「救児の人々」感想⑤ |
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投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2010年07月26日 18:00 |
引き続き、感想文を掲載させていただきます。
昨年夏、新生児医療の教育に関する記事を書いた時にご紹介した若手小児科医の篠塚淳さんからです。
拙著をお読みくださって、ご感想をお寄せ下さいました。若手医師への教育セミナーに参加していた篠塚さんは活気に溢れ、新生児医療についての熱意を語ってくださいました。感想文からも、変わらずお仕事に邁進しておられるだろう姿が浮かんでまいります。
篠塚さんの感想を拝読していると、「救児の人々」333ページにある、網塚医師のこの言葉がを思い出しました。
「子供については、制度設計する上で「子供は親の責任」というところが根強くあるんじゃないかという気がしています。病院での新生児や子供の扱いという点から見ても、障害児の親になるとキャリアを捨てざるを得ないという現状も、根っこは一緒じゃないかと思うんです」
どんなに医療が発達しようと、一定の数で障害や病気を持つ人は存在します。そうなったときに、できる限り家族など周囲の人たちの負担を少なくし、本人もよりよく生活できるような、医療・福祉・教育のサポートが必要だと思います。大変なところだけは親がリスクを引き受けているという現状は、あまりにアンバランスではないでしょうか。
篠塚さん、本当にありがとうございました。
熊田さん
お久しぶりです。
宇治徳洲会病院小児科の篠塚です。
昨年の未熟児新生児セミナーではお世話になりました。
熊田さんの記事が今でも検索で引っかかってくるので、初めて応援に行った病院でも、「先生の記事見たよ」と声をかけてもらったりしました。
遅ればせながら「救児の人々」読みました。
昨年のセミナーでも熱心に取材されている熊田さんを見て、どこからこのモチベーションが生まれてるんだろう、と思っていたのですが、その危機感・問題意識がはっきり分かった気がします。
「Intact Survival(後遺症無き生存)」が僕たち新生児医全員の目標です。
しかし、早産に限ってみても、25週、24週、23週と早産児の蘇生対象が小さくなればなるほど、後遺症を残して生きている子供たちをたくさん作っているのが現実です。
またそのような子供たちほど、手もかかり、お金もかかり、長期入院を余儀なくされます。
医師や、医療費や、NICUといった、限られた医療資源が、後遺症を残す可能性の高い子供たちの治療に振り分けられていくのではないか。
その結果、早期に介入さえできれば救える可能性の高い子供たちを、医療にたどり着く前に”たらいまわし”で殺してしまう結果になると、まさに新生児医療の崩壊だと思います。
本当に崩壊直前の状況まで来ているのか、このまま進めば崩壊するのか。
正直、いろいろと取材してきた熊田さんの危機感が伝わってくるので、僕が感じている以上に、そのアンバランスは進んでいるかもしれないと認識を新たにしました。
正直言って、僕の周りでは、実はそこまでの危機感はありませんでした。
社会の人並み以上には働いていると思いますが、体を壊すほどのレベルにはまだ余裕があります。
僕自身は昨年のセミナーで、「ゴッドハンド」達の純粋に目の前の子供を救いたいという思いや、またその思いを僕たち若い医師にも伝えたいという熱意を感じ、新生児という狭い分野の面白さと、一体感を感じて「これからもがんばるか」と満足して帰ってきました。
崩壊寸前といわれている新生児医療も捨てたもんじゃないなぁと。
新生児医からすれば、障害を持つ子供が、親だけが人生をかけて守るのではなく、私たち社会が分散して見守っていけるような環境がもっと整えられればと思います。
どんな基準を作っても、100%安全なお産などありえません。
母体も命を落とす危険はいつもあり、生まれてくる命にとっても、突然死や脳性麻痺の可能性は必ずあります。
誰のせいでもなく、誰がなってもおかしくない状況なのに、それを親だけが背負い込まなければいけない環境こそ変えていきたいものだと思います。
急性期以外の医療を支える、人、物、お金が新たな産業として日本に根付いていけばいいのでしょうが。
倫理観というか、死生観というか、宗教観というか、僕たちはもっと生きることについて考えなければいけないのかなぁと考えさせられました。
魂込めて書かれたことが伝わってくる本でしたが、魂を吸い取られないように、熊田さんも息を抜きながらがんばってください。
地方から応援しています。
宇治徳洲会病院
小児科 篠塚淳