大野病院事件の報道をふりかえる。

投稿者: | 投稿日時: 2009年03月24日 07:58

2006年、福島県立大野病院事件に際し、当時は連日のように、様々な報道が相次ぎました。内容的には、被害者感情の救済、医療制度の問題点の指摘、医療関係者・行政関係者に対する批判も入り混じり、また、時の経過とともにその論調には徐々に変化が現れました。

先日も医療問題に関する報道の細かい点に触れましたが、今日は2006年当時の大野病院事件報道について振り返ってみます。


2006年、福島県立大野病院の産科医師が、帝王切開手術中の妊婦死亡について、業務上過失致死罪と医師法第21条の異状死届出義務違反に問われ、逮捕・起訴されました。これがいわゆる「福島県立大野病院事件」です。

この報道のあり方について、同年11月に開催された「現場からの医療改革推進協議会 第一回シンポジウム」では、セッションがもたれています。今日はその抄録を参考にしながら、報道と世論の様子を追ってみます。(以下●は、抜粋・要約)


まずは、第一報当時の様子です。

●逮捕時の2月18日の新聞マスメディアの第一報の見出しは、「『医療過誤』『手術ミス』で医師逮捕」であった。
●テレビニュースでは加藤医師が手錠をかけられ連行される映像が繰り返し流れた。
●記事は「・・・医師が癒着胎盤を無理に剥がして妊婦を失血死させ、・・・容疑を否認している」と報じ、これを読んだ医師を含む多くの国民は、医師には専門的知識がなく技術が未熟で、判断や処置に過誤があったという印象を受けた。


しかし、世論には徐々に変化が出てきます。きっかけはインターネットでした。

●逮捕報道直後より、医師達がインターネット(so-net m3の医師限定掲示
板や、医師のブログ等)上で、事故調査委員会報告書等から実際の症例の経過や処置を検討し議論が開始された。
●それにより、実情は報道内容とは異なり、医師個人に対する刑事罰の追求は不当と判断するようになった。


さらに、くい止める会の署名の活動も始まります。

●3月17日、(くい止める会は)厚生労働大臣に陳情書・署名を提出し、記者
会見を行った。
●これ以外にも、医師を支援するグループ、日本産科婦人科学会・医会、地域の医師会、病院会などからも多数の声明が発表された。
●産科医療の問題点がクローズ・アップされ、多数のメディアに取り上げられた。


そして、マスコミの論調もしだいに変わりました。

●2006年3月~5月に主要三紙で産科関係の記事は108以上にのぼる。
●3月の新聞見出しは「医療過誤」「医療ミス」であったが、5月には「医
療事故」「妊婦死亡事故」「医師逮捕起訴事件」に変わっている。


最後に、まとめとして、以下の3点が挙げられています。

①第一報の情報ソースは患者側家族や警察であり、公平に報道されたとはいい難かった。さらに翌日から第一報の情報を根拠に“加害者”被告側の非を責める「識者」コメントが報道され、これにより、一般人の医療不信を過度に煽ったことは否定できない。

②メディアにより産科問題が多数取りあげられたが、センセーショナルな内容が目立った。マスメディアには、地域医療の問題解決のための、堅実な情報提供と議論が乏しかった。

③医師はインターネットを通じて情報を共有し、活発な意見交換を行った。こ
れまで勤務医がまとまって意見を発言する場がなかったが、インターネットによる署名呼びかけに対して、短期間に多数の賛同署名が集まり、厚生労働省はじめ関係機関に提言を行うことができた。


以上から、県立大野病院事件の報道には、医療報道の難しさや問題点が凝縮されていることがわかります。

①の指摘するとおり、第一報の論調は大事です。そして使用する用語(医療ミスか、医療事故か、等)も大事です。それにも増して、“識者”と呼ばれる人のコメントが一般読者に与えるインパクトは大きいのです。しかし、この“識者”と呼ばれる人はどうやって選ばれるどんな人なのでしょうか。おそらく「記者(もっといえばデスク)のほしいコメントをくれる、それらしい肩書きの備わった人」という、報道側の都合に沿って選ばれているのでしょう。

