南と付けた |
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投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2017年01月17日 00:00 |
昨日の勉強会は、東千葉メディカルセンターを心配する会という市民団体が主催したもので、こう書いて失礼だったら申し訳ないが、緩やかでありながら筋が通った集団のように見えて興味深かった。
開始前の打ち合わせで前嶋靖英代表の話を聴いて、ああ、だからか、と得心した。
まず、現役時代は、東京・本郷にある医療系の出版社で働いてそうだ。道理で医療従事者の論理への目配りが効いているわけだ。また、地域では長く少年サッカーの指導者を務め、現在も東金総合スポーツクラブの理事長らしい。これまた道理で。
一方で、小松医師が講演の中でも触れていたが、千葉県のこの地域は2004年からの県立東金病院や県立成東病院の内科医逃散、2008年の銚子市立総合病院の閉鎖など、長く医療問題には悩まされてきたわけで、住民が当事者意識を持つには充分の時間と出来事があったとも言える。
なお、前嶋氏も小松医師も両方言っていたのだが、2008年に千葉県が二次医療圏の組み換えを行い、この「山武」地域を「印旛」から切り離し、南の「夷隅・長生」とくっ付けたことは極めて重大なのかもしれない。というのも、この二次医療圏には3次救急施設がないから作ったという整理になっている。「印旛」には日本医大付属病院と成田日赤があるので、旧来の医療圏のままなら絶対に作れなかったはずだ。また、くっつける相手が東の「匝瑳」だったら国保旭中央病院があるし、西の「千葉」だったら千葉大病院がある。この病院を作るための恣意的な組み換えだったと考えるのが当然だろう。
誰がどういう経緯で進めたのか、情報公開請求をしていったら面白いかもしれない。勉強会をきっかけに住民たちの行動はさらに一歩進むだろうか?