「がんばっている医師を罰しないでほしい」について(シンポ)

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年05月27日 19:10

土曜日の保険医シンポ。
その場にいた医療者に最も大きな衝撃を与えたと思われるのが
最後に登壇した
『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会代表の阿真京子さんが示した
このアンケート結果。


医師から出ている「がんばっている医師を罰しないでほしい」という声に対して、一般のお母さんとしてはどう思うか。(会の活動を通じて知り合った約50人に尋ねたらしい)

1、厳しい判決は必要               30%
2、原因究明を                   27%
3、コミュニケーションの不足           18%
4、わからない、判断できない          14%
5、医師不足が原因、労働環境の改善を    5%
6、まったくその通りである            4%
7、免許更新を                   2%

ちなみに「6」と答えた2人が
柏原病院の小児科を守る会代表の丹生裕子さんと阿真さんだそうで
医療側から社会への情報発信が全然足りていない証左だと思う。


さて、以下が阿真さんのお話の要点。
「4歳と1歳、2人の息子を持つ母親である。長男が生後9か月の時、夜に痙攣重積で救急搬送された。心拍が30まで低下している状態で、最初に対応してくれた若い医師が『マズイ、マズイ』と慌てていた。ベテラン医師が4人加わって処置してくれて45分後に発作はおさまった。しかし、翌日目が覚めるかと尋ねても返事はなかった。その処置の間、後ろで電話が鳴り続け、電話を取った看護師が『重症者がいるから受け入れられない』と繰り返していた。待合室には明らかに軽症な患者たちがあふれ返っており、いら立つ親、走り回る子供たちを見て、大変驚いた。幸い長男は何の後遺症もなく回復した。
友人の小児科医にその経験をメールしたところ、『それが日常的。医者は皆寝ていない。徹夜明けのパイロットの操縦する飛行機に乗りたいか?医療現場では、それが当たり前』というショッキングな返事が来た。
なぜ、そんなことになってしまうか。私も含め、私たちの世代は自分の子供を持つまで子供の世話をしたことがない人たち。病気のことを学ぶ機会もない。そんな中でわが子が病気になると、お医者さんにすがりつく気持ちになってしまう。だから、お母さんの不安をなくすことが、医師の負担を減らすことにつながる。翌朝まで待てる心のゆとりにつながる。そこで、私は親にとって何が心配なのか、どうすれば不安を軽減できるのかに着眼して、そういったことを医療者から教えてもらう勉強会を開いている。
(中略・以下、上記アンケートについて)
お母さんたちの中には『頑張ってない医師もいる』という意見が多い。また頑張っているかどうかより事故が起きないよう対策が取られるべき、という意見もあった。医師にも家族があるはず、自分の家族のように説明して歩み寄れば訴訟は減るはずという意見もあった。ただ、丹生さんや私は『罰しないで』と思えるということは、医師と日常的にコミュニケーション

(更新中)

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コメント

医療安全委員会の議論も、直接、臨床の第一線でリスクを背負って働いている臨床医(主に病院の勤務医)、自分か身内が診療関連死を経験した患者およびその団体、一般人ではあるけれど医療が崩壊しないように情報発信をしているかたがた(母親の会も含みます)、以外には、関心を呼んでいない印象です。

ひとごとだから、で片付けられるものではありませんが、一般人への情報提供をどうすればよいのか、難しいですね。
かといって、医療者側も手をこまねいているわけではありません。
医療側が一般人でも見られるサイトでネットを通じて情報発信したり、国会議員にネットを通じて働きかけたり、賛同を得るための努力は重ねています。
ただし、情報が浸透するには時間がかかることは覚悟しています。

>1、厳しい判決は必要 30%
所詮、この程度の認識ということが判りました(T_T)
そして、日本は一回焼け野が原にならないといけないということを。

川口恭 様

いったい医療行為のおける「罪と罰」があるとすれば、定義はなんなのでしょうか?私は患者さんの死をむだにしないためには、刑事免責が必要だと思います。それは萎縮せずに、再発防止に力を注ぐことができるからです。


私が医師や看護師に刑事罰を科さないで欲しいと願う理由に「割り箸事件」があります。私の子どもはNICUを退院後、二度救急搬送されました。二度とも生死の境をさまよいました。とくに二度目は、幼い子どもには稀な胆道結石でした。救急車を依頼したのが夕方四時頃でしたが、搬送先の病院で原因が特定できたのは、夜中の一時過ぎだったと思います。


私は、子どもが救命されたのは、1999年に杏林大学病院で起きた「割り箸事件」の教訓がいかされたのではないかと思っています。自分の子供が激しい腹痛でうめき、嘔吐を繰り返し、最後にぐったりした姿を見て事件を思い出しました。亡くなったお子さんは、まさにこのような状態だったのではないでしょうか。みようによっては、経過を知らなければ、ただ泣きつかれて寝ている子どもにしか見えません。


