産後、何が、なぜ大変になるのか?⑭つらい理由のまとめ

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2017年06月02日 11:15

今回で、この長かった連載を一旦終わりにしようと思う。

毎回この長文のブログを読んでくださった方々には、深く御礼を申し上げたい。

最初は普通に育児ブログを書こうと思っていたはずが、育児について書こうとするとどうしても産後うつの経験は外せないと思った。

また日本の妊産婦死亡の一位は医療トラブルではなく自殺、という報道は記憶に新しい。2015年には神奈川県で母親が生後間もない子どもを道連れに自殺したという事件があった。恐ろしい事態だと私は思う。それほどに日本の母親が危機的状態に追い込まれている。それなら当事者の声も聞きたいと思うが、産後うつの本人が声を上げるのは難し過ぎる。こんな仕事をしている私が当事者になったのも何か意味があったのだろうと思い、書き残しておこうと思った。

そして産後うつについて書こうと思ったら、私の幼少期の心の傷について書くことが必要になった。真剣に書きたい、伝えたいと思えば思うほど、話の内容がどんどんそっちに移ってしまった。

途中から読まれた方は、摂食障害だのDVだの、一体産後うつと何の関係があるんだと思われた方もおられるかもしれない。でも私にとって、それらは一つの線でつながっていた。

親の愛に焦がれるあまり、自分自身をどこまでも否定し続けた。その結果、私は最も大切な自分を蔑ろにしてしまい、心身がどんどん不調になり、死の淵に立ったこともあった。それでも、私などはるかに超えたところから湧き上がるマグマのような生命力は、私に死ぬことを許さなかった。

こうなったら何が何でも生きてやろうと、もがいてでもあがいてでもこの命を生きてやると思ってから、私は少しずつ回復の道を辿った。

私が自分を傷付け、否定するエネルギーは相当のものだったから、その振り子が反対のプラス方向に振れた時のエネルギーはさらに爆発的だった。プラスのエネルギーには周囲の応援が加わるからだ。

どん底の状態から多くの人の助けを、力を頂いた。私は自分の力で生きてなどいない、人によって生かされていると思うようになったのはその頃からだ。

そうして回復していく過程で、そんな自分の経験や知識を同じように苦しんでいる他の人のために生かしたいと思うようになった。このブログを書いたのも、私が苦しんでいた当時に何よりも欲しかった「共感」を届けたいと思ったからだ。

仲間がいると思うだけで、自分のことをほんの少しだけ許そうかという気になったり、今日とりあえず生きてみようかと思えたりする。ただ頷いて聞いてもらえるだけで心が落ち着いたりする。「死にたいと思っているのはあなただけじゃないよ、一緒に苦しんでいる人がいるよ」「一人じゃないよ」、と伝えたいと思った。
 
 
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なぜ産後につらくなるのか、塞がっていなかった心の傷が湧き上がってきたりするのかを自分なりに考えていた。

①ホルモンバランスの影響
既に言われている産後のホルモンバランスの乱れの影響で、心が不安定になりやすいというのは大きいと思う。産後の女性の身体は大けがを負った重傷状態とも言われている。心身は相互に影響する。

②初めての赤ちゃんに対する不安と戸惑い、孤独と孤立
初めての赤ちゃんをどう扱っていいのかという不安。自分のちょっとした行動や気付けていないことで、赤ちゃんの命を脅かしはしないかという不安。しかし赤ちゃんは自分から「痛いよ、苦しいよ」とは伝えてくれない。言葉の通じない、しかしすべてが自分に委ねられている生まれたての赤ちゃんを初めて目の前にしたら、戸惑う人の方がほとんどではないかと思う。周囲に誰かいれば相談もできるしガス抜きもできるが、常に一対一だった私は気が狂いそうになった。

この辺の話は、産後うつの話では必ず出るし、テレビでも詳しく特集されている。

③泣き声
子どものいる母親と泣き声について話すと多くの人が「自分が責められていると感じた」と言う。私もそうだ。自分の子どもの泣き声は母親にとってかなりの不快感を与えるとテレビで見た。

しかしそれだけではないように思うので、自分の経験から書く。

赤ちゃんが泣いていたとする。もちろん赤ちゃんは理由を言わない。母親としては、泣いているのは、何かつらいことがあり、不快なことがあるからだろうと推測する。泣いていない穏やかな時の赤ちゃんも知っているからだ。不快を表現して泣いているということは、母親である自分に向けて「なんとかしてよ」と言っていると感じるのは、至極当然ではないかと思うのだ。

理由は母親が推測するしかないが、一般的に言われているのは、オムツが気持ち悪い、ミルクがほしい、熱い・寒い、なんとなく泣きたい・・・。

あれこれやってみても、それでも泣き止まないことは多い。

『自分に向けて「なんとかしてよ」と言っているらしいが、理由が分からない、自分が推測するしかない』という状況は、今までの過去の経験が非常に投影されやすい場面だと私は思う。人は初めての場面に遭遇した時、脳が過去の経験に照らし合わせて状況を打開しようとするからだ。

子どもがやたらめったら自分に対して泣きわめいている。しかもこれだけギャンギャン泣くということは相当自分に対して強く訴えているのだろう、と思うと、過去に自分に対してネガティブに訴えらえた強烈な経験、親兄弟や先生から叱られた、友達や先輩から悪口を言われた、いじめられた、馬鹿にされたなど・・・そういう状況に重ね合わせてしまうのではないかと思う。

