JMM 読者投稿編:Q:901への読者からの回答

投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2008年03月17日 21:24

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JMM [Japan Mail Media]                 No.470 Extra-Edition3

【Q:901】

 経済合理性の観点から考えて、医療費を上げずに、地域医療の疲弊と崩壊を防ぐ方
法というのはあるのでしょうか。

                                  村上龍
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 ■読者投稿:中村利仁


 御質問は、医療への支出を現状に抑えるか、あるいはむしろ削減することによって、
一般的な医療サービスの供給がニーズに対して充分な水準にあるように維持する経済
合理性な方法があるか否かということになるだろうと思います。

 回答としては、可能性はあるが有効性が証明された方法はあまり多くない、という
事になるだろうと思います。

 経済合理性ということであれば、本来、まず全体の中で医療サービスにどれほどの
資源が投入されるのが適当であるのかが議論されなければなりません。ご質問では
「医療費を上げずに」という前提条件がありますから、これは費用を通じた資源投下
の増大は何らかの理由で経済合理的でないと考えているわけです。

 ここで「費用を通じた」という点がポイントになるかと思います。長野モデルとし
て知られる広範な地域保健活動では、食生活をはじめとした日常生活の改善のための
教育に費用と人員が投入され、医療費増はせいぜい予防接種や健康診断などの1次・
2次予防医療に限られます。

 言うなれば、病気にならないための努力に機会費用や医療費以外の費目を投じてい
るわけです。その代わり、結果として短期的にも中期的にも、県民一人当たり医療費
は他の都道府県に見られないほど低減されています。これが第1の方法でしょう。…
ただし、今後の急速な高齢化によってもやはり医療費が増加しないか否かは未知の領
域です。

 次いで、投入済みの資源配分の最適化によって一般的な医療サービスの相対的供給
水準を維持できるかということを検討する必要があります。言い換えれば、どこかの
医療サービスからこっそり手を引くことによって、見た目の供給水準を維持増強する
ことを検討するわけです。

 ところで、地域医療というと国民一般に僻地離島の医療を思い浮かべる方が多いか
と思いますが、戦後60年、僻地離島の医療は崩壊する余地があるほど供給が充分で
あった験しがありません。

 現在、医療サービスの供給不足が深刻化しているのは、最小でも人口数万の町から
首都東京の中心部に及ぶ、町の医療、大都市の医療です。それは人生の中に避けがた
く出現する類の致命的な病気との闘いの場であるということでもあります。

 医療サービスは保存が利きません。一人の医師あるいは看護師は、同時に二人の患
者さんに対することができません。逆に、致命的な状況では多数の医師や看護師達が
同時に一人の患者さんのために立ち働くことが必要です。また、刻一刻と病状が進む
中での診察や治療は常に一発勝負で、やり直しや先送りができません。

 これはそのまま医療サービスの稼働率向上が困難であるという特性を意味します。
供給側のムダを省くということが難しいのです。無理をすれば、急変した入院患者さ
んや救急車に乗せられた患者さんが、診療の順番待ちで死んでしまうという現象に直
結します。

 いま丁度、多くの都市でこういう事態が当たり前になりつつあります。

 ただし、よく考えれば、以前も相対的医師不足の状況に変わりはなく、むしろ、不
足は深刻であったはずです。それなのに医療サービスの供給不足が近年急に深刻化し
たように見えるのはなぜでしょうか。

 自分は外科医出身ですが、自分が駆け出しであった頃、田舎の病院での重症外傷や
潰瘍の穿孔、腹腔鏡下胆嚢摘出術などは、自分で全身麻酔をかけ、自分で執刀したり
助手を務めたりしたものです。
 今ではとても許されないことでしょう。

 日本の医療水準が向上したことと背中合わせに、高度な麻酔技術を持つ麻酔科医の
必要数が急増し、また、手術のできる病院の数が激減しました。麻酔科医がいなくて
手術のできない病院からは外科医もいなくなり、あるいは手術をしない外科医として
遊兵と化しています。