報道側がほしいコメントがどういうものかは、上で振り返ったとおり。一般的に見ても、報道が被害者側寄りになるのは致し方ないことなのでしょうか?ただ、本当に国民の利益につながるのは、②でも指摘されている「堅実な情報提供と議論」です。ニュース性、話題性を追うのはマスコミの性だとしても、その分析内容は堅実であってほしいのです。そうでなければ、そもそも報道の信頼性に関わると思うのですが・・・。


それでも、私たちにとっての救いも確実にあります。上記の報道の推移をざっと見直してもお分かりいただけるとおり、インターネット上の議論が“揺らぎ”を生み出し、くい止める会をはじめとするアクション等の“うねり”となり(③)、最終的にそれにマスコミが追従しています。つまり、ネット掲示板での個人個人の小さな発言も、世論の大きな潮流の変化・修正につながり得ることを、この一連の動きが体現しているのです。

自分が普段出来ることはあまりに小さくて、妙に冷静になってしまうと、無力感にさいなまれます。しかし、こうしてたまに過去の事例を振り返ることで、また地道な一歩を継続する材料を見つけることができます。明日からもまたコップの外でザワついていこうと、ひとり奮起するのでした。

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コメント

 堀米さん、こんにちは。

 正史というのはこうやって書かれていくものなのかも知れませんが、本件についてはm3から発生した別の署名活動があったということは無視すべきでないと思います。

加藤医師を支援するグループ
http://medj.net/drkato/index.shtml

 3月上旬には署名活動が始まっており、最終的に800名にわずかに欠けるだけの798名の署名を集め、しかも声明文が発表されたのは「食い止める会」に先行すること10日の3月8日でした。

 署名数が少ないとか、社会に与えたインパクトが違うとかいう論評は可能かと思いますが、記されて然るべきと思います。

>中村利仁先生

ご指摘いただきありがとうございました。文中でも「医師を支援するグループ」で示唆しているのですが、もっとはっきり記すべきでということですね。(実は、これまでずっと個人的な好みで加藤医師のお名前は自分のブログ上に極力出さずにいたので上記表示になったのですが、結果、妙なことになってしまいました。無罪確定となっているのですから、その必要もないことはわかっているのですが。)

m3から自然に、自発的に始まったのは本当に意味があることです!たしかにそうした活動こそ、たとえ規模が小さくても、より評価されてしかるべきかもしれません。

>中村利仁先生、堀米様
横から申し訳ありませんが異議ありです。
m3での署名というのは
所詮内輪の医療コミュニティー内という安全地帯での活動に過ぎず
社会的な広がりは全くなかったと思います。
現に私は知りませんでした。何しろ医師限定サイト内のことですから。
誰が最初に始めたか、科学論争としては大事かもしれませんが
社会闘争の観点から見れば
袋叩きに遭う覚悟を決め安全地帯から出て社会と向き合った方だけが扱われたからといって
それを不当とは言えないと思います。

>川口さん 中村利仁先生

なるほど。そういえばM3は大半が医師限定サイトでした。ですから確かにそこでの署名活動については、私もよく存じ上げていませんでした。(医師の先生方と同じ部屋の中にいても、私は当然、医師限定の部分には自分の登録名では入れないのです!)

もちろん、だからといって声を上げる大切さそのものに変わりはありません。ただし、社会的な影響力という観点からは、M3内に活動がとどまることは、やっぱり残念ですね。ぜひ医師の先生方たちに、コップの外にもっともっと出てきていただければと思います!

 m3の中での署名活動ではありません。医療関係者のみを対象にした署名活動ではありましたが、それは署名の意味づけの問題であって、安全地帯云々という問題ではありません。

 また、署名付の嘆願書は当局はじめマスコミ関係にも広く配布されました。

 2006年3月11日付の朝日新聞福島地方版の記事には代表者の氏名と居住地・勤務先も掲載されています。もちろん、社会的広がりという意味では限定的な結果に留まったという評価はあるだろうと思います。

