死因究明検討会15(1)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年10月31日 20:26

今日という今日は言わせてもらうぜ


こんなタンカが聞こえるような検討会だった。


皆さん大注目の『診療行為に関連した死亡に係る原因究明等の在り方に関する検討会』も、ついに15回目まで来てしまった。今回の会場は四谷の弘済会館。前回までの議論は、こちら から。委員はこちら。これまで大抵時間通りに終っていたのだけれど、今回は樋口委員すら一言も発言しなかったのに大変に長引いた。
それもこれも、参考人が「ケツをまくった」から。


この破天荒さをどこまでお伝えできるか自信ないが
頑張ってコツコツ書いてみる。


この日は、パブコメで第三次試案や大綱案に懸念を表明していた団体の方々から直接ヒアリングしようという趣旨とのこと
・日本麻酔科学会 並木 昭義 理事長(札幌医科大学教授)
・日本産科婦人科学会 岡井 崇 常務理事(昭和大学医学部教授)
・日本救急医学会 堤 晴彦 理事(埼玉医科大学総合医療センター教授)
の3人を参考人として呼んだ。
3人が一通り意見を述べた後で質疑応答という流れ。


3人が話す前、冒頭に加藤委員が日弁連の基調報告書の中に含まれる院内事故調査委員会設置の際のガイドラインと『安全で質の高い医療を受ける権利に関する宣言』というものについて説明して、「国に対して、院内に公正で自律的な事故調査委員会が設置させるための施策を取ることと、医師や患者の立場を代表する者、法律家などで構成される第三者機関を設置するよう日弁連として宣言したもので、今日舛添厚生労働大臣にお会いしてご説明して要望してきたところだ。大臣は第三者機関については大事だという認識だったので今後進めていくんだろうと受け止めた」と述べ、本日のプログラムがスタート。


最初の陳述は並木理事長。
麻酔科学会資料
ほぼ、この資料を読み上げたので、最後に付け加えた一段落だけ記す。
「医療不信を招いたのは、医療者側の専門家としての自律性の欠如によるものと反省している。今後は有識者や国民のご協力をいただきながら安全と質の確保に努力する所存だ」


続いて岡井常務理事
産科婦人科学会資料
「大綱案に関する話をする前に麻酔科学会からも話があった刑事訴追の問題について話したい。ここが医療提供側にとって一番重視しているところなので、先に資料の後ろの方の見解について述べたい。最初の段落は書いてあるままその通りのことであって、医療提供側の多くの方が賛成してくれると思う。しかし医療を受ける側、国民からは、どうして医療だけが刑事訴追の対象から外されるのかという声も出ている。それに対して、我々がどうしてそのようなことを言うか、少々理屈っぽいが理由を書き挙げているので説明させていただく。

まず(1)。よく同じ業務上過失ということで交通事故と対比されることが多いけれど、交通事故とは本質的に違っている。次に(2)。医療事故が起きた場合、必ず過失があったかなかったが問われる。しかし、これは多くの場合は診療能力の問題であると我々は考えている。もちろん能力の低い者は、その能力を向上させるべく教育を受けるべきであり放置しても良いとは言っていない。(3)は、ほとんどの医療者が使命感を持って善意でやっているんだということ、そこに刑事罰を持ち込んでも結局は医療者の使命感を喪失させるだけで医療の向上に資するものは全くない。(4)誰でもミスはする。しかし医療の場合はミスがそのまま人の死につながる。それだけ大きな負荷を負っている。以上のことから、たとえ単純ミスであっても刑事訴追すべきでないと考える。

この見解は第二次試案に合わせて書かれたものだったが、今も変わらずその考えは維持されているし、将来も持ちつづけるつもりだ。とはいえ現実問題として刑法211条を医療免責のように改正するのは難しかろう。そこが直らなければ、事故調の案に反対するというものではない。そこまで行くのが望ましいが、しかし現在は医師法21条の拡大解釈で現場が混乱しているのであり、それは一日も早く正常化していただきたいし、医療事故調の作業を早くやるべきだと考えている。211条の改正を待っているわけにはいかないので、それで大綱案に対する意見になる。

大綱案に関して、基本的に第三次試案と変わっていないだろうと考えている。まず警察への通知事例について、私たちはここを完全にブロックするのは、かえって良くないと考えている。もちろん完全に切り離せという主張をする人もいるが、業務上過失が存在する前提だと、事故があった時、家族から訴えがあった時に警察は動くし動かざるを得ないことになる。警察が動くと、医療者が使命感を持ってやったことに対して被疑者のような扱いを受けることになって、私の後輩でも取り調べを受けて、もう医者を辞めたいと言っているのがいる。だからパイプは通していた方がいい。もちろん刑事罰と別のペナルティということを譲るわけではない。標準的な医療からの逸脱という通知の定義は何とかしてほしい。というのは、薬の間違えというのは単純ミスとしてあるのだが、あれを標準医療から逸脱していないとは言えないから、通知しないでと言えなくなる。通知されたら取り調べられることになる。やはり悪質だということが判断できるような文言に変えてほしい。

