医療事故調検討会12
本日は、堺委員と高本委員が欠席。
参考人として矢作直樹・東大病院救急部長が出席。
矢作教授はモデル事業の東京地域代表だという。
前田座長
「話題は二点。一点目が行政処分、これまで議論してこなかったが重要。二点目は届出、前回、前前回も特に範囲について議論してきたが、より具体的な材料を事務局に出してもらったので、それを元にご議論いただきたい」
事務局の佐原室長が20分ほど説明。
特に皆様に関心のありそうな資料がこれ。
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このタイミングでこういうことを議論するのに
アリバイづくり以外のどういう意味があるのかと思うのだが
そうは言っても検討会で文書が出てきてしまった以上
いろいろ関心を呼ぶものであるとは思うので挙げておく。
(以下21日に記す)
さて、議論の模様を拾っていこう。
本業の方で何だかんだあって
こちらの更新に手をつけられずにいるうち
K先生ご指摘の記事まで出てきてしまって
その時点で聴きながら思っていたことと
今思っていることとで
若干変化のあることをあらかじめお断りしておく。
前田座長
「非常に具体的な事例を揃えていただいたので、議論したくなるところだが、時間がなくなっちゃう可能性があるので行政処分から先に議論したい」
どうやら今回、事例を列挙したのは、座長が主導したらしい。
そして、行政処分の議題は
サラっと流れると思ったのか
それともサラっと流したかったのか。
「医療安全向上のために行政処分をもっともっと前に進めるべきだという考えは厚労省にもある。ぜひ忌憚のないご意見をいただきたい」
この言葉をどう解釈すべきか。
ここから特に発言力の大きそうな3人が連続で話す。
山口
「行政処分がようやく取り上げられて嬉しく思っている。どういう事例が警察へ通知されるのかという議論に終始してしまっていたが、本来的には欧米のように行政処分が先にあって、極めて例外的に刑事処分が行われるというシステムを作れれればと考えていた。何が警察へ行くのかという議論ばかりになるのは、その前の行政処分の話が検討されてこず、全体の枠組みが出てこないからでないかと考えている。
行政処分は、今の第三者委員会とは別に独立して検討されるべきだし、その組織には、指導・処分が医療界から受け入れられるように権威がないといけない。プロフェッショナリズムに則って、医療界・学会を巻き込んだ組織にできることが必要。また、その処分にあたっては十分に事情聴取が行われ、納得いくプロセスも必要だ。書類の審査だけで決まることのないようにする必要があり、そうなるとブロック毎に処分に関する組織ができることが望ましい。どうやるかは、これからの議論」
樋口
「改めて考えてみて、今回、何が問われているのか。いろいろなものがあるけれど、特に医療事故に対して一体どういう形で責任を取らせるのか、それに一体どういう意味があるのか問い直さないといけない。
最大の課題の一つは、事故の関係者は誰もハッピーになっていないということ。そこに無理やり被害者と加害者を決めても、実際には両方マイナス。足してもマイナスにしかならない。ところが数学では、マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになる。それくらいの発想、知恵が必要だと思う。1人に悪いヤツとレッテルを貼って終わりにしたらマイナスが増えるだけ。
知恵の絞りかたの一つが第三者機関、医療安全調査委員会なんだと思うが、これにはコストがかかる話。警察、検察の方もご苦労はされていると思うが、相対的にはコストがかかっていない。もっとコストがかかる。その覚悟を持ってやらないといかんと思う。
そこで行政処分だが、たまたま平成18年の医療法改正の際に、私も検討会委員として関与していた。ところで法律家が考えているものと、一般の人が考えているものとで、行政処分の意味が違う。本来的には国民の権利義務に関する行政の行為はすべて行政処分。医師免許を与えるのだって行政処分。医療機関の開設許可を出すのも行政処分。でも一般には悪いことしか連想しない。それが前提。『責任追及を目的としたものでない』と書いているが、そんなことを書く時点で制裁の発想になっている。それではやっぱり診療関連死の行政処分はマイナスを増やすだけだと思う。
