続・医師謝罪会見 倫理規定は誰のため? |
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投稿者: | 投稿日時: 2009年03月01日 07:51 |
先日、香川で起きた受精卵取り違え騒動に関し、「担当医の謝罪会見は本当に必要だったのか?」という疑問を、このブログに率直に書きました。べつにこの騒動にものすごくこだわっているわけでは全くないのですが、たまたま一昨日もその続報が入ってきたのでざっと目を通したところ、また「うーん」と思う破目に・・・・・・。
その続報は、こちら↓
「受精卵取り違え 学会は医師処分など検討せず」
(2009年2月27日配信 産経新聞)
ちなみに日本産科婦人科学会は昨日、あらためて理事会からの公式見解も発表していますが、「医師には口頭で注意した」「処分はなし」とのことで、いずれにしても学会の判断はしごくまっとう、それはそうだろうと思いました。
さて、今回の記事で私が引っかかったのは、たぶんお分かりかと思いますが、次のくだりです。
「川田医師は会見で、学会の倫理規定に抵触する受精卵3個の移植を行った点について『順守するが、特殊な事例には違う対応もある』と発言した。報道陣が『病院側は二度と抵触治療はさせないと言っている』と指摘すると『では今後、(抵触する治療は)絶対やりません』と翻す場面もあった」
上記以外にも、同医師はこれまでに23例の複数受精卵移植を行っていたことも明らかになっています。学会の倫理規定を見ると、確かに、原則1回に受精卵1個、一定条件の女性のみ2個の移植を認めています。
それでもなお、私は2つのことを思うのです。
ひとつは、今回言及された倫理規定の持つ意味です。
まず、これは学会の「多胎妊娠」に関する見解に伴って提示されており、要は多胎妊娠を防止するために移植する受精卵の個数を限定するものです。ここで多胎妊娠を減少させるべきとする理由は、「多胎妊娠の増加にともない、管理を要する母体と出生する早産児が増加し」ているが、周産期医療の現場では「母体および新生児の管理を担う体制は、施設、医療者とも、その量において相対的にきわめて不十分な状況となってい」るため、「母体および胎児・新生児の健全なる福祉を保持する観点から」であるとしています。
この趣旨からすれば、同医師が過去に行った23例の多数受精卵移植に関しては、多胎児が生まれる可能性とリスクについて移植を受ける夫婦が理解し、承諾し、さらに多胎妊婦および早産児をサポートできる医療体制が整っていれば、特に問題はないかのようにも思えてきます(実際そのような医療体制が万全だったのかは、非常に怪しいですが)。それを加味しての「不処分」とも取れるかもしれません。もちろん同時に、学会員として遵守すべき倫理規定を破ったことを含めての「口頭注意」だったと考えて。
であればこそ、ふたつめ。
医師が、学会の倫理規定について「順守するが、特殊な事例には違う対応もある」と応えたことに対して、マスコミ側が病院の見解を突きつけ、「絶対やりません」と言わせました。しかし、全国の人々の注目をいっせいに集めるなかで、いきなり病院(おそらく香川県)すなわち雇い主の「No」を持ち出されたら、そう言わざるを得ないに決まっています。そんな言質をとることが、マスコミの正義なのでしょうか。
倫理規定違反をやみくもに擁護し推奨したいのではありません。前述のように、「口頭注意」されただけの問題はあると思っています。しかし、「本当に子どもがほしくてたまらない、でも何回移植を試みてもうまくいかない、年齢的にも精神的にも限界が近づいている、三つ子でも四つ子でもいいからとにかく子どもがほしい…」、そんな夫婦がいたとき、そして、さまざまな状況(母体の健康や医療体制等)が多胎妊娠を許すと判断できたとき、彼らのすがる思いを痛感した医師が受精卵を3つ移植してしまったとしても、私には責める気にはなれません。
人の命が関わる問題の場合、誰でもそのリスクに関する責任を負うのは怖く、できるだけ回避したいと思うものです。だからこそ病院(香川県)は「二度とさせない」と言っているようにも聞こえてなりません。倫理規定は守るためにありますが、倫理規定を一律に守る・守らせることだけが本当に倫理的なのか、難しい問題です。そしてちなみに、念のために付け加えておきたいのは、今回、医師が犯した受精卵取り違えというミスは重大ですが、複数の受精卵を移植したことと直接的には何ら関係ない、ということです。(結局、医師の謝罪会見にしても、倫理規定の話にしても、「問題は本当にそこなの?」ということが多すぎるってこと!)
