一病~リウマチ~息災徒然ノート21 |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2007年09月05日 18:21 |
出産後のリウマチ4
1998年8月
職場復帰を控え、
子供は無認可保育園に入りました。
年度初めではないので、
1歳児の公立保育所入所は
まず不可能です。
でも、
子供が入園した無認可保育園は、
お昼寝の布団干しも
洗濯も
全部保育園でやってくれました。
(つまり週末自宅に持ち帰る必要がなく、
大きな荷物が持てない私には
誠に有り難いサービスだったのです!!
ということに、
三年後に公立保育所に変わってから、
気づいたのでした)
さらに、
夜8時まで延長保育が可能でした。
(公立保育所は夜7時まで)
育児休暇中から、
通院日は保育サポーターなど
市や県の子育て支援サービスを受けて、
保育園だけでなく、
複数の保育サポートサービスを綿密に調べ、
復帰への体制を整えました。
しかし、
実際仕事に復帰すると、
毎日が綱渡りでした。
京都の母は、
ジパングカード(東海道新幹線のシニア割引チケット)を
使い切るほど
通ってくれました。
孫の世話だけでなく、
月に数日滞在して、
重労働の家事を助けてくれました。
還暦を過ぎた母に
随分負担を強いていたと
申し訳なく思います。
夫は保育園の送迎はもちろん、
子供の発熱時や、
予防接種が間に合わない期間に
保育園で水疱瘡をもらってきたときも、
有給を使い
ずっと看病していました。
早めに帰宅し、
子供をおんぶ紐で背中に寝かせながら
自宅で仕事をしていました。
が、何しろ出張が多いのです。
年に数回の海外や、
完成した施設の供用開始直後の
SPring8への出張が頻繁で、
どうしても滞在期間が長くなります。
そんな期間は、
保育園の保母さんが、
早朝自宅に迎えに来て、
子供を抱き起こし、
寝室の2階から1階に下して、
身支度を手伝ってくれました。
夜も、
保育サポーターさんの自宅で
預かってもらいました。
個人的に依頼する保育については、
社会福祉協議会規程の約二倍の金額(時給1500円位)で、
薄謝をお渡ししていましたが、
そんな金額では報いきれないほど、
我が子や、自分の孫のように
愛情を注いでくださいました。
「お母さん、食事まだでしょ・・」
と、私の晩御飯まで、
パックに詰めていただいたことも度々でした。
それでも、私は体調が悪化し、
仕事に支障が出そうになると、
「貴方が望んだ子供だから、
出張にも連れて行って!!」
と
夫には、無理難題を吹っかけました。
この頃、
夫は1999年4月から、
霞ヶ関勤務の内示を受けていました。
在外研究後は、研究業務を離れて約一年間
つくばの研究所で企画室勤務か、
霞ヶ関の本庁勤務かは、
内々では『ご奉公』とも言われていて、
逃れることのできない
キャリアパスのひとつです。
夫は事前面接で、
本庁勤務は、
連夜(交通機関がなくなり)タクシー帰宅の午前様が常、
だと承知の上で、
『定時で仕事は終える』
と前代未聞の宣言をし、
後日、
先方が内示を取り消し、
別人に決まりました。
もし、この時期夫が東京勤務を受けていたら、
私は間違いなく仕事を続けることも、
子育ても成り立ちませんでした。
私も休日の子連れ出勤や、
日々の離乳食作り、保母さんとの連絡ノートなど、
最低限の子育てに係わりましたが、
基本的に
安心できる場所や人に子供を預ける知恵を絞り、
それが実現するとホッとするような、
そんな母性愛欠如の母親でした。