調査委員会の管轄については麻酔科学会と同じ。届け出対象事例については、過失の有無を判断するという視点で入っている。しかし再発防止や医療の向上に資するということなら、明らかな合併症であっても重要なものは報告するということがあっていい。最後に捜査機関の対応については、パイプはあっても、それだけでなく事故調の調査を優先させると明文化されていないと警察が独自に動く可能性が残ってしまう。その辺は条文にしっかり書いていただきたい」


はて穏当な発言ばかりだが、と思ったでしょうか。
さあ、いよいよここからです。
救急医学会資料1
救急医学会資料2

「遅刻して申し訳ない。霞ヶ関で開催されると思っていた。開催要項を確認していなかったので、これは重大な注意義務違反であろう。さて、発言の機会をいただき、感謝する。できれば、もっと早い時に呼んでいただきたかった。学会としての見解は資料として出してあるので、既にお読みいただいているという前提で話をする。

大綱案について、我々は反対派で、賛成派との間で医学界も割れて対立構造ができているように言われているがそんなことはない。この検討会にも高本先生、木下先生、山口先生が医療界の代表として参加されていて、過去の議事録を全部読んだけれど、医療界の意見を十分に伝えていただいていると思う。感謝したい。じゃあ、なぜ最終的に結論が違うんだという話になるのだけれど、賛成派の方々は性善説で反対派は性悪説で考えている、この違いだと思う。大綱案で、この検討会で話されていたような精神通りに行くと考えれば賛成になるし、法律や組織がいったんできてしまえばどのように運用されるか分かったもんじゃないと考えれば反対になる。私も後者であり、だから反対派ではなく慎重派である。1年以上も議論している、これだけの検討会で持ち時間がたったの15分というのは寂しいのだが5点に絞って述べさせていただく。資料はない。資料と同じことを喋っても面白くなかろう。

一つ。死因究明と責任追及は切り離すべきだ。これは救急医学会として譲れない一線だ。それは医療安全追求と紛争解決の違いであり、この話は、1回目の時からずっと議論されているはずだ。それを曖昧なまま明確にしなかったばかりに、ずっと混乱している。これがどれ位おかしなことか、警察の捜査に例えてみよう。捜査ミスがあって犯罪の検挙に失敗したとしよう。内部では何が悪かったのかの反省が行われているだろう。だからといって、その反省の中身を文書にして被害者の遺族に示しているか、その会議に第三者の委員を入れて検討しているか。捜査をより良いものにするのと責任追及とは違うプロセスのものだということは、警察や検察も分かっているのでないか。なぜ医療だけが原因究明と責任追及を同時にできることになるのか。もし、その考えが正しいのであれば、警察も第三者評価を行うべきだ、捜査調査委員会をつくるべきだ。

大綱案に反対の医師の中には、医療は免責にしろという人もいる。しかし我々はそのような立場は取らない。悪いものは悪いという立場だ。自民党のある代議士が、救急医療は免責と言ったけれど、我々はそんなことを話し合ったことは一度もないし、その代議士の案にも乗っていない。もちろん救急のことを心配して言ってくれたんだろうから気持ちは嬉しく受け止めるが、しかし免責を求めるつもりはない。

問題は、医療の場合、何が業務上過失になるかが分からないこと。そこに不安や怒りを覚えており、その結果として、防衛医療、萎縮医療が加速していることは間違いない。悪質とか標準から著しく逸脱とか実に曖昧だ。本邦の救急は、救急専門医ではなく一般の医師がほとんど支えている。そうすると専門外の患者を診ることが当たり前だ。このような医師たちによって、かろうじて救急体制が支えられている。その処置は、各科の専門医から見れば逸脱もあるだろう。しかし、それが罪に問われるのならば、間違いなく日本の救急医療は崩壊する。断っておくが、救急専門医の責任を免れようとしているわけではない。そうではなく、非専門医に委ねられている現状があり、これらの医師に関与し続けてもらうために我々は主張している。何が業務上過失なのか、むしろ真っ正面から取り組むべきでないか。よく業務上過失で対比される交通事故には明確な基準がある。前田座長に質問したいが、今の医療に対する適用は罪刑法定主義に反するんじゃないか。医療の何が罪になるか、検察だって実はプロジェクトチームを作って検討しているはずだ。何が業務上過失になるのか明確にしてほしい、そうでなければ現場からは納得が得られない。このことを厚生労働省と法曹界に強く要望したい。ちなみに救急医学会は別紙のように『明白な過失』という概念を考えて議論している。法律家から見れば穴だらけかもしれないが、しかし一方で法曹界だけでも、こういうことは定義できないはずだ。なぜならば法曹界は医学は調べられても医療の実際は知らないからだ。警察、検察と医療界とで同じ席について議論すべきだ。対立ではなく対話を求める。そのための場の設定を強く厚生労働省にお願いしたい。ここをきちんとせずに事故調を作っても機能しない。

