風刺

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年06月22日 18:11

素粒子「死に神」問題。
筆者が「風刺コラムはつくづく難しい」と書いたという。


毎回、何とかスペースを埋めねばならん重圧は凄まじいと思うが
その自分に与えられたスペースが所与の条件になっていて
つまり視座が硬直していて、本当に風刺なんかできるのか?


そもそも
新聞に風刺が期待されていると思うこと自体、時代錯誤。
中央に絶対権力者がいて
そこになかなか筆が届かないから、せめて一刺しという時代ならともかく
現代の権力は中央政府よりも、むしろ大衆の中にあって
マスメディア自身の方が権力を持っていると思うのだが、いかがだろうか。


素粒子なんて、やめちゃえばいい。

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コメント

普段は冷静な川口さんにしては、乱暴な文章ですね。
ところで、私の頭が固いのかも知れませんが、
「その自分に与えられたスペースが所与の条件になっていて つまり視座が硬直していて」
の論理が今一つ理解できません。
文字数が限られると、視座も限られてしまうのでしょうか?
この論旨だと、俳句も短歌も(川柳も)視座が限られてしまうことになります。
限られた文字数の中で知恵を絞ることこそが重要であり、
その点で件の素粒子には配慮が足りなかっただけなのではないでしょうか?
ちょっと気になったので投稿させて頂きました。

>島田直樹様
ありがとうございます。

「乱暴」とのご指摘、ごもっともと存じます。
以後気をつけます。

なお「所与の条件」というのは
文字数が限られていることではなく
平日は毎日スペースを埋めないといけないこと
その欄が風刺コーナー(そう本人が思っていること)であること
です。

何か皮肉ることがないかと毎日探し回っているのでは
精神と視座が硬直するだろう、ということです。

川口様
お返事ありがとうございます。
やっと私にも意味が理解できました。
そう言えば、朝日新聞では風刺漫画も見かけなくなりましたね。
現在のマスメディアで風刺すること自体が矛盾しているのかも知れません。

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