一病~リウマチ~息災徒然ノート13

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年08月21日 22:59

復帰4

「何としても子供がほしい、
養子縁組してでも」

夫の強靭なまでの願いと、
私が描くささやかな未来図には、

どうしても埋まらない溝があり、
それはどんどん深くなりました。

夫と出合ってから10年以上の年月、
常に寡黙なパートナーでいてくれるのをよいことに、
私は自分だけの将来に向けて、
自由な選択をし、
その展開と実現のために
好きなようにやってきました。

「結婚式を挙げた後は、
京都で仕事を続けるから別居する」

「転職直後で、ドイツには一緒に行けない、
一人で行って」

「資格を取りたいから、週末は専門学校に通う」


何かにつけて、この調子でした。

相手の負担など考えもしないで、
家事が疎かになっても、私の帰りが深夜になっても、
小言を食らった記憶もなく、
それを申し訳ないと思ったことさえありませんでした。

その上、
リウマチを患ってからは、
不自由になった日常雑事を
当然のように介助してもらいました。

さらに私の入院中、

夫は汚れ物の洗濯をはじめ家事全部を引き受け、
毎日仕事の合間を縫って病院に通い、
時間を割いて柏まで授業のカセットを借りに行き、
食べたいものなど、

私の我侭を全部かなえてくれました。

それなのに、

「新聞を持ってくるのを忘れた」

「病院に来る時間が遅い」

「言ったのと違うピアスを持ってきた」
(*入院中にピアスが必要だったのは、
つけていないと、せっかくあけた穴が塞がってしまうからです)

「メロンの切り方が大きくて食べにくい」

「(夫が作って持ってきた)
焼きそばの味付けが薄い」

私は際限なく文句を言って
八つ当たりしました。

感謝の言葉どころか、
妻が突然リウマチになった上、
入院騒動に巻き込まれた
夫の立場や気持ちなど
全く考えていませんでした。

退院後、
身体を心配するあまり、母に

「仕事を辞めて」

と言われ続けることに、
私は辟易していました。

私が言うことを聞かず無視するので、
母は夫にまで

「どうして辞めさせてくれへんの!!」

と怒り出す始末でした。
母のとばっちりを受けても、
夫は黙って聞いていました。

毎年、お盆とお正月は
二人揃って京都で過ごし、
夫は、関西方面の出張の度、
実家に単身で滞在するのが習慣になるほど、
母とは、ずっと良好な間柄だったので、
それがぎくしゃくしてゆく険悪ムードを感じるにつけ、
(自省の念は微塵もなく、)

私はひたすらリウマチを恨みました。

そんな夫が、

子供に関してだけは
強い主張で譲歩しないことに
私は慄きました。

<<前の記事:見せしめ?    一日乗車券:次の記事>>