ADR講座(7)その1

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2007年06月24日 18:27

患者の声と対話型ADRというシンポジウムが
早稲田大学で開催されたので傍聴してきた。
実に内容が濃く、かつ頭の中がクリアになるものだったので
記憶が鮮明なうちにご報告したい。
ちなみにNHKのカメラも入っていたようだった。



会場は早稲田大学の南門を出てすぐのところにあるという
小野記念講堂。
小雨の中、地下鉄早稲田の駅を出て歩いていくと
商店街は、野球部の全国優勝を祝う張り紙ばかり。
あれも早稲田で、これも早稲田、大したもんだ、と思う。
着いてみると楽屋まで完備の実に立派なホールだった。


前置きはこれくらいにして早速報告を始めよう。
まず和田仁孝早稲田大学紛争交渉研究所長が挨拶。
「被害者や遺族が参加する新しいタイプのADRをめざす。しかし、どんなに善意に考えたとしても、我々は専門家でしかなく、本当に被害者や遺族の声に答えることにはならない。いろいろな機会で被害者や遺族の声を聴く必要があるだろうということで、今回はここに焦点を当てて2人の遺族の方にお話をいただく。それを受けて我々のNPOがどう考えているのか説明し、さらにパネルディスカッションで議論したい。最後には国会議員も交えてさらに論議を深めたい」
いつものことながら、分かりやすいアジェンダだ。
今からの2人の話を克明に記録することが肝要だなと合点する。


最初の佐々木孝子さんは
1994年1月に二男の正人さん(当時17歳)が
バイクの自損事故で救急病院に搬送されたのだが
十二指腸破裂を見逃された挙句、MRSAの院内感染によって
事故後15日目に亡くなったという経験の方。
聴けば聴くほど理不尽極まりないと思うのだが
感情を高ぶらせることなく低い声でゆっくり噛みしめるように話す。