かつての検討会でウダ(?)先生から言われて結局宿題になって残った問題として、due process、適正な手続き、どういう行為をやったらどの程度の処分になるのか事前に示しておく、基準を明らかにしておいて、その基準を適用して処分する必要がある。実際には相場感はあるにせよ、明示するのは難しい。しかし行政処分に関してもアクロバティックな転換が要るのでないか。強制猥褻とか殺人とか医療と関係ないものは論外で制裁して当たり前だが、医療行為に関しては一次的には安全に資するための行政処分であるべき。戒告と再教育が原則と明らかにした方がよい。もちろん同じようなものを繰り返すなら免許停止、取消もやむをえない。でも第一には、安全に役立てるためということで、制裁を加えることで遺族の気は若干晴れるのかもしれないが、それだけで済むのか。一方でたとえば命日に遺族に対して、病院から『あの医師はことし何人の命を助けました』という報告の行く、そういう形で責任を取ってくれるなら、そっちの方がありがたいと思いたい。
そのような姿勢を原則として宣言していただく方が、実際の的確な運用にもつながる。施設に関しても、閉鎖されたら他の患者さんに迷惑なだけなんであって、勧告・助言を中心に、繰り返し起こすような機関にだけ別の処分を下すことになるというような段取りを明らかにする必要がある。
処分を行う組織は別々というのはその通りで、たとえ戒告であっても不名誉な話には違いないので別にやってもらった方がいいし、安全委員会の方は今回の事故はということで終われるが、行政処分の組織の方は再教育を担当して、関与が継続することになるのでないか。
整理すると、思い切って原則を出してみたらどうか。なんでも制裁ではうまくいかないということを勉強してきた。真っ正面から認めた方がよろしいのでないか」
加藤
「厚生労働大臣が行政処分で業務停止を命じても医療安全にどの程度の意味があるのか。停止されても、いずれ復帰するということであるなら教育に力を入れないとというのは、その通りだと思う。その際、プロ集団として内部で自律的に内部的サンクション、同僚評価、同僚批判と処分、そういった土壌・文化を形成するよう政策を進めることが大切でないか。
学会は学術的に活動するが、その同僚批判がどこまで実効性があるか、医師会もリピーター医師にどう対処するかに苦労している。その意味で自浄作用、堺委員から余り使ってくれるなと言われたが、その意味での自律的再教育と排斥、プロとしてのケジメの付け方が大事だと強調したい。そのうえで不十分な部分を行政処分が担う。本命は再教育の仕組み・。なじまないものは免許取り消しもあってよい。
今回の一連の検討は、質の確保、国民の安全確保のための営みと理解している。『業務改善命令』のところだが、根本的に再発防止につなげるためには、例えば人員配置をきちんとしていたのか、勤務体制がどうだったのかとか、コストの問題とか色々な問題につながっているのが色濃く見えてきて、恐らく厚生労働省の施策までかかわってくる。命令もしなきゃいけないが、それに留まらない質量が必要とされることを強調したい」
前田座長
「この案では、システムエラーということが強調されていて、その改善には刑罰より行政処分の方がなじむという考え方が入っている」
楠本
「看護の方は、たとえ標準的な看護を提供しても及ばないことがある。検討会では、たくさんの職種が関与してやっていく医療という観点であまり議論されてこなかったと思う。1人の人を罰したところで安全確保につながらない。システムや情報の流れ、その時々の状況、様々な観点から見る必要があり、『体制整備に関する計画書を作成し、』の部分は外してはならないと考える」
鮎澤
「システムエラーが強調されているが、見て、あれ? と思った。システムエラーの観点はとても大事とは思うが、個人はどうなっちゃうの? とも思う。あえてシステムエラーだけが強調されるのでなく、行政処分は改善に重点を置くと書いたうえで、改めて次項でシステムエラーに触れるのが妥当でないか」
前田座長
