エアメール |
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投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2008年09月30日 16:22 |
トントンとダブルバースデーから早一ヶ月以上が過ぎ、毎年アメリカ人元上司から、チキンと届くお祝いメールに返事をしていないまま早10月に突入!これはマズイ!
せめても自分への言い訳にメールで返信せず(今さら、、だもんね)、エアメールでちょっと厚めのカードに手紙と写真を添えて、やっと投函してきました。ホッと、肩の荷がひとつおりた気分です。
写真は、4年前に家族でダラスのお家に滞在させてもらったとき、奥様からいただいた白い馬のTシャツが、ようやくジャストフィットするようになったトントンの写真、
それとこちらを入れました。
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上司夫妻が今から15年前に、日本赴任中の三年間を暮らしたお家です。
当時既に築十年近く経っていたのですが、その頃エール・リキッドの分社化した研究開発部門がつくばにあって、フランス人社長一家のために、カナダ人が設計した家ということで、外観は特に目立ちませんが、暖炉のある広いリビングは吹き抜けで、室内の随所が欧米仕様でした。
この家の賃貸借契約手続きから、内装のリフォーム手配、家具購入、電化製品の購入と配置や使い方、ご近所つきあいや、ゴミの出し方など、奥様に付き添ってお手伝いするのが、私の初仕事でした。
着任されて半年ほど経った夏には、2階の出窓や、ウッドフェンスに色とりどりのフラワーバスケットがハンギングされて、それは際立つ美しさで、奥様のセンスに舌を巻きました。
一時帰国の間は、水遣りに行きました。
屋根裏にネズミが出たときは、消毒業者に依頼して、二晩ほど近くのホテルに滞在してもらいました。
「ワイフがニューヨークの出身でなくて、よかったよ」
と上司は笑って言いました。
(「ネズミが出るような家に住みたくない」、「東京の外国人専用マンションに引越したい」、とか「アメリカに帰りたい」と言い出さないで、奥様はつくば暮らしを楽しまれていましたから、、、)
そんなことをなつかしく思い出しながら、当時の面影のカケラもない無人の建物を撮りました。