「もう13年前になりますが、三人兄弟の真ん中の子供を医療事故で亡くした。医療者に対して私は高級職、専門職として信頼と尊敬の念を持っているが、その時にことについては納得がいかなかった。バイクの自損事故で運び込まれた救急病院で、非常な腹部の痛みを訴えていたにも関わらず単なる打撲と診断され、食事に普通にさせていた。9日目に造影検査をして初めて1.5センチの亀裂が見つかった。あまりに遅い診断だったし、それから行った長い手術の後、『食べさせたのが悪かった。食塩水で洗った』と言って、その晩は出てこなかった。翌朝になったら黄疸の症状が出ているので訴えたら『ここでは処置する設備がない。お母さんあらめてください』と。そんなことを言われてあきらめる親がいるはずがない。慌てて済生会へ転院させようとしたら、その時になって『もう一度手術させてほしい』と言ってきた。転院させたのだけれど、2日目にMRSAの感染が分かって、正人がお母さんもうダメと指でバッテンを作った。葬儀の後で、先生いったいどうなってたのですかと尋ねたら、分厚い文献を持ってきて、これにも載ってないので分からなかったと言われた。しかし、どうしても納得いかなかったので提訴することにした。医者を訴えるのはよほどのこと。
それなのに途中から弁護士が示談しましょう、と。1年ぐらい準備書面を交わしていて、『争点になる事実がないか』と言うから、いろいろ調べて救急の腹部外傷に関して鑑定してくれる医師が沖縄にいたので行ってみたら、レントゲンの中に教科書に出せるくらい十二指腸破裂に典型的な気腫像が見える、と。これを分からない医者が救急病院にいるのか、と。それで、その旨を準備書面で出したら、相手からは『最初からわかっていたけれど、あなたが主張しないので言わなかっただけだ』という不可解な答弁書が出てきた。しかも弁護士から、『もう準備書面を書けないし、先にも進めることができない』と言われ、和解を勧められた。最初から和解する気なんでなかったので弁護士を解任して、どうしようかと思っていたところで本屋さんで和田先生の書いた本人訴訟に関する論文を見つけて、本人訴訟で行こうと決めた。裁判長からは威圧的に『せっかく和解が見えて8合目まで行っていたのに3合目まで戻ってしまった。弁護士を決めなさい』と言われたが本人訴訟で行くと突っぱねた。
(裁判官も代わって)ようやく医師の証人尋問をできることになったのだが、出廷してきた医師2人の顔を見てハッとした。2人ともでっぷりとした体格だったのに、顔が半分くらいスリムになっていた。心が痛んだ。医師は私の顔を見ることもなく謝罪の言葉を述べることもなく、私の問いかけには無言だった。私は遺族は一生癒されないのだと伝えたかった。
裁判は精神的に張り詰めた状態が長く続く。しかも相手側からは真実のない書面が出てくる。多くの被害者・遺族は、まず診療期間中に何があったのか知りたいと思っていて医者から聞きたいと思っているのに答えてくれない状況があると、それだったら公の訴訟という場に呼び出してもらおうという気になってしまう。しかし医療過誤が裁判に向いているかというと必ずしもそうでないと思う。
ADRのシステムは5年前に知った。ミスがあった時に医療者が説明し真摯に謝罪することによって、医療者は次の医療へと向かっていけるし、遺族も立ち直れると思う。そうすればマスコミにセンセーショナルに取り上げられることもなく、解決の道筋が開ける。
訴訟の後、北海道から九州までいろいろなところから電話がかかってくるようになった。多くの人が医療者への不満を漏らす。それをカウンセリングのように聴いてあげる。長い人だと1時間以上話す。ただ聴いてあげるだけでも、最後には少し気が楽になりました、ありがとうと言って皆さん電話を切る。
13年も経っているが昨日の如く息子のことを思い出す。当時88歳だった父が『誰にも迷惑をかけることなく逝ったんだから、あきらめなさい』と言ってくれた。その父も3年前に97歳で亡くなった。100年近く生きたとしても人は必ず死ぬ。息子の人生はたった17年だったけれど、その分凝縮して生きたんだと思うことにした。裁判の途中で病気になって1週間入院した。それが息子からの「自分の人生も大切にしなよ」というメッセージのように受け止められて、それからは前向きに楽しく毎日を過ごしていこうと思えるようになった。
医療者の使命感を尊敬している。どうか心やさしいケアをお願いしたい」


この医療事故は民事の一審で佐々木さんが勝訴した後
医師2人が控訴し
「反省してない」と考えた佐々木さんが刑事告発して
最終的に業務上過失致死で医師2人の有罪が確定し
2人の医師は罰金刑とさらに業務停止3か月の行政処分を受けた。
民事訴訟も医師側が控訴を取り下げる形で和解が成立したという。
なかなか言葉を発しづらい雰囲気の中、和田所長が
「分かると言ったら失礼になる。でも学んでいきたい」
と引き取って、次の村上博子さんの紹介へ移った。


最後まで事情がよく分からないままだったが
話をつぎはぎすると、どうやらこういうことらしい。
神奈川県の大学3年生だった息子さんが心拡大によって亡くなった。
実は大学が行っていた定期健康診断では
心拡大は判明したいたのだが本人にその結果が知らされていなかった。
村上さんは和田所長がインタビューする形式で話をした。


和田
「息子さんが亡くなって、まず何をしたいと思ったか」


村上
「何が起きたのか事実を知りたいと思った。私にとって息子の死は理不尽なあってはならないことに思えた、二度と息子のようなことが起きないようにしてほしいと思った」


和田
「まず裁判するつもりがないと宣言したというのが珍しい」


村上
「最初からそうだったわけではない。パッと思いつくのは裁判。とはいえ、裁判のことなど何も知らない。調べてみたら、何が起きたか知りたいとか、二度と同じことが繰り返されないようにとかいった自分の願いを叶えるものではない、そういう気がしてきた。お金も時間もかかるし、息子の死を損害として金銭換算しなければならないのが気持ちに馴染まない。だったら最初からやりませんと。それに裁判では死の決め方が狭い。この時こうしていれば死ななくて済んだというのは全部明らかにしたかった」