学会は、多胎妊娠を減少させようとする理由の大前提に、周産期医療の置かれている厳しい現状を挙げています。周産期医療の崩壊は、昨今の医療技術の進歩とは対照的に、「子どもをほしい」と願う人たちの選択肢まで狭めている。なんだかとても残念です。
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コメント
この事件は驚きましたね。色々と話題になってますね。
この日本産科婦人科学会の会告について、
様々な議論があります。
日本生殖医療学会(以前は日本不妊学会という名称でした)では、
胚移植を3個まで許容しています。
不妊治療を行う医師は普通どちらの学会にも属しています。
産科婦人科学会は、産科領域への影響を深く検討した結果、
現時点での単一胚移植に踏み切ったわけですが、
不妊専門の医師には、その必要性は認めていても、個別患者について
それを「遵守する」かどうかは裁量の余地があると考えている人が多いと思います。
そこが「原則1個」という会告の表現につながっており、それが直ちに処分につながるような倫理上の問題ではない、という結論にもなるわけです。
学会は、学術研究を振興し、擁護するべき立場です。
現場の医師が、患者さんの必要に迫られて、「倫理上、法律上問題のない」医療行為を行うことにとやかくいうべきではないと思います。
私が考えていたことを、全て言っていただきました。
有難うございました。
>現場の医師が、患者さんの必要に迫られて、「倫理上、法律上問題のない」
>医療行為を行うことにとやかくいうべきではないと思います。
倫理上、法律上問題のない会告を出した日産婦が批判されるべきだということですね。単なる努力目標なら、定めるべきではないと思います。
必要のないルールは害悪にしか過ぎません。
>医師求人さん、お返事が遅れてすみません。
世間一般で(報道等でなく、その受け手側に)、どう「いろいろ言われている」のか、実はあまり知りません。私はこういった不妊治療における様々な事情や議論に詳しいわけではなく、学会の倫理規定も初めて読みました。でもその程度の私にも「え?」と思わせるほどのことを報道陣がやっていた、そのことを報道側の人たちがどれくらい自覚しているのか、どう思っているのか、建前はもういいので、一人ひとりの本音を知りたいな、と思います。
>委員長さん
非常に参考になりました。ありがとうございました。日本生殖医療学会が移植胚を3個まで認めているということは、やはり妊娠の率を考えると、それだけのことがときに必要だということですね。
そして、だからこそ日本産科婦人科学会の倫理規定も「原則1個」であり、今回の「不処分」だった。とてもすっきりしました。
となるとやっぱり報道陣が強要した「絶対やりません」発言は、なくてもよかったように思えてなりませんね。「不処分」ということの意味を無視しているようなものです。
いずれにしても、ここでもまた現場と組織トップ(県)の利益相反を見せつけられました。この調子ではやはり現場の先生方は大変でしょうね・・・。
>Anonymousさん
同じような考えの方がいてくださってよかったです。私としてはなんだか自分の中で溜め込んでおけなくてつい、というところもあるのですが、一方で僭越かなと思っている自分もいたりします。結局は私も事態改善に向けて手足を動かして頑張っているわけではないので。でも、マスコミの力がどう考えても大きすぎる原状にあって、納得できない報道には、やっぱりささやかな抵抗をしてみようという気持ちが勝ちました。
今回はたまたま自分の中に疑問が生まれましたが、普段はおそらく、その何倍、何十倍ものマスコミ報道を鵜呑みにして生きているんだろうな(自覚はないけれど)、という自戒の念を新たにする今日この頃です。
>しまさん、
学術振興を目的とする学会と臨床現場の関係性の問題は、私には正直難しいところです。ただ、すくなくともその「声明」「会告」等の持つ性質は、明らかにされておくべきなのでしょうね。そうでないと、現場が混乱するだけです。
それで思い出すのは、薬の「使用上の注意」です。「●●に対する有効性・安全性は確立していません」というような書き方がされていることがありますが、だからといってこれは「●●に使ってはいけない」ということではないそうですね。「エビデンスがない」ということだとか。だったら書かなくても、とも思えますが、エビデンスがないという情報はあってもいいのかなとも思えます。
いずれにしても、文書に残す以上、誤解のない表現と、その意図・意味合いを明確にすることは心がけてほしいものです。