取材いろいろ 働き方いろいろ

投稿者: 加藤大基 | 投稿日時: 2007年06月29日 21:32

ここのところ、忙しさにかまけてブログの更新を怠っていたら、
あっという間に7月を迎えようとしています。

今月は、数件の新聞・雑誌の取材を受け、
それら(雑誌)のゲラの修正作業が続いていました。

ある意味、取材慣れしてきていたのですが、
東大医学部卒業生向けの「鉄門だより」の取材は、
今までになく斬新でかつ少々の緊張感を伴うものとなりました。

(「鉄門だより」は、医学部の5年生が中心となって、
取材・編集を行っている同窓会新聞のようなものです)

いつになく緊張した理由は…
① 鉄門だよりに掲載される記事の多くは、
 医学部教授の話などであること
②今までの新聞・雑誌の取材(1~2人相手)と違い、
 10人弱の医学部生を相手としたこと
③その取材の直前まで、彼ら学生の授業を担当していたのが、
 私と同級生のA君(内科医)であり、彼も取材に同席したこと

が挙げられるかと思います。

A君とは、学生時代の病院実習で同じ班だったのですが、
卒業後8年ぶりくらいに、思わぬ形で再会することとなりました。

彼は、我が学年屈指の秀才であり、
会わなかったこの8年余りの間、
私のような凡人が経験した過重労働を、
手際よくサクサクとこなしていたのではないかと想像していました。

従って、インタビューで勤務医の過重労働を強調すると、
己の無能さを一層際立たせることになるかと思ってしまい、
発言が少々日和ったものになってしまいました。

しかし取材が終わったあとの談笑の場で、A君も外部病院にいたときは、
彼の言葉を借りれば、「医者が倒れたときが、患者の倒れるとき」の状態であり、
同じようにとても大変だったと漏らしていました。
彼も、やはりある程度眠らないと働けないと言っていました。
(一部には、本当に少ない睡眠でも平気だという医者もいますが…)

彼の言葉を聞いて、以前、別の友人に
「患者が先に倒れるか、医者が先に倒れるかの世界だな」
と話していたことを思い出しました。

確かに、優秀であれば仕事を多少は早く片付けられるでしょうが、
夜中や土日の呼び出しや雑用は、医者の優秀さに関係なくあることであり、
優秀なA君も大変だったようです。

しかし、取材する側の学部生の質問の鋭いのにも、結構タジタジでした。
ときに、返答に窮することも少なくありませんでした。

その中で、斬新な考え方に触れたので、ここでご紹介したいと思います。
(しかし、このようなことを斬新と考えていること自体、
私が慣習にとらわれ過ぎているのかもしれません)

拙著の中で、「多くの若手勤務医は、一日契約の日雇い労働者であるが、
24時間病院に拘束されている」ということを書いたのですが、
学生にはそれが結構衝撃的だったらしく、

「一般企業の契約社員のように、契約書に書かれている時間が来たら仕事を終えて帰ってしまう医師はいないのですか。」

との質問を受けました。

ある意味、瞠目に値する意見だと思いました。
慣習とは恐ろしいもので、勤務医はどこまでも働き続けるのが当たり前と、我々は考えてしまっています。

しかし、たとえば公務員なら昼休みを○○分取るとか、
航空会社なら、フライトとフライトの間は○○時間あける
などの規定があるそうです。
しかし、勤務医に関しては、パチンコの出玉無制限ではないですが、
労働時間無制限が慣習化されています。

旧習を破る若者を、「新人類」などと
揶揄(軽蔑か?)する風潮もありますが、
上記のような意見を、上司や病院に対して
平然と言ってのけるような人が現れてこないと、
病院はドラスティックに変わらないのかもしれない
と感じました。
(規定労働時間内は、懸命に働くことは言うまでもないことですが)

昔は野球でも先発完投が当たり前で、
「権藤・権藤・雨・権藤」などと一人の大エースが
大車輪の活躍をする時代もありましたが、
今は投手のローテーションが確立して、
先発は中5日や中6日であり、
先発・中継ぎ・抑えの役割分担も確立されるようになっています。
ワンポイントリリーフなどという起用方法も珍しいことではありません。

翻って医療界を見てみると、現状では一人の医者が全責任を負って、
24時間病院に拘束されているという病院も少なくありません。
確かに片時も目が離せない患者さんも少なくないですが、
それを一人の医者が診続けるのではなく、交代制で診るようなシステムを作ることが急務だと考えます。

女工哀史や炭坑労働者の惨状が、歴史の教科書に載っている過去の話となっているように、
医者を始めとする過重労働の業種の労働は、過去のものにしなければならないのではないかと考えます。

野球は、エースが故障しても、困るのはそのチームだけですが、
医者の勤続疲労は、患者である我々にも被害が降りかかってきます。
(私の入院した東大の呼吸器外科も、患者である私が気の毒に思うほど人手がありませんでした)

医療界も役割分担・時間分担をもう少しうまくできないものか、改めて思った次第でした。

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