従来は法的判断が先にあって、その結果として医療の判断が甘くなるということだった。だから医療を先にするんだというけれど、だったら今度は法的判断が甘くならないか。警察へ通知しない中に法的に問題のある事例が埋もれてしまうことになる。それで国民が良いというのか。これを回避するには、全例を通知するしかないんではないか。目的も責任追及にすればハッキリする。刑法学者が座長なんだから議論も早い。ただし、その場合は厚生労働省の枠内では議論できない。医師が警察官と同じように捜査できるはずがない。だったら、どちらが先ではなくて両方並行して同時に行うことこそが公正なのでないか。

次に報告書自体の問題。医療側が捜査機関を批判する時に真っ先に挙げる大野病院事件だが、本当に捜査機関が悪いのか。あれは元はと言えば、医師の作成した県報告書が捜査のきっかけになっている。事故調と同じ流れだ。それを用いて捜査したんだし、もっと言えば医師の書いた鑑定書に拠って動いたはずだ。警察検察からすれば医療側に対して言いたいことは山ほどあるだろう。それを何も言わないところは実に大人の対応で感服する。世間的には医師と捜査機関が対立したと言われたけれど、本質的には報告書の問題であり、作った医師の資質の問題だ。本当に公正中立な報告書を書けるのか、それだけの資質を持った医師が何人いるのか、そもそも本当に中立な人はいるのか。それぞれに立場があるんだから完全な中立なんてことは幻想でないのか。報告書の在り方について、もっと議論が必要だ。

せっかくモデル事業をやっている。あと2年残っているらしい。まず、その検証を先にやるべきなんでないか。問題点はいくらでも挙げられるだろう。座長は、モデル事業の発展形が医療事故調だと言っているが、検証なしに新しい組織を作るなんてどう考えてもおかしいだろう。モデル事業に関わった方々は、もの凄い苦労をしたと聴いている。その経験を踏まえれば、自ずから事故調が扱える件数だって見えてくるはずだ。

事故調の地方委員会の調査委員、その選任方法が明記されていない。となると賛成の医療界の人たちは自分たちの都合のよい委員を出すつもりでいるし、一方で患者遺族の側は自分たちを代弁してくれるような人を出そうとするだろう。両方、案に賛成しているけれど、同床異夢だ。分かるか。中立というのを、どう手続きで担保していくのか検討しとかないといけない。

警察、検察はオブザーバーとして参加しているが、警察はどう見ても医療事故以外のことを扱うのでいっぱいいっぱいだろう。検察も無罪ばかり連発しては困るから、事故調が報告書を作ってくれることを期待しているだろう。いわば高みの見物だ。事故調が何を言おうが、使うものは使うと考えているだろう。しょせん鑑定書のひとつに過ぎない。患者側の弁護士にとっても非常においしい話だ。結局、反対派が少数に見えるとしたら、私は少数だとは思わないが、こういう得をする勢力がモノを言わないから反対も少ないということだと思う。

杏林大学のわりばし事件というのがあった。あれそのものの判断はしない。しかし、あの患者を断った医療機関がいくつもある。しかし断った所は何もお咎めなしで、受け入れた所が叩かれている。法は善意を考慮しない。これらの問題を解決しない限り、患者を診ない方が安全という現場の萎縮はどんどん進んで行く。本当にこれで国民は納得するのか。医療の刑事裁判に関わった人は皆傷ついている。医療者も患者遺族も。都立広尾病院の永井さんのお話などは胸打たれる。医と法とが踏み込んで歩み寄って議論して、よりよい事故調論議ができることを祈っている。ある国会議員が、事故調は医師の8割、患者の8割が納得しなければ機能しないと言っていたが、まさにその通りだと思う。

刑事事件と民事事件。民事事件について議論が不十分だ。報告書が民事で使われるのは明らか。国の機関でありながら民事不介入に反する。根本的に考え直すべきだ。警察が交通事故の捜査報告書を被害者に渡すことはない。警察は民事不介入だからだ。国、行政の組織でありながら民事に関与する。被害者のため報告するのが当然という論理が正しいのならば、警察も交通事故や犯罪の捜査報告書を被害者に渡すべきことになる。医療事故だけ出すというのは論理が一貫していない。

以上述べてきたこと、これらの解決のために法と医の対話の場を設定すべきである。モデル事業の検証も必要だし、また監察医や法医学者などのインフラ整備も進めなければならない。この検討会は1回2時間で1年間やっているが、全く扱うべき内容に対応できていない。医学界なら、こういう時はワーキンググループに小分けして徹底的に議論させる。そういう方法を取らなかったのが失敗だったと思う。いずれにしても、これは国家的問題だからわが国のリーダーたる医療、行政、法曹の代表たちが一つ席について大所高所から議論して、よき医療事故調ができることを望んでいる。

最後に、医療界に課された医療安全向上に関して逃げるつもりは毛頭ない。我々の責任として積極的に取り組む」
(以下つづく)


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コメント

 救急医療は救急専門医の問題ではありません。これまで救急専門の先生方とお話ししてきていて一抹の不安が拭い切れませんでしたが、堤先生のお話は明解で、救急医療崩壊の風景がきちんと見えていらっしゃるご様子で、安心しました。

>中村利仁先生
ありがとうございます。
見ていた方からしても、スカッとするお話でした。

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