終末期医療懇談会1(1) |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年10月28日 10:24 |
昨日の肝炎会議を前半だけで中座したのは、午後4時から
第一回の終末期医療のあり方に関する懇談会
が開かれたから。
肝炎会議も大事だけれど、こちらはもっと見逃せないでしょう。
ということで、委員名簿はこちら。
舛添
「初回なので私の考えるところを述べる。終末期医療のあり方は国民の関心が高い重要なことだ。これまでに3回の意識調査を行ってきたところだが、平成18年に射水市立病院での人工呼吸器外しが発生したことから尊厳死に関する議論も高まり、平成19年にはガイドラインもできた。後期高齢者医療制度でも終末期相談支援料というものが設定され、相談することを支援することそのものは良かったんだけれど、75歳以上で線を引いたことから、言葉は悪いが姥捨との批判を浴びるに至った。わたし自身は、終末期というのは高齢者だけの問題ではなくて40歳にもあるかもしれないし、親がそうなった時に息子や娘がどうするかの問題でもあるし、非常に狭く限定してこのチューブをどうするんだという話だけではないと思う。大臣になる前には、リビングウィルを法制化したいと思ってさえいた。医療に限らず、もっと広く人生の終わりをどうするのか家族皆の問題として考える、それを支援する、そういうことが必要だと思うのだけれど、しかし高齢者だけでなく国民全体の問題として考えるためにも、75歳以上ということについては一応凍結をした。決して悪いことではないけれど、国民全体の問題として考えたいということで、中医協の方々には随分と叱られたが凍結をお願いした。
人生の終わりかたの問題だから、一人ひとりの意見が十分に反映されるものじゃないといけない。厚生労働省からすれば、きちんとプロセスを踏んでやっている話、後期高齢者医療制度にしても手順は踏んでやったのだけれど、しかしそれが対外的にきちんと伝わっているか。すべての国民には、残念ながらなかなか伝わらない。ただ終末期の問題は皆が身近に考えないといけないはずで、後期高齢者医療制度によって脚光が当たったので考えるきっかけにはなったと思う。この機会を生かして、よりよい形にできればと思う。
ことは医療だけでなく、家族との生活をどうするのかという重い課題を、むしろ議論すべきだと思っている。この管を外すかどうかではなく、もっと広く家族との関わり、生活全般について議論が必要だと思う。それが診療報酬なり医療制度に入ってくる時は狭く議論することも必要かもしれないが、まずは広く。大臣だからといって、一つの結論を押しつけるようとは思っていない。より良く議論いただくために皆さんにお集まりいただいている。たとえまとまらなくても、論点提示だけでも意味があるし、それはメディアの皆さんの力もお借りして国民に広く問うていきたいと思う。どうか一つよろしくお願いしたい」
座長に上智大大学院法学研究科の町野朔教授を選出。
「終末期医療というのは単に医療だけにとどまらずケアや生活全般を含んで考えねばならず、どう解決するか難しい。この懇談会では、事実の認識や考え方、感じ方を共有する方向で進めてゆきたい」
と町野座長が挨拶して、事務局が資料について説明して、それへの質問の形で議論開始。
中川
「70歳より上かどうかという設問はなかったようだが、まとめる段階で分けたのか」
事務局
「調査票に記入された年齢で分けた」
中川
「70歳以上は何人ぐらい」
事務局
「回収されたうち457名」
山本
「死期が迫っているというのを6カ月にしたのは」
事務局
「経年で過去にも同じ設問で訊いている」
山本
「終末期、末期、死期が迫ったと色々な言葉が使われているが、それぞれにどういう差があるのか」
町野
「terminalを訳した言葉というだけで、それほど大きな差はないのだろう。それが6カ月なのかterminalなのかは議論があると思うが」
伊藤
「医療職の方が一般の人より関心が高いと評価しているが、回答率を見ればむしろ逆なんじゃないか。どこをもって関心が高いというのか分からない。高齢者でリビングウイルの支持率が低いのはなぜか。それから延命治療を望む人は少ないとはいえ確実に存在する。それを多数意見はこうだということで説明するのは適切なのか」
事務局
「最初の質問は単純比較したということで、次の質問については解析していない、最後の指摘に関しても我々の中では解析できてないということになる」
ここから傾聴に値する意見が次々と述べられた。項を改める。