>中村利仁先生
なるほど事実誤認があったようで申し訳ありません。
当時の一般的な医療者の感覚として、安全地帯から出たものであったということは
理解いたしました。

>川口様

>医療者の感覚として、安全地帯から出たものであったということは
理解いたしました。

上記の表現は、「医療者の感覚としては、安全地帯から踏み出した大きな飛躍的行動と解釈しておられることと、理解いたしました」という含意かと受け取りました。

理解したけれど評価しますと川口様が仰らないことの意味合いが、医療者の方々にどれだけ伝わっているのか、少々悩ましく感じます。

>法務業の末席様
いつもながらの慧眼、恐れ入ります。

>法務業の末席さん

たしかに、そうした受け止め方のちがい、温度差というのは、「くい止める会」と世間一般の人の間にさえ、当時もあったと思います。それはやはり当事者感の有無の問題ですから、どこまでいっても、どこかで生じるものです。

しかしせめて、それが外に向かって積極的に開かれた活動であったなら・・・と思うのです。その点も、医療者のみを対象としたM3の署名活動(M3上で署名を集める以上、致し方ないのだとは思いますが。)と、多くの人々を巻き込みたいと試みた「くい止める会」の署名活動の違いなのかな、と考えます。

私個人としては今後、その試み、努力、あるいは少なくともそうした意志があるかないか、ということも、重要な観点としてみて生きたいと思います。もちろん、その前提として、温度差があるという事実を当事者側が冷静に受け止めることが必要ですね。

>川口様
私の投げた球は、直球ど真ん中かどうかは分かりませんが、少なくともストライクゾーンの内と判断しました。
ご回答下さり、ありがとうございます。

>堀米様
 >そうした受け止め方のちがい、温度差
う~ん、私としては今一つドンピシャのご理解と思えないのです。他者の受け止め方ではなく、当事者の持つ自己評価のモノサシの目盛りの違い、清水の舞台の高さの感じ方を論点とするべきと思いますが・・・。

>法務業の末席さん

>当事者の持つ自己評価のモノサシの目盛りの違い、清水の舞台の高さの感じ方

非常に的確なご指摘をありがとうございました。まさにそのとおりだなあと感じました。川口さんが「慧眼」と評されているとおりです!

一方、私のコメントの表現の“なんとなく感”はお恥ずかしい限りです。勝手なことを書いてちゃんとした球を返せずにすみません。

私が思ったことは、もっと具体的に書けば、「やってる当人はスゴイ事してる感を持っているかもしれない(そして客観的にも評価されることなのかもしれない)けれど、おそらく「くい止める会」のやったことでさえ、一般の国民の大半には、それほどには響いていないんじゃないかなあ」ということです。

なぜそんなことを考えるのか。響いていかない理由としては、そもそも危機感のない国民側に問題があるのかもしれませんが、それで国民を責めたところで何も変わらない。国民のほうからは自発的なアクションはなかなか出てこないと思うので、じゃあ、そんな状況であることを冷静に受け止め、理解していただいたうえで、医療側から先に歩み寄りの第一歩を踏み出していただきたいなあ、という思い、期待があるからです。

・・・すみません、またつらつらと書いてしまいました。おかしな点がありましたらご指導いただけますと幸いです。

堀米様

>やってる当人はスゴイ事してる感を持っているかもしれない

川口様の言わんとすることを理解されていると思います。自分の尺度ではスゴイ事でも、世間の平均からしたらアレシキの事という認識ギャップは、医療の話題に限らず沢山あると思います。夜郎自大、井底之蛙不識大海、自戒しなくては。

>おかしな点がありましたらご指導いただけますと幸いです。

指導なんてトンデモございません、皆様より沢山教えて頂いている身です。

>法務業の末席さん

井の中の蛙は大海を知らないですが、井の中についてはよく知っているに違いないので、井の外から見ればそれはすごい特権に見えます。そうした方々にとってはやはり大海に出るリスクはいろいろな意味で大きく、出ずに済めばそのほうが心地よいのだと思います。それが普通なのだと思います。だから井の中にいた蛙が外に出ようとしているとき、出てきたときは、それによって何を成し遂げるか、成し遂げたかばかりを取り沙汰するのでなく、出ようと決意して実行したことは、単純にすごいことだと思えます。そういうwelcomeな空気を、外にいる者ももっと持っているべきなのでしょうね。

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