「事務局の方でも、そこまで書きぶりに意図があるわけではないと思う。次回までに修正をお願いしたい。たしかに誤解を招きかねないところはある。今回はまだ消化不良はあると思うが、主眼が改善に向いているところはご理解いただけたと思う。
ここでも処分されるのだから規制が広がるんじゃないかという発想に医療者がなるかもしれないが、それは全く逆だ。これによってサンクションを狭めることができる。刑罰はやはり改善に向いたものというよりは処罰のためのものだ。
では、今日は具体例がいろいろ出ているので、届け出範囲のことに議論を移りたい。ご専門の立場から、また被害者の立場から、どう考えるか順に議論したい」
まだ意見が出そうな感じだったのに議題を転回した。
その時点では事例を議論したいのだと単純に解釈したのだが
厚生労働省を少々甘く見過ぎたかもしれない。
"システムエラーの観点から医療機関への行政処分を強化する"
方向性に異論が出なければ
医療法改正案を出す論拠になるという魂胆だったのでないか。
委員は尋ねられてないから言わなかっただけ、というヤツだ。
しかし少なくとも加藤委員、鮎澤委員の意見で分かるように
そんなことに検討会はお墨つきを与えていない。
改善が必要な医療機関があるというのは事実だろう。
だが
厚生労働省に命令する権限を与えれば
事態が改善するなどという根拠はどこにもない。
むしろ過去に厚生労働省が何をしてきたか考えた時
ちょっと待て、それは別の機会にしっかり議論しようよ
と考えるのが普通でないか。
本当に盗人猛々しいというか油断も隙もないというか。
そして届出範囲へと議論が移っていったのだが
聴いていた時点でも既に
今この話をする意味が全く分からない
と感じていた。
後から振り返れば
行政処分の話が本質的に深くなっていくのを防ぐ
目くらましの効果はあっただろうか。
加藤
「事例の16。合併症として届けなくて済むかどうかの議論だと思うが、穿孔を起こしたらすぐに死亡するわけではない。発見、対応、様々な段階を経てついに死亡というプロセスを辿る。
ここでは届けなくてもよいものを示したという風に取れるのだが、むしろ基本的に届ける例を示した方がよいのでないか。医療安全のために貴い犠牲から教訓を引き出すのであれば、届出の範囲を狭くして、その限定的な教訓で果たして質の向上につながるだろうか。貴い犠牲を生かすという視点に立つと、この整理では大事なものが落ちていくのでないか」
前田座長
「幅広く届け出てもらって、できる限り教訓を引き出そうとするのか、それとも範囲を明確にして萎縮医療を防いでいくかは、それぞれに意見があると思う。初めて突っ込んだ議論をしているので、いきなり一致するのは難しいだろうが、およその合意形成はしたいと思っている」
山口
「加藤委員の事例16に関するご指摘はたしかにその通りで、プロセスの中で不適切な処置が行われた可能性は否定できないが、たぶん厚生労働省が示したかったのは、問題となる部分以外はまた別に「適切な処置」だったかどうか院内で検討すればよいということなんだろうと思う。本当は検討する範囲すべてを書いてないと判断がつかないところだが、それを例示することは難しいので、こういう形で構わないのでないか」
前田座長
「長いと議論しづらいので、無理を言って詰めてもらった。言葉が足りないことはあるだろう。ただ、なるべく多くなのか、それともこれは届ける必要ないなのか、その辺のニュアンスのすり合わせはしておきたい。
医療現場と一般国民のギャップが少しでも埋まれば、そのことが明確になれば、と思う」
木下
「事例の16や15が本当に第三者機関で検討すべき事例なのか。どうしてこうなったのか、防げなかったのかは、まず院内で検討すべき問題だろう。
再教育につなげる、刑事的なことではない、という視点からすると、届けないことイコール調査しないことではない。そういうものは院内で調査すべきだ。きちんと仕分けすれば納得いただけると思う」
前田座長
「再教育の話と少し錯綜しているので整理したい。この委員会に届け出るべきか、委員会が受け入れるべきかというのを事例ごとにご検討いただきたい。もう一点、一般の目、患者遺族の目から見てどうか」
豊田
「全体的に患者の立場からすると、スタートの時点で誤りが明らかな事例と思ってしまう可能性を感じる。ただ私も病院に勤務しているので先生方のおっしゃることも分かる。