この時点では「死の決め方が狭い」という言葉の意味が
よく分からなかったのだが
後になって実に重大な意味を持っていたことに気づく。


和田
「狭いとは」


村上
「健康診断の結果を息子に知らせてくれていれば治療できたかもしれない、といった具合に、資料開示をかけてみると、ここでもしもう少し医療者が突っ込んで対応してくれていれば、死なずに済んだかもしれないということがゴロゴロしている。それをすべて握りつぶされた。その過程を検討して改めるべきは改めてほしい。
健康診断が、大学にとっては就職証明書を作るためだけのものになっていて、医療者にとっても大したものが出てこないと決めつけられていたように感じる。息子の死をケーススタディに再発防止の検討をしてほしい。
そう思って、医療機関の最高責任者や現場レベルの責任者に都合5回面会を申し込んだけれど、残念ながら誰にもお目にかかることができなかった。こちらは開示されたものが真実なのか疑義を持っていて、とても事実にたどり着けないという感覚を持った。そういう対応をするのは責任問題を恐れているからだろうと考えたので、だったら上の人に面会して責任追及や裁判はしないと伝えて、事実を聴きたいと思った。しかしあっさり断られてしまった。
こちらは怒り狂って全て文書にしてぶつけてしまった。それでもやりとりの肝心のところは曖昧だし、改善案もおざなりに感じた。だったらと事実解明はあきらめて、再発防止の一点に絞ってと提案したけれど、それでも現場の責任者からは『説明を尽くした』という文書での回答しか来なかった」


これまた凄まじい話である。
例えるなら、丸腰で「話せば分かる」と近づいているのに
相手が銃を構えたまま砦から出てこないということだ。
たぶん、こんな事例が少なくないのだろう。


村上
「患者がまだ質問があると言っているのに、説明は尽くしたという医者がいるのか、と怒り狂った。医療者の良心に訴えていけば何とかなるのでないかという信頼が音を立てて崩れた」


和田
「医療者の一人ひとりと話してみると、良心を持っているし、悩んでもいることが多い」


村上
「しかし、その部分が何にも出てこなかった。医療者も苦しんでいるんだと感じ取れていたら、状況がまた変わったかもしれない」


和田
「文書でやりとりしたのが問題だろうか」


村上
「窓口が総務の部署で、医療者とは一度も話すことができなかった」


和田
「話をできていたら、納得いく対応が得られたと思うか」


村上
「まず、きちんと話を聴いてほしい。納得いくまで説明をして、そのうえで私の言い分を聴いて欲しかった。事案解明した説明と反省や後悔、あるいは力及びませんでという言葉と息子のようなことを二度と起こしませんという誓いの言葉があれば、納得できたのでないかと想像する。
会っても文書と全く同じ対応だったら怒り狂って何も言えなくなってしまうかもしれない。単なる謝罪だけなら受け入れられない。
会うのはいいことで解決する手段かもしれないけれど、お互いに準備をしてからでないと意味がないのでないかと想像する」


和田
「どういう準備?」


村上
「疑義を申し立てるのはよほどのこと。スーパーのレジ打ち間違えとは訳が違う。迷いに迷った挙句の行動なので、感情的に崖っぷち、ギリギリの所に立っている。マイナスの感情だけで、しかも自分自身を責める気持ちも根底にある。そんな状態だから、感情そのものをぶつけてしまいがちだし、自分が何を望んでいるのかすら分からなくなる。
医療者と会う前に、そういったマイナスの感情を脱ぎ捨てないと、脱ぎ捨てるのは無理だとしたら、せめて抑え込まないと。被害者が加害者と話をする図式ではうまくいかない」


和田
「村上さんに『被害者』という言葉に違和感があると言われた。マイナスの感情を抑え込むことができたという意味では自分自身でメディエーションをこなしているのだろうか」


