村重・前大臣政策官が行政刷新会議へ 舛添氏の懐刀
舛添要一・前厚生労働大臣の側近として省内改革に取り組んできた村重直子課長補佐(前・大臣政策室政策官)が5日付で内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)付に異動した。前大臣の省内改革を熟知している同氏により、行政刷新会議の厚生労働行政検証に新たなノウハウが加わることになる。(川口恭)
村重氏は98年に東大医学部を卒業後、内科医として横須賀米海軍病院、米・べスイスラエル病院、国立がんセンター中央病院と計7年の臨床経験を積んだ後、05年4月、厚生労働省へ医系技官の課長補佐として入った。医系技官は臨床経験がほとんどなくて当然という中で、日米の臨床現場の実情に通じた極めて異色の人材だ。
関係者によると、村重氏が厚生労働省に入ったのは、現場感覚からズレた医療政策が生み出されるメカニズムを内部から探るためだったらしい。ある程度の見極めがついたので辞職して外部から提言しようかと考えていたところで、ちょうど舛添前大臣に見出された。幾多の不祥事を機に新設された省改革推進室(後に大臣政策室に改組)の中心メンバーに抜擢され、前大臣の目や耳の代わりとして大活躍した。『安心と希望の医療確保ビジョン』など舛添氏が独自の医療政策を次々と打ち出せた背景には村重氏の存在があった。
しかし、政権交代と同時に大臣政策室は解散され、村重氏自身も省の改革には影響力を持ち得ない厚生科学課へ異動となった。今度こそ辞職するかと思われた村重氏だったが、その活躍ぶりを知る人々が仲介して行政刷新会議へ異動することになった。
村重氏は「医療改革は、他分野の改革よりも2年先行しています。舛添改革によって、既に国民の心が変わり、医師養成数増や2200億円削減方針の撤回などを成し遂げてきたからです。この土台の上に、さらに具体的な改革を進める段階にある今、仙谷大臣という素晴らしいリーダーの下でお手伝いさせていただけることになりました。まだまだ課題山積していますが、少しでも現場が良くなるよう、微力ながら、全力を尽くしたいと存じます」と決意を語っている。