だから私の場合は、子どもの泣き声が自分にとっての最もつらい攻撃であった「もっと頑張れ」に聞こえていたのかもしれないと思う。

もし十分に自己肯定感が育っていたら、子どもが私に対して何か強く主張をしていても、それは自分を責めているわけではない、ということが肌感覚として分かっていると思う。私もそうだが、自己肯定感が育っていないと「強い主張」=「人格攻撃」と混同してしまうことが多いと思う。それも泣き声がつらくなる一つの理由だと思う。頭では自分が責められているのではないと分かりながらも、泣き声がそう聞こえて仕方ないというのはそう受け止めるクセが出来上がってしまっているからだと思う。

泣き声が必要以上に苦しく感じられる、というのはこういう部分にあるのではないかと考えている。

④適切な産後養生についての情報がない
産後に周囲から「おばあちゃんの知恵袋」的に「産後は水仕事はダメ」「重いものは持ってはいけない」「細かい文字を読んではいけない」「重労働はしてはいけない」と言われた人は多いと思うが(私はこういうことも知らなかったが)これらがどういう意味なのか、深刻度が今一つ分からないところがある。

産後は骨盤が緩んでいるから、とか、内臓の位置が変化するから、とか巷では色々言われているが、医学的に確かな情報なのかどうか分からない。するとあまり深刻に受け止めず、ちょっと無理をしたりして、結果腰痛が出やすくなったり、私のように目を開けていられなくなったり、という話をよく聞いた。
産後にどういう風に生活に気を付ければいいのか、それはなぜか、どれぐらいの期間養生すべきなのか、そういったことを医学的背景のある情報として妊婦教室などで教えてもらいたい。

⑤産後の母親に対する社会的サポートの貧困
私自身が産後に感じたことだが、産むまでは妊婦が主役なので妊婦に関する情報はたくさんある。しかし産後は赤ちゃんが主役となり、赤ちゃんへのサポートはたくさんあるが、母親へのサポートが突然消えるようになくなった感覚がある。突然RPG(ロールプレイングゲーム)の世界に放り込まれ、レベル1で地図も道具も装備もないのに、城に行ってボスを倒して来いと言われたような感覚だ。退院後は、今この瞬間何をしていいのか分からないという感覚になった。

母親へのサポートは自治体や住んでいる地域によって違いがあり、助産師の電話相談などもあるが、母親本人がアンテナを張って事前に調べておかないと、知らせにやってきてくれる、ということはあまりない。保健師の訪問はあるが少なくて短時間だ。

フィンランドでは赤ちゃんが生まれると、赤ちゃんの洋服やケアに必要なグッズ一式が入った大きな箱(この箱は赤ちゃんのベッドになる!)が届くという話をネットで読んだ。政府が始めたこのサービスによって、乳児死亡率が下がったと書いてあったが、母親にとっていい制度だなと思った。私の場合は育児に何を揃えたらいいのか分からなく、先輩ママから送って頂いたグッズのほかは、妊婦向け通販雑誌や個人ブログなどを参考にするしかなかったからだ。日本でもこういう母親向けサービスがあればいいのに、としみじみ思った。

赤ちゃんは大切だが、その赤ちゃんを育てるのは母親なのだから、もっと母親へのサポートを充実させてほしいと心の底から思っている。
 
 
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今の私は、産後うつを克服して素敵にかっこよく育児、などとは全然いかず、日々イヤイヤ期の子どもに振り回され「もう嫌だー!」と音を上げていることも多い。今朝も保育園に行く前に、朝ごはんの納豆とシラスで顔や頭をぐちゃぐちゃにして楽しそうに笑っている息子を前に、萎えていた。

しかし、子ども自身がどんどん成長し、手を離れてくれるようになるにつれ、楽になることも増えた。ギャン泣きされることもしょっちゅうだが、その時に過去の自分の傷が重なることも少なくなった(正確に言うと、重なっても自分で自覚しているため、対処しやすくなった)。

何より、こんな自分もいいかなと思えるようになってきたので、以前に比べて自分自身が楽で生きやすくなった。子どもと笑い合える余裕も、少しできてきた。

自分を認め、受け入れ、誉める練習はまだまだ続けている。

産後うつ、そして私の過去の傷からの回復の過程は、私が自分で否定し続けた自分と分かり合い、自分で自分に寄り添い、認めて受け入れる、そういう過程だった。

誰よりも強い自分の味方は、誰よりも自分を知っている自分。諦めずに頑張ってきた自分を知っている自分。だから、自分を誉められるのは他の誰でもない自分であるということ。

そのことに気付いていく、それが私の回復のプロセスだった。

これだけ長年付き合ってきた自分だから、自分を味方にできたら最強だと思う。そのための自分の「取扱説明書」を今作って、毎日それに沿って自分と接しているような、そんな感覚だ。
 
 
 
私はこれからも、産後うつを経験した一人の母親として、また医療記者として、育児について、医療について書いていきたいと思う。そしてこの経験を、同じように苦しんでいる人のために何かの形で役に立てたい。

これからも頑張りますので、どうか皆さま引き続きご指導いただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。


熊田梨恵

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