医療の良心を守る会シンポ |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年09月06日 23:44 |
医療事故調の早期設置を求める表題のシンポを傍聴して来ました。
登壇したのはオールスターキャストといった感じの方々で
この時期に開催したのは
臨時国会で一気に法制化まで持っていく勢いづけだったのでしょう。
ただ、これも福田総理の無責任辞任のせいで
全く見通しが立たなくなったというのが参加者共通の現状認識でした。
その分、登壇者たちも
立場の違いを主張するより、大きな流れでものを見ようとする
そんな姿勢が目立ち
なかなかに意義深い会合になったような気がします。
感銘を受けた話がいくつかあるので
その辺りおいおいご紹介していきます。
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コメント
壇上に向かって視線を上げると川口さんの背中が見える席にいたのですが、会場混雑のためにご挨拶する機会を失いました。
次は何とか。
議論は有意義なものであったと思います。結局、政府法案でなく議員立法でというコンセンサスができつつあるようで、それはそれで結構なことであろうと思います。
ただ、やはり犯罪を裁くのと同じ場で原因究明はできないし、経済損失の帰属先を争いながら再発予防もできません。
…そう、ただ単にできないので、どちらを諦めるのかという問題になります。
そこまで議論が深まるためには、関係者全てが相当に「お勉強」することが必要で、さらにその上に余計な利害を絡めないことも必要です。…それでなくとも利害は複雑なので。
幕切れで、その近々の実現可能性はやはり極めて低い…しかし「ない」ではないなと感じたシンポジウムでした。
医療の良心を守る会・・誰に対しての何に対しての良心で、誰を、何を守るのでしょうか?
未だに、この会の主張は理解できません。
恐らく、今後も判らないでしょう。
私には彼らの主張が、世界の流れから取り残された江戸時代の考えにしか、受け取れないのです。
もちろん、異論があるのは承知です。
医師の多くは、彼らと手を携えることもないでしょう。
医療安全に対しての考え方と、方法論が異なるから。
ただし、自由社会なので、彼らにも言論に自由はありますから、お好きにどうぞ、としか言えません。
もちろん、われわれ医師側にも同じことが言えます。
この会の主張とは違い、スウェーデンやニュージーランドのように医療裁判をシャットアウトする方向にもって行くことを、医療安全の方法論として主張している方々もいらっしゃいます。
医師、ジャーナリスト、法律化、患者家族のかた、などなど。
川口さまもご存知だと思います。
わたしも、その方々に協力したいと思います。
国会が解散し、新しい政権が生まれるとき、医療安全のシステムの議論は再び始まります。
厚生省の大綱案、実は自民党案。
別に民主党案も出されるでしょう。
それ以外の案も出されるかもしれません。
医療安全のシステムは、先進国が取り入れているやり方を学び取っていく必要があります。
国によって、医療制度は異なりますが、診療関連死も有害事象も同じような状況で起こります。
だからこそ、先進国は協力して、医療安全のシステムを開発して実行に移しています・・医療の良心を守る会の主張とは、全くと言って良いほど異なるやり方で。
>中村利仁先生
まったく気づきませんで失礼いたしました。
余計な利害をからめさせないためにも
あちら側、こちら側と分断されないことが肝要かと考えます。
>hot cardiologist先生
コメントありがとうございます。
何度か書いたことがあると思うのですが
真の敵は、医療や社会保障に対して必要な資源配分をさせない圧倒的多数の無関心層であると思います。
また今回のシンポジウムで出された意義深い観点として
医療安全すら目的ではなく手段である
というのがあり
そこまで俯瞰して見ると
たとえ安全のためにはナンセンスな主張をしているように見えても
さらにその先にある目的実現のためには
丁寧に接点を探っていくしかないと考えています。
大野病院事件の無罪判決確定後、かなりあからさまに分断を狙った発言をする方が出てきています。
これはもうPublic enemyとしか呼びようがありません。
本来、手を携えるべき人々を巻き込まないように、慎重に対応して行く必要があるかと思います。