 他の診療科の多くでも、より複雑な形で専門分化による非効率性の増大が起きてい
ます。

 ここで、医療水準の低下を甘受することの可能性に気づきます。医療水準を犠牲に
すれば、資源配分の非効率性を回避して供給不足を軽減するという第2の方法が考え
られるということです。

 ただし、国民は医療水準の低下には否定的な様子ですし、専門分化そのものには肯
定的ですから、実現可能性はほぼないだろうと考えます。

 また、以前、医療紛争に詳しい弁護士の井上清成先生の御講演を拝聴したことがあ
りますが、井上先生は医療水準を下げる必要があると説かれました。この「医療水準」
は現場の医師や看護師の考える『医療水準』ではなく、謂わば日本の裁判所が法廷で
要求する実現不可能な「医療水準」であるとのことでした。

 この裁判所の「医療水準」を実行可能な『医療水準』の方に合わせることができれ
ば、資源の追加投入の必要なく、過剰な責任追及の起こりうる現場から逃げ出す関係
者の出ることを防止できるかも知れません。第3の可能性です。

 また、研修医についての議論は、よく整理が必要であると考えています。現場の医
師であればあるほど、研修医という存在の、現場に背負わされた重荷としての面と、
腰の軽い元気で便利な下働きとしての面の両面を、おそらく無意識に都合よく使い分
けて議論している様子が見て取れます。

 もちろん、診療科や医療機関の置かれた立場によって、研修医の両面どちらが大き
く見えるのかは変わってきます。

 また、研修医は成長が早い存在です。成長の果実を早期に現場に還元すべく、臨床
研修制度の手直しを考慮する必要があるかも知れません。第4の方法です。しかし、
具体的方法となると難しい問題が数多くあります。

 研修医の不足が深刻に機能低下の原因となっている医療機関があるというのであれ
ば、それは医学部定数を増員することによって、よくいわれる10年後ではなく、6
年後には結果が出せるということをも意味します。第5の方法です。

 考える必要があるのは、「医師の余剰」というのがどういう現象であるのかという
ことです。非熟練労働市場で供給不足が解消されるという現象ですら、たとえば失業
に即時直結するのでしょうか。価格メカニズムというものがあったはずです。

 上先生が紹介された兵庫県立柏原病院の事例は、現在配分されている医療資源であ
る小児科医を、できるだけ効率的に利用しようという運動であると考えます。「柏原
病院小児科を守る会」が採用したのは、経済学の講義で必ず登場する「共有地の悲劇」
を、資源利用の集団的自己管理を徹底することによって回避し、共通資本の疲弊を防
ぐという方法論です。第1の方法に少し似ていますが、第6の方法と言って良いかと
思います。

 しかしながら、地域共同体がまだ残っている地域であるからこそ成功したという点
は否めません。救急医療体制が再び過少供給に陥った都市部では自己管理のためのコ
ミュニティが存在せず、実効性が期待できないでしょう。


 以上、縷々申し上げて参りましたが、確実に大きな結果は期待できない方法ばかり
です。結論として、最初の「医療水準を上げずに」という前提条件には無理があるよ
うに思っています。

 最後に、政敵である社会主義者の支持基盤を根こそぎにするため、プロシアで世界
最初の公的医療保険制度(疾病金庫)をはじめた帝国主義者の言葉を引いて、拙文を
閉じようと思います。この一節は、今の日本の医療の問題を語り尽くしているように
思っています。資金と人員の投入が是が非でも必要なのです。


 現在の大問題は、演説や多数決ではなく、鉄と血によってこそ解決される。
− オットー・フォン・ビスマルク


            北海道大学大学院 医療システム学分野 助手:中村利仁

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【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
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(本稿はJMM [Japan Mail Media]  No.470 Extra-Edition3 2008年3月11日に掲載された投稿を、編集部の許可を得て転載したものです。)

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