治医になる久野です。
まず原因を調べるために、いろいろと検査をさせてください」
と挨拶がありました。
私は頭を垂れて応えようとするのですが、
実際はほとんど言葉が出ないほど衰弱していました。
待ち時間をもてあまし、売店で漫画を買ってきて暇つぶしに読んでいた夫が、
鈴木先生の説明を聞いて少し困惑の様子でしたが、
淡々と入院窓口に向かい入院手続きと、
車で5分の自宅にもどってパジャマや洗面具など必要最低限の品を取りに帰りました。
私は、病棟に直行ではなく、
車椅子のままでエックス線や腹部超音波エコー、心電図など検査をしました。
看護師さんが車椅子を押して案内してくれるので、待ち時間はゼロにもかかわらず、
それぞれの検査で指示通りの体勢をとることが、やたらしんどくて辛かったです。
最後に病棟に上がって直ぐ前のナースステーションで、
直径3センチほどもある注射器に畳を縫うような太い注射針で、
久野先生自ら、私の左手を握り締めて、たたき出すように血管を浮き立たせて採血し、
そのままその針は注射器と分離して、点滴の管につながれました。
こうして、あまりにも突然に、私の初めての入院生活は始まりました。
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コメント
真木様
連載、毎回楽しみにしています。
いまは病状も落ち着いていらっしゃるようにお見受けしていましたが、当時は大変な思いをされたのですね。
ご自分の病気を振り返るのは、辛い部分もあると思いますが、続きがとても気になりますので、よろしくお願いします!
本当に続きが気になります。
よろしくお願いします。
>森まどか様、川口様
読んでいただいて、コメントありがとうございます。
書き始めてはみたものの、思い返すほどに憂鬱気味で、継続できるかなと弱気になっておりましたので、とても励みになりました。
また、森まどかさんの、闘病連載は何度も拝読し、改めて大変勉強になりました。
ありがとうございます。