胃ろう造設者の数 |
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投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2011年04月27日 14:49 |
備忘録。
業界紙情報によると、全日本病院協会の推計まとめ
・国内の胃ろう増設者・・・約26万人
・うち、一般病院16万9543人、特養3万6667人、老健2万1475人、訪看利用者2万8870人(医療9168人、介護1万9702人)
総務省の人口統計
・65歳以上人口…2965万人(2011年4月1日)
全日病の推計は高齢者だけに限らないと思われるが、見逃せない数字だ。
どう見るかは議論のあるところだと思うが、今後の高齢者医療で確実に増えることが予想される胃ろうをどう考えていくのか、死生観を含めて大きな問題になるはずだ。
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コメント
胃ろうについては超未熟児と同様センシティブではあるが、日本の大きな社会問題と考えています。
業界紙というのは具体的に何で、何年の何号の何ページでしょうか?この数字を引用したい場合もありますので、教えて頂けますと幸いです。
(細かいことで恐縮ですが、「増設」ではなく「造設」ではないでしょうか)
胃瘻造設にはインフォームドコンセントが必要です。インフォームドコンセントにあたって、医療者側が胃瘻の適応についてもっと周知徹底させるべきなのです。胃瘻のおかげで一時的な嚥下障害期を乗り切ることもできますので、ケースバイケースで中立的な医学的態度が肝要なわけです。ここで記者が問題とされているのは、胃瘻のために自然な最期の迎え方が出来なくなってしまっている現状のことと考えられます。老衰の過程で次第に食べられなくなってきた高齢者に、一つの選択肢として胃瘻を薦める場合、医療者は、患者さんの尊厳という観点も述べるべきでしょう。しかし、御家族にしてみれば、生死の選択を迫られて困惑し、本人の尊厳を尊重するよりも、身内として罪悪感を感じなくてすむ選択をしてしまいがちなのです。従って、普段から家族と延命治療について話し合っておくことが最も重要です。リビングウイルや事前指示書として、遺書と同じように文書化しておくことが勧められます。なのに、それをしていないのは何故かというと、そういう「縁起でもない」話題を避けてしまう傾向があることと、医療者側が「本人の意向」よりも「家族の意向」を安易に優先させてきた、日本の根深い非倫理的医療慣習があるからだと思われます。患者さん側も、自分の死生観どおりに死にたい、と声を上げ文書化すべきですし(家族に遠慮せず、かつ医療者にもはっきりと)、医療側も、それを助けるべきです。胃瘻や心肺蘇生処置で稼ごうなどと考える医療者がいるとは信じたくありません・・・・・。
TT様、生涯いち医師様
コメントありがとうございます。
>造設 、失礼いたしました。修正いたしました。
この数字は、メディファクス4月22日発行号9頁に掲載されています。
お二人ともがご指摘のように、胃ろうは非常に複雑な問題をはらんでいると思っておりまして、これからの高齢者医療を考える際のキーワードになるものと思っております。
在宅の取材を続ける中で胃ろうのことを知れば知るほど、「これは一体何なのか」と、思うようになりました。
>胃瘻のために自然な最期の迎え方が出来なくなってしまっている現状のことと考えられます。
まさしくここのところです。一時的な嚥下障害を克服しようとする方など、必要な方には必要だと思います。ただ、そうでない高齢者の延命に使われているところに疑問を感じました。背景にあるものは、生涯いち医師様がご指摘のところがあると思います。現場でもそのような話をちょこちょこと耳にします。
日本の文化、現代社会の問題、医療側と患者側の情報の非対称、死生観、個人の価値観、コストの問題などあまりに複雑に絡まっているため、私の中でまだ整理ができていませんし、言葉にできる段階でないと感じております。
しかし、私が拙著「救児の人々」で訴えているテーマ「医療にどこまで求めますか」と密接に関わっているため、見逃せない話題であり、数字だと思っております。
取材をしていても、様々な立場の方が、胃ろうへの問題意識を持っておられると感じております。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
80-90歳代の患者さんと日常的に接しているが、彼らのうち話すことができる人は、基本的に自分の死を受容していることが多い。
我々医師は、どのように生きるかという選択枝を示すだけではなく、どのような最期を迎えるのかという提案を積極的に示すべきだろうと最近考える様になった。
その中で、胃瘻の是非も当然検討したいのだが、胃瘻が必要となった時点で殆どの方は、意思表示ができないという現実がある。
田舎の消化器外科医先生
ご家族と医療者が「ご本人だったらどうしたいと思うか」と考えていかれることが大事なのだろうと感じます。
あるご家族の方は、「本人のそれまでの生き様を見ていれば、どうしたいか家族は分かるはず。それぐらい本人と向き合っていてほしい」と話しておられました。
ご家族がおられないケースもありますが、その人自身だったらどうしたいと思うか、というのは大事なことだな感じています。