院内できちんと調査しないといけない事例は届出不要だというお話だったが、第三者機関と院内との連携も大切だ。院内調査委員会をきちんと立ち上げられる病院ばかりではない。そういう立場からすると、第三者機関に相談に乗ってもらえるような体制が必要。
それから日頃も、院内でこれは事故ではない合併症だという結論に達した時、家族の立場だったらどう思うだろうとスタッフから声があがることもある。届け出ないと決めた場合も、なぜ届け出ないのか、ちゃんとお伝えしないと誤解を招くことになる。だから、遺族から届け出てほしいということがあれば、出せるよう道はつなげておいてほしい。
繰り返しになるが相談体制をきちんとしていただきたい。でないと、かなりの医療機関でかなり戸惑ってしまうと思う。ここでいくら議論したとしても、実際の現場では絶対に悩む。だから医療機関が自分たちの力で決めなければならないのだけれど、その時に相談を受けてくれる場所は必要」
前田座長
「念のためだが、システムとしては遺族からの届出ができる仕組みになっている。ただ患者側の立場に立つことの大切さは改めて感じた」
辻本
「基本的に豊田委員と同意見。ただ、この事例が独り歩きするであろうことを考えると難しい。実際には背景の年齢、病歴、病態によって判断が変わるはずだ。
一つ申し上げたいのは、患者側も不信感の塊のような人ばかりでないということ。冷静な判断のできる人だっている。そして、それまでに十分なケア、キュアが行われ、その後の事態に対しても納得できる対応がされているという場合には、マニュアルに従えば届出対象と医療機関が判断する事例なんだけれど、もう結構ですという事例だってある。その道が書かれていないことが気掛りだ。
それから例以前に欠落しているのが『合理的な説明』という重大なポイントについての考察。事故調を良くしていこうという狙いが大きいのなら重点的に議論するべき。それのないうちに事例だけ独り歩きする恐ろしさを感じる。
不安も不満も引き受けて、冷静に戻ってから話し合いに臨めるよう、患者側を支援するものが並行で準備されていないで、事例云々だけは問題だと思う」
前田座長
「患者側が届けなくてもよいというものに関しては議論が必要だろう。将来の医療の改善のためなら、たとえ納得していても、その犠牲を生かしてという考え方はあると思う。
相談的なものを充実させる必要があるというのは従来からも出ていた。
この例は明らかにおかしいじゃないか承服できないというものはないだろか。今回かためてしまうわけじゃないが先に進めるための御意見として伺いたい」
矢作参考人
「個々の事例でなく制度設計について質問したい。医療安全の向上に資するという目的からすると、迷った時に届けない方へ流れるというのはどうなんだろうか。これに関して、入口出口それぞれの問題があるだろうが、入口では届出を多めにしてペナルティは抑えて、出口も社会常識的なことにする、殺人や改竄など悪質な事例に関しても法的判断はせず結果のみ示すことにならないだろうか。第三者機関に弁護士や一般国民が入ることで、ほぼ社会常識に沿った判断が出るのでないかと、モデル事業の経験から推測する。その辺が表に強く出るといいかな、と思う。
このフローチャートを見ると、届出不要が多くなりそうに見える。迷ったら届けて審理してもらって、議論の結果も公開されて良かったなという方がよくないか」
前田座長
「今の入口出口の話は加藤委員の意見ともつながってくる。今は基準を明確にしたいと思ってやっているわけで、なぜかと言えば気軽に出してというのが、医療者に最も恐がられる。何でも届けてとやった時に多くの事例が入ってきて材料がたくさん得られるか、解剖の数にもよるだろうが、迷った時には出さないでいいですよという感じの方がうまくいくのでないか。
それとペナルティの問題に関しては、故意に届けでなかった場合のみペナルティが科せられるのであって、故意であるというのは当然立証の必要がある。客観的に見て届けでなければいけないと分かっていた事例の場合のみで、しかも刑事罰ではない。厳しいことを言っているつもりはないのだが、これがなくなると、出す先生と出さない先生の差が大きくなりすぎないか」