村上
「私には、まじめに話を聴いて、しかも批判してくれる家族や友人がいた。その点で恵まれていた。周りに医者がいたのでカルテを読んでもらったし、弁護士の友達もいた。そうした人たちに支えられることで、自分の中でキリの良いところで終わらせることができた」


和田
「医療者側も準備しなければいけないだろうか」


村上
「鎧を脱いでもらいたい。組織、保身、体面、世の中を渡っていく鎧を脱いで、良心だけで対峙して将来への誓いを立ててほしい。自分には、できないと思ったら、それも口に出してほしい。組織も、大きな度量で医療者にそれを許してほしい」


和田
「医療機関との交渉では得るところがなかったけれど、文部科学省が対応してくれたとか」


村上
「いろいろと文書にまとめて大学へ送った最初の項目が、健康診断結果の通知方法についてだった。大学の方法は明らかに問題があったけれど、調べてみると全国の多くの大学で同じ方法を取っていた。そこで文部科学大臣に手紙を出した。お役所だから期待していなかったのだけれど、「どういう結果であろうとも本人へ伝えるよう」全国の大学へ文書を発したとのお返事が来た。
たったひとつだけれど願いが叶ったと思うことにした。息子の死が価値あるものになるのは遺族にとって大きな意味がある。
私が伝えたかったのは、疑義を申し立てた人の気持ち。医療者には理解してもらえなかった。危険人物のように見なされ、相手は隙を見せないように身構えている。大きな溝を感じた。その構図では気持ちが伝わるはずがない。
医療者へ申し上げたい。疑義申し立てした人を固定観念で見ないでほしい。真っ正面で受け止めてほしい。それが問題解決につながる」


まさに圧巻の意見陳述である。
ここから議論がどう展開していったのかは稿を改めることにする。
(つづく)

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コメント

>川口様

拝聴できず大変残念です。

最悪の結末を、いかほどに苦悩、葛藤されたかはかり知れないのに、長い年月をかけて前向きに捉えようとなさる懸命な陳述の内容が、克明に臨場感溢れる勢いで伝わりました。

ありがとうございました。

続編もよろしくお願いいたします。

>真木様
コメントありがとうございます。
かなり長くなってしまいましたが
ようやく完結しました。

精緻な報告たいへん読み応えのあるものでした。ありがとうございます。ディスカッションも充実したもので、色々見逃していたものや忘れていたものについて考え直す機会があったと思います。
ところで一点思う所があったので感想として書かせて頂きます。

医療裁判の原告の方が「最初は裁判にするつもりではなかったのだが、医師の態度があまりにも(患者にとって)よくないものであったため裁判にした」これってどうなのでしょう?
もちろん裁判にしようと考えた患者さんのほうにも葛藤や苦悩がおありだったとは思うのですが、表象だけ見ると、結果としてはそれは嘘となったわけで…。医師が「裁判にしないと最初は言ってても、こちらが患者の意に沿わないことを言った場合は訴訟ということになるのだ」と身構える結果になるのではないのかなと思ったわけなのです。そしてそれはあんまり良い事とは思われず…

丸腰で話せばわかる、ということはないんじゃないかなー…?ばっちり武装してないかな?
患者はそういう武器を持ってると医師は思っているしそれは間違ってはいないんじゃないか、とこの部分については最初から「もめたら裁判にする」とはっきり言ったほうが「裁判にする気はないといいながら裁判にする」よりいいんじゃないのかと考えたのです。

こういう意見もあるということで。失礼しました

>KK様
コメントありがとうございます。
問題提起いただいて点について
私は以下のように考えます。

訴訟になったのは
「意に沿わない」ことを言ったからではなく
話し合いの中で共感関係を築けなかったからでないか、と。
そして卵と鶏の関係ですが
身構えていたら共感関係など築きようもなく。。。

医療者が身構える背景には
訴訟になった際にトンデモない判決の出ることがあるという
対司法の不信感があるように感じます。

その不信感を
患者・家族に投影してしまうから
よけい話がこじれるのではないでしょうか。

文句を言うべきは司法に対してであって
患者・家族のありように文句を言うのは
敵を見誤っていると思います。

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