「慢性期にも十分なリハビリを」―認知症患者の介護家族の声②

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2011年04月22日 16:39

 2回目は、14年にわたって脳出血の後遺症のある夫の繁治さん(68歳)を介護してきた板垣明美さん(64歳)。繁治さんは一時寝た切り状態で、医師からも起き上がれる状態以上に回復することは難しいと言われた上、リハビリ病棟には180日間という入院制限がありました。あきらめなかった板垣さんは様々な情報を得て在宅で繁治さんのリハビリを続け、繁治さんは自力で立とうとするほどに回復しました。板垣さんは「退院後も地域で個人に合った慢性期リハビリを受けられるようにしてほしい」と話します。(熊田梨恵)

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医療関係者も人間ですから、病院や施設を姥捨て山のように扱う家族には機械的な応対になりますが、自ら動く熱心な家族に対してはできる限り希望に応じたい気持ちが働きます。医療制度内で現実に施せるリハビリの内容と回復・廃用の速度バランスから予測すれば、寝たきりからの回復は難しいと宣告せざるをえない慢性期の患者さんが、その後あきらめずにリハビリを続け会話が可能となり車椅子にのれる状態に回復した、杖で歩けるまでになったという例は実際に何度も経験しましたし、よくなった人に再会すれば素直な気持ちで祝福します。

ただしリハビリは人海戦術であり質の良いリハビリを行おうとするとそれだけ人手をかけねばならず、個人で費用負担できる人はよいですが、それを医療保険、介護保険など公でまかなうとなると莫大な費用を保険支払者に背負わせる現実は忘れてはならないことです。

人の命は地球より重いという「名言」がありましたが、そのような理想論が通用しなくなるほど高齢化社会の医療費・福祉費の問題は切実です。一つの家族の幸せのために社会がどれだけ費用を負担すべきかという問題は行政と受益者の間の共通理解なしには解決できないでしょう。

しろふくろう様

コメント、ありがとうございます。

>人の命は地球より重いという「名言」がありましたが、そのような理想論が通用しなくなるほど高齢化社会の医療費・福祉費の問題は切実です。一つの家族の幸せのために社会がどれだけ費用を負担すべきかという問題は行政と受益者の間の共通理解なしには解決できないでしょう。

ご指摘の部分について、私は「医療にどこまで求めますか」というサブタイトルの拙著「救児の人々」で書いて参りました。
こちらでは高度に発達する新生児医療とその後に続く福祉の貧困のバランスの悪さ、という部分から書いて参りましたが、同じことは高齢者医療にも言えると感じておりました。

そして今回の一連の在宅医療の取材(関西版の「それゆけ!メディカル」に掲載されるものも含めて)を通して、実感しております。

まさしくご指摘いただいた部分について、多くの方に考えて頂くヒントになればと思い、今回の連載インタビューを掲載しております。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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