夜間にもかかわらず、迅速でかつ適切な診断、処置をして下さった搬送先のスタッフの皆様には感謝いたしております。残念なことに根本英樹先生は、昨年6月、一審で無罪判決(一部過失を認める)が下されたにもかかわらず、控訴審で検察から禁固1年の刑を求められました。根元先生はたったお一人で診断をなさったそうですね。もしもお会いする機会があるのならば・・・一言感謝の気持ちを述べさせていただきたい、そう思っています。


私は小児科に訴訟が多い理由に、診察の難しさもありますが、容態の急変もあると思います。


自分の経験でも、はじめは腹痛ぐらいで救急車を要請していいものか、さんざん迷いました。救急隊の方も、それほど危険な状態ではないと考えていたようです。しかし、病院に着いて一時間後、嘔吐がはじまりました。もし、あの時要請をする勇気がなかったらどうなっていたのでしょう。それほど、子どもの容態の急変は突然で進行も速いということです。


偶然にも、発作が起きる前日の写真があります。ご覧になれば驚かれるのではないでしょうか。翌日、激しい発作が襲うとは想像できないでしょう。結果が悪かった場合、恐らくこのような落差が、ご家族を訴訟へと駆り立てていくのではないかと思います。


果たして、情報発信だけで訴訟リスクは減るのでしょうか。医療が崩壊してから訴訟が減るようでは、こどもに未来はありません。


川口恭様 スタッフの皆様

ご要望があれば写真をお送りさせていただきます。写真一枚でもお役にたてれば幸いです。御連絡ください。

>1、厳しい判決は必要 30%
私も賛成ですw
ミスをした医師個人を罰して医療現場から遠ざけましょう。医師がいなくなれば医療ミスは存在し得ません。3割の人はこう考えているわけですね。

>皆様
コメントありがとうございます。
このエントリーは、まだ書きかけなのですが
「情報発信」について、ひとこと申し上げておいた方がよいかと思いました。

情報発信とは
メディアを通じてしかできないのではありません。
メディアの人間からすると
最も強いのは現実の人間関係の中でなされる情報発信です。
医療者と接点のあるはずのお母さんたちが
このように考えてしまうのには
現実のコミュニケーションに何か足りないところがある
そう考えて間違いないと思います。

簡単でないことはよく理解していますが
まず手をつけるべきは、そこだと思います。

アンケート結果に驚かされました。どの項目を見てもとてもショックです。私もただのお母さんですが悲しいことだと思います。

たぶん、一般のお母さんは医療というジャンルに限らず、あまり情報が入ってきていなかったのではないかと思います。主な情報源は口コミだったりします。
今の時代、お母さんはとてもとても忙しいです。お仕事、消費活動、そして家事、育児、おつきあい。当然のことながら、夜間も休日も家族のためにあれこれ働いています。(たまに気晴らしに遊んでいることもありますが)
なので、どうかお許しください。そして、諦めずに情報発信をして下さるようにお願いします。
情報ははじめに取捨選択をして受け取ります。誰にでも重要なもの、自分たちの生活に直接関わるものだとわかるように、そして、内容もできるだけわかりやすくお願いします。
私たちみんなの大切な医療が崩壊してしまわないように願っています。

残念ながら多くの市民は医師を罰することが最善と考えているわけです。
我々としては啓蒙活動を起こさなければならないのですが、以前よりそのハードルは低くなっていると考えています。つまり、以前はマスコミや国に訴えても黙殺されていました。しかし、今はインターネットがあります。それにもまして、現実に医療崩壊が起きている以上、そのうちに一般市民も「知らない」と言うわけにはいかないと思うのです。
ただ、まだまだ意識は低すぎます。一般の人たちが正しい判断ができるにはまだまだ時間が必要なのかもしれません。

ところで、管制官が有罪判決となった事件が最近ありました。これなど、医療に通ずるところがあります。まだ安全のためには何をすべきかが解っていない裁判官がいるのに驚きました。航空関係者は世界常識を理解していないと司法を批判しています。
一体いつになったらこの国は安全というものに対して正しい判断が下せるようになるのでしょうか?

アマさんとも協力して講座なども担当している小児科医です。
「厳しい判決が必要・・・30%」というところに結構ショックが大きいようですが、私はお母さんの立場にも立ちますので(幼稚園や学校で)、どんな風に医師が言われているかを身近に知ってますので、実際それほど驚きませんでした。医師が驚いたというところにこそ大きな溝を感じます。
医師のイメージもやはり固定化してるものが多く、あくどい医者とか、権力欲の強い大学病院の派閥争いみたいな話とか、または離島で働く熱血医師みたいな作られたイメージ貧困な像が多いですよね。
まさに営利目的の番組や記事、いい人と悪い人をわかりやすくおもしろく仕立ててる番組や記事が多く、医師というものを身近に知らない人が一般には多いのではないかしらと思います。
だから、「活動をしてから、医師を知って、医師って普通の人(笑)で、医師という職業を選んだだけという人なんだな、とわかった