東海道五十三次

投稿者: 真木魔愛 | 投稿日時: 2006年10月08日 20:54

今日は市民体育祭。

町内役員(班長)として頭が痛いのが、競技種目にエントリーする人集めです。

事前の係り打ち合わせに夫が参加したとき、
「東海道五十三次」という種目は
“籠に乗った女性を二人の男性が運ぶ”
というもので、これなら運動制限のある私でも参加可能ではと勝手にエントリーしました。

これが痴話喧嘩の火種となったことは想像に容易く・・・

「なんで~そーゆー無神経なことするわけ?
落ちて怪我したらどーすんの? 翌週の仕事わかってて、そーゆー意地悪するわけ~、馬鹿!」

ここぞとばかり罵り続けたのでした。

20年来懇意にしている知人ご夫妻が同じ町内に引っ越してこられたというよしみで、
何とか代役を頼み込みました。

今朝、本番を見て・・・コレ↓

東海道五十三次.jpg


もの凄い暴走なんです・・・

「アンタには無理でしたな・・」(← 夫のつぶやき)

昼に来賓席のテントが突風で飛ばされかけたアクシデントで午後のプログラムは中止。

ようやく盛り上がりを見せて、午後から雪辱を期そうと、ムカデ競争や町内対抗リレーの直前練習をする姿も空しく、リベンジかなわず9町内中、8位ブービーの成績でした。

来年は一種目でも出場できるようになったらいいなと思った召集・進行係でした。

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コメント

天高く馬肥ゆる秋になりました。良いお天気に恵まれ、あちこちで運動会が開催されておりました。

真木さんは感性豊かですね、表現の最初に東海道が出て来たり、里の秋が出て来たり。

東海道と言えば五十三次、
私が少年期から25~6歳まで生活した横浜市内にも旧東海道が有りました。
大学で史学を専攻した友人と、高校生の頃から、この旧東海道を自転車で幾度も散策をいたしました。
鶴見の生麦事件の現場や、箱根八里、三島権現辺りまで、二人で出掛けて行きました。

あの頃は未だ旧道の面影が残っていて、信濃坂の一里塚など完全な形で存在しておりました。
舗装される以前の道で、道路の幅員も江戸時代と同じ条件をそのまま残している部分が多く残されておりました。
大磯の東海道、此処は新道に吸収されてしまいましたが、吉田邸、(吉田茂首相)サンフランシスコ講和条約時の総理大臣、
この方が背戸から私邸に歩いて行く情景にも出会いました。
最近は新道とバイパスが完成しているので旧東海道はかなり整備され、藩政時代の面影を再び私達に見せてくれます。
特に三島から先の遠州がとても素晴らしいですね。広重の描いた浮世絵の舞台を訪ねながら是非、ご実家の京都まで旅をして下さい。

m,n.様にいただくコメント中の、情感溢れる風景やエピソードにいつも学び、教えられ味あわせていただいております。

(私は目に触れる既存のものからにすぎないので・・・)

まだ舗装されていない道を自転車で散策とはさぞかし大変だったのでは?
次回は是非ゆっくりと浮世絵の舞台を訪ねながら、京都への道中を楽しんでみたいと思いました。

お昼のお弁当は、ごま塩かけではなく、砂かけ弁当になりませんでしたか? 昔、似たような経験をしたもんで・・・

>グランドスラム様

砂かけどころか、強風でお弁当が吹っ飛ぶ勢いでしたョ♪

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