ALS患者会の集いに参加しました☆

投稿者: | 投稿日時: 2007年11月12日 17:36

こんにちは☆ませい@脳外科実習中です。
先日、ちょうど神経内科の実習が終わった日の夜に、日本テレビのMさんのご好意で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という神経難病の患者さんの集いに参加させていただきました。
神経内科の実習は2週間あって、さまざまな神経難病の患者さんをみさせていただき、正直神経内科はカンペキに理解したつもりになっていました。
集いのお部屋に入って3分して、それが「わかったつもり」だったことに気付きました。

集いは都内某所のマンションの一室で、いわゆる「飲み会」でした。闘病中の方は二名で、ALS協会会長の橋本操さん、そして北海道からいらした渡部哲也さん。でも彼ら以外にも十人くらい人がいて、なんだかとても温かくにぎやかな雰囲気でした。
僕が横から橋本さんに挨拶すると(車椅子が机に向いていたので横にしか入れなかったのです)、橋本さんはにっこり笑ってくれました。その笑顔がとてもキュートで、僕は(それまでかなり緊張していたのですが)気持ちが和らぎました。

ここでALSについて医学生なりに解説すると、脊髄の前角というところの細胞が変性してしまう進行性の疾患で、つまりは全身の筋肉がだんだん動かなくなっていってしまう難病です。筋力の低下は手足から始まり、だんだん会話も障害され、呼吸筋が障害されると自力で呼吸が難しくなってしまいます。そうすると気管切開をして、人工呼吸器を装着しての生活になります。ただ、人工呼吸器をつけての生活を選択されず、自力呼吸が出來なくなった時点で積極的治療を止められる患者さんもいらっしゃるそうです。

さて、僕がビールをいただいていると、ふと耳に聞きなれぬ音声が聞こえてきました。
「おこそとのほもよ・・・おこ・・・こ?・・・あか・・・あかさたなはまやら・・・」
ん?なんじゃこれは。
よく見ると、橋本さんの口元がピクピク動いています。時折まばたきがあります。隣に座っている人が橋本さんの発言を読み取っているようです。でも橋本さんの唇の動きが小さくて、僕には何も理解できませんでした。
15秒ほどして、「横からだと見えないから前からしゃべってって」と読み手の方に言われました。
あ、そうか、僕のこと話していたのか。ごめんなさい、橋本さん。それにしても、どうやって話を伝えているのですか?

読み手の方が解説してくれました。まず橋本さんが母音の口の形を作ります。そうすると、どの「段」の音を言いたいのか分かります。あとはその段の音を順番に言っていくと、橋本さんがいいたい音のところに来たときにまばたきをします。その音をつなげていくと文ができるわけです。なるほど~!
このコミュニケーション法は、その場にいるみんなが当たり前にやっていたので僕はびっくりしてしまいました。
冒頭に、「わかったつもり」だったと書きましたが、要するに僕は患者さんの日常生活についてまったく知らなかったのです。ある病気の「症状」「客観的所見」「メカニズム」は分かっても、その病を得た人が、どう食べ、どう飲み、どう趣味をし、どう話すのか。そんなもろもろは回診についていっても分からないなあと(そして病室では患者さんの活動がとても制限されているんだなあと)しみじみ感じました。
失礼な話ですが、僕はALSで気管切開をしている方が飲み会をしていることにすら感動していました。
どこかで読んだ話で、他人の助けをかりなければできないことばかりだけれども、逆に言えば他人に手伝ってもらえればできることはたくさんあるんだ!という台詞が頭の中に焼きついているのですが、まさにそれだなあと感じました。

もう一つ印象的だったのは、その場にいる誰が橋本さんの家族で、誰が渡部さんの家族で、誰がヘルパーさんなのか分からなかったことです。というかそんなこと聞くの野暮だろ?ってくらいみんな同じように接しているのです。
改めて、介護ヘルパーがどれだけ患者さんにとって大切で、つながりを築くのが大変で、代替困難な存在かを知りました。これで薄給だったらなんか世の中間違ってると思います。でも人と人とのつながりってお金で評価しづらくて、お金以外の価値の指標、前にブログに書いたsocial capitalの評価の指標が必要だなと思いました。

楽しく宴会をさせていただいたのですが、そろそろお開きという時に渡部さんが是非言いたいことがあると口を開きました。「自分を『患者』として見ないでほしい。自分は生活しているひとりの人間であって、病気だけを見ないでほしい。それを分かってくれる医者とそうでない医者はまったく違う。」
迫力がありました。渡部さんは気切はされていないので、言葉にはなりませんが声を出すことは可能です。表情も豊かなので、僕にもお気持ちがじんと伝わってきました。

例えば長期入院をしている患者さんは、とちゅうから「病人になったと感じる」とおっしゃいます。病院にいると自分の趣味や、仕事や、いつも飲んでる友達という「自分」の構成要素が剥ぎ取られて、病院パジャマを着てベッドに横たわり検査データなどで「病気」の推移を観察されることがアイデンティティになってしまいます。僕が将来病院を作るなら、慢性的な病気の場合は少しでも病院生活が日常生活の延長上に乗るようにしたいと常々思っていますが、病院の機能を考えるとなかなか難しいことも多いです。
渡部さんの渾身の訴えが僕の脳裏にしっかりと焼きついたので、今後その姿がフラッシュバックするごとに「人間を診る」医師であるかどうかを自分に問いなおすことになると思います。

渡部さんのご好意で、僕と渡部さんと、奥さん、娘さんの彼氏(彼氏さんが介護をしているのです!しかも彼は僕より4つほど年下。。。)のお写真を掲載させていただきます。てっちゃん、奥さん、やまちゃん、ありがとう!

橋本さんに紹介していただいた「ALSケアブック」の序文で、橋本さんは今、生きていて毎日がとても楽しいと書かれています。もちろんすべてのALSの方が橋本さんや渡部さんのようによき家族とヘルパーさんに出会えているわけではありません。でも渡部さんと奥さんは「行政が動かないなら自分たちでやるしかない」と、ヘルパーの教育まで行うような組織を北海道に初めて作られました。これからもっと介護が充実して、たくさんの患者さんが気管切開をしても周囲の支えで楽しく生きていけるようになってほしいと願います。

もし書き方が傲慢だったらごめんなさい。ご指摘いただければうれしいです。

Matthew

<<前の記事:そして、協議会速報    産科救急懇話会:次の記事>>

コメント

須田さんの一生懸命さがブログからよく伝わってきます。

患者さんの立場になって診療できるお医者さん(もちろん沢山いらっしゃいますが!)がもっともっと増えるといいのに~とつくづく思います。

KHさん

コメントありがとうございます☆
お返事遅くなってすみません。

患者さんの立場に立つということはなかなか難しいですが、努力していきます。
先日精神科の実習で患者さんが、「精神の病気になった人の気持ちは精神病になってみないとわからないよ」と、絞り出すようにおっしゃいました。
確かにご本人の気持ちは他人には理解できないかもしれませんが、つらいときにそばにいて支えてあげられる存在になりたいと思います。

Matthew

コメントを投稿


上の画像に表示されているセキュリティコード(6桁の半角数字)を入力してください。