座長の頭の中に
常にトンデモな医師群のイメージがあると分かる。
そういう人を何とかしてほしいのは全く同感なのだが
悪いヤツを基準にして国が権力を行使するという考えに接すると
角を矯めて牛を殺すという言葉が浮かんでくる。
矢作
「医療側が出すべきものを出さなかったとしても、現実的には豊田さんがおっしゃったように家族側が相談できるルートで換わる。その時に隠しちゃったという気持ちと後で漏れたらシッペ返しを食らうということとを考えたら、善良に審理していれば、今までのように警察や検察、警察や検察の方を目の前にして申し訳ないが、そういう素人の人が審理していたようなものから、とんでもなく悪くなるはずがない」
前田座長
「私ももちろん、そう思っている。新しい制度で入口にペナルティなど科さず、将来の医療につながるものが自然に多く集まってくるならそれでもよいだろうが、そのあたり届出範囲にもかかわってくると思う」
辻本
「お言葉に引っかかってしまったのだが、そうしないと材料が出てこないおおっしゃっただろうか。遺体は材料ではない。先ほど、遺族の納得が得られた場合でも医療の改善のためなら届出が行われるというお話だったが、今欠けているのがまさにそこの点。第三者機関では解剖が前提になるという話にもなっている。国民感情として解剖は回避したいという方も多い。そういう気持ちを無視することが横行するなら、それは患者の視点ではない」
前田座長
「材料という言葉について、お詫びして訂正したい。ただ、解剖を前提とするかどうかは、また別の話だ」
鮎澤
「ここまで書かれたかと思った。3行4行でまとめることの難しさももちろんある。実際の個別事例は、いくつも論点があり、それぞれ医療界の中ですら議論が起きるようなもの、まとめるのが難しい。それともしどんなに文字を増やしても、あるいはどんなに事例を積み上げても書きようがないものは残る。その場で判断するしかないものは残るんだと思う。そのうえで改めて確認したい。穿孔が起きたからといって届けないでよいという読み方をするのではなく、穿孔にも防げるもの、防げないものがあり、それはときどきで判断するということでよろしいか」
佐原
「まさにそういう点をご議論いただきたい。結果をもって誤った行為と判断するのか、プロセスを見ていくのかということなんだと思う」
鮎澤
「院内感染のところも死因が合理的に説明できれば届けでないでよいというような書き方がされているが、死因を説明できたら届けないでよいことになると、たとえ過失があっても説明できるものはある」
前田座長
「これも短く書いたことによって誤解を招いただけで、死因が説明できちゃえばいいというものでないことは明らか。今回は基準を作っていくために、具体的な事例を短くしていただき大変なご苦労をしていただいた。私の方で無理をお願いして出してもらっている」
加藤委員
「資料2のP3、『届出不要と医療機関において判断される可能性が高いと考えられる事例』の表現だが、『であろうか』と書いておかないと誤解される。その次も同じ。断定的に書かれて流れていることは大変な問題だ。厚生労働省の見解のように出してしまったら、独り歩きすることは目に見えており問題だ」
佐原
「ご指摘のとおり。ボカシて書いたつもりだったが、配慮が足りなかったと反省している。真意は、医療機関の専門的な判断が原則と提案したつもりだ」
木下
「個々のものを書くのは難しい。背景に様々な要因がある。この文書の意義は、救急医療や手術場における死亡を全部届けるのか、いやそうではないということが明示されたことで、現場の方々に説明して納得してもらえるのかということを考えると、状況に応じて変わるということが分かればよい。本来、安全に資するなら全例やったらどうかというのもあり得る。しかし、本来はまず院内で究明に努めるべきであるのだから、今回出された事例としては、これでよいのでないか。これはおかしいというのと、言い尽くされていないというのとは別。言い尽くしたとは思わないが、参考にはなるかなと思う」
樋口
「この資料をどう読むかなんだが、第一点はしつこいくらいの繰り返しとして、遺族については状況がどうであろうと届け出ることができる。だから、この資料は遺族には関係ない。そもそも3行だろうが10行だろうが2ページだろうが、私も含めて素人なんだから分からないものは分からない。だから、この資料は医療者向けのものだ。では、なぜこんなものが必要なのか。
本当は何でも届けてもらって教訓を得られるなら、その方がよい。そこでそういかないのは、医療者の気持ちを忖度するならば、届け出れば行政処分・刑事司法が待っている。なぜのこのこ出ていかなければいけないのか。かといって出さないと別のペナルティがある。こんな制度恐くてかなわないということなんだろう。一方の制度設計側も、ペナルティを科しておかないと医療者からは事例が出てこないのでないかと思っている。これではプラスの方向に転化する営みもなくてマイナスだけにしかならない。医療者側は人のよい医師や施設だけがバカを見るのでないかと不信感を持っていて、設計側も義務づけないと出さないに違いないと不信感を持っている、という不信の構造になってしまっている。せめて折衷して安心してくださいと言うことは必要でないか。この構造を何とかしないとひとつひとつのところで詰めても今後不毛な議論になりそうな気がする。
その意味で一番大きいのは行政処分の在り方が処罰でなく改善に向いているんだということを、もっとハッキリ言わないと信じてもらえない。いわば太陽政策と同じで甘すぎるという批判もあるだろうが、いつまでも心配していると先へ進まない。思い切ってあきらめて、不信の構造をやめ、行政処分はアメですよとハッキリさせた方がよい。事例1など今までの感覚で言えばすぐ刑事だと思うが、これを届けたら刑事司法へ通知が行くか、必ずしもそうではないということだ。。システムエラーの側面がないか、専門家の目を通して見たうえでの判断になる。そういった前提なしに話を進めても、事例をめぐって意味のない議論だけが行われるのでないか懸念する。
転落や院内感染について、そんなものまで届け出を受けて第三者機関がうまく解決できるか。たしかに、こういう問題だって第三者で判断してくれるならありがたい、標準的な院内体制が本当にそうなのかチェックしてくれたら。でも万能な機関ができるわけじゃないことは忘れたらいけない」
児玉
「事例の文章は、言葉を勝手に足して読むべきものではないと思う。もう一つ、スポーツになぞらえるなら、打率3割5分の大打者も6割5分は打ち損なう。果敢にトリプルアクセルに挑戦したから転倒した、チームが弱いから勝ち星に恵まれないというような、場面場面で現場で苦労していることが本当に理解されているのだろうかとは思う」
豊田
「樋口委員の意見には遺族の意見がかなり含まれていると思う。行政処分という言葉が悪いものだけを想起させるという点に関しては、そこに対して配慮するだけの思いやりを持つ気持ちにはならない。
しかし私の息子のときのことを言うと、同じ地域で3ヵ月違いで報道されるような医療事故が連続して、地域がパニック状態になった。救急車が運ぼうとしても、別の病院に行ってほしいと言われるような感じで。この話を聞いて、私たちが騒いだからいけなかったのだろうかと自分を責めたこともある。それって完全に悪循環だ。だからといって遺族が訴える制度がなければ、結局そうならざるを得ない。
事故の当事者が100%何の反省もしていなければ別だが、たいていは意識が高くなっているはずなので再教育を受けて現場復帰し安全を願える、そんな処分にしてほしい。悪い方向に持っていかないでほしい。
処分がある程度強制的に入ることによって、医療者と遺族とがコミュニケーションを取りやすい状況になると思う。連絡を取らないと、どんどん互いに不信感が高まって、遺族側からすると自分たちの犠牲は無駄で医療機関が何も考えてくれていないと思ってしまう。よい方向性を検討していただきたい」
南
「例示は読み方が難しい。この資料が、届出不要の根拠となってしまう恐さを感じた。患者さんからしたら不要とは思えないような事例も、全部不要でないかとなっている。どちらが妥当か、よく考える必要がある。
安全に資するのを目的とするなら、何でも届けてもらう方が本来ではあるだろうが、しかしここまでこの委員会に求められるのか。無理なものを求めても難しい」
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