小児医療と、少子化と、働き方。

投稿者: | 投稿日時: 2009年05月29日 13:40

世の中はここ最近、医療といえばインフルエンザの話題で持ちきりでしたが、そんな中で、小児・新生児医療に関する報道も地味ながら、コンスタントに上がってきています。


昨日も一日で立て続けに3報、現場の規模縮小に関するニュースがあり、驚いてしまいました。

●小児救急、来月から中止 県立三島病院
(愛媛新聞 2009年5月28日)

●青森市民病院:土曜午前中の小児外来休診--30日から /青森
(毎日新聞 2009年5月28日 地方版)

●国立甲府病院 新生児ICU半減へ(読売新聞 5月28日)


その一方、小児科の負担軽減のための策として、「電話相談」開設やその利用増が相次いで報じられてもいます。こうした状況や報道から考えが広がり、一児の母親としていろいろなことを思ってしまうのです・・・。

まず、この数日の電話相談に関する報道から。


●08年度小児救急電話相談 県内利用倍増の2200件
(信濃毎日新聞 5月28日)

●小児救急の相談窓口 丹波県民局が開設 
(神戸新聞 5月28日)

●電話相談を拡充 - 小児救急で来月から県
(奈良新聞 5月27日)


上記いずれも、土日等の休日や夜間の子どもの突然の体調不良に対し、軽症で本来自宅で様子をみるべきところ、適切な相談相手がいないために2次救急へ押しかけている事態を憂慮。かわりに電話相談で対応することにより、コンビニ受診等を減らし、小児科医の負担軽減を目指しています。


そして、ちょっと読んでみれば、神戸では、これまでも「小児科を守る会」の取り組みを通じて何度かご紹介している県立柏原病院が率先してこの対応に乗り出しているとのこと。市民のニーズをうまく吸い上げて、現場からも歩み寄っている様子が伝わってきます。


こうした中で、気になったのは、長野県での電話相談件数が昨年の2倍になったという報道のその中身。特に、「最も多いのは、医療とは別の育児相談。子育て世代の周りに、子育てについて気軽に相談できる経験者が少ないことも背景にあるようだ」、「核家族化などで、身近に子育ての相談相手がいないことが育児相談が多い原因ではないか」、という指摘です。


夜間や休日のコンビニ受診が問題となっていますが、その原因としてよく言われることの一つに、「共働き世帯の増加により、お母さんが子どもを日中受診させられないため」というのがあります。確かにそれはあるかもしれません。共働きであれば、軽症だからと翌朝まで待ったところで、日中は連れて行かれないからです。


ただ、経験から言えば、子どもは本当によく、夕方~夜に体調を崩すのです(たしかそんなデータをお持ちの先生もいらしたかと思いますが、見つからずすみません)。そんなとき、初めての子育てで、身近に頼れる先輩となるべき親もいないとなれば、専門家や慣れている人にはたいしたことのない変調であっても、必要以上に不安になってしまうものです。私の場合、子どもが生まれてから長めに実家に身を寄せていたので、自分の親を頼ることができました。正直、彼らも経験者ではありますが素人です。それでも、専門的アドバイスでなくても、一緒に状況を見て、考えてくれる存在と言うのは心強いもの。精神的支えになるのです。


ですから、医療電話窓口への「育児相談」が多いのは、安易に「何でもここに相談すればいいや」と思っているというよりは、相談相手のいない親の不安感が大きいからだろうと思うのです。不安感が強いと、ちょっとした異変でもオオゴトではないかと疑心暗鬼が広がります。新米の親にとって、慣れないうちは「大丈夫な異変」と「病的な異変」はそもそも見分けにくいことがあり、そこへ不安感が先行すると、ますます冷静な判断ができなくなります。専門家にとっては「育児相談」と取れる内容も、電話してくる親にとっては真剣な「医療相談」のつもりだったりするのでは、と思うのです。


その点、この電話相談は、深夜泣き叫ぶわが子を前におろおろする新米ママ・パパの精神的なサポートを引き受けてくれると期待されます。とはいえもちろん、専門家が近くにいて、その眼でみてもらうことの安心感に比べたら、物足りない気はするかもしれません。だからこそ、電話で応対してくれる人がどれだけ新生児・小児医療あるいは育児経験のある人なのか、親身に相談に乗ってくれるかも気になるところです。専門的知識があっても、そのために斬り捨てるような対応だったり、新米ママ・パパの不安を払拭できなければ、結局、彼らは「ああは言われたけれど、やっぱり念のため病院へ行ったほうが安心だよ」という判断をするような気がします。


ところで、再び共働き世帯の受診行動に戻って考えてみると、小児医療の問題は、小児医療の枠の中だけで考えていても簡単には解決できないように思えます。まして電話相談などの苦肉の策だけで、多くの問題が簡単に片付くこととは思えません。


すごくざっくりと言えば、
●国レベルでの予算規模を大幅に増やし、ヒトとモノをがっちり確保することで、増えゆく共働き世帯のニーズにも応える診療体制をつくっていくか、
あるいは
●共働き世帯でも日中に子どもを医療機関に受診させることができてあたりまえの働き方、職場のあり方を、社会が一丸となって推進していくか・・・。
そういったことまで考える必要があると思うのです。


ただし、昨今の少子化の中にあって、小児科は採算が取れず、人もモノも足りず、縮小が進んでいる、という現実を踏まえる必要もあります。となると私は、今以上に“便利”にする必要はないので、医師の適切な働き方を保障するだけの予算をつけ、人材を確保した上で、あとは後者の「働き方」を社会全体が見直していくことこそ不可欠だと考えます。


予算についてもそうですが、「働き方」についてはなおのこと、国民全体が考えて決断しなければどうしようもありません。保育園を増やしたり、病児保育を整備して「働く母親をサポート」することが、少子化対策でもしばしば前面に押し出されます。しかし、それが「休みを取らないで働くのが当たり前」ということを暗黙の前提にし、助長してはいないでしょうか。そうして結局、企業にとって都合の好い「働き方」が、あたかも国民のめざす「働き方」であり、社会体制だ、と思い込まされていないでしょうか。


ただし、その責任を国や企業だけに負わせようというのでなく、国民一人ひとりが、どれくらいの収入でどういう生活レベルで、どういう人生を送りたいか、ということを考える必要があります。視野をできるだけ広く持って、何が自分の幸せで、何が自分にとって大事なことか、優先順位をよくよく考えて、下にくるものはあきらめることも大事なことだと思います。


小児医療と少子化と働き方、バラバラに見えて、やっぱりつながっている。それなのに、どれかだけ、あるいはどれも良くしようとして別々に注力しても、たぶん上手くいきません。それぞれのつながりを考えた対応が必要です。それには国民自身も、自分の求める働き方や生き方をふまえた上で、社会に求めるものは何か、何をどこまで求めるのか、ということを考えておく必要がありますよね。そうすれば自ずと、国や社会に頼らなくても自分たちで対応できるものも見えてくる、そういう道を選べるようになってくる。そうすると無駄な不満や愚痴が減って、正しいと信じる主張が残ってくる。結局そのほうが気持ちよく毎日が過ごせるだろうな、と思うのです。

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コメント

堀米くんに日本の大統領になって欲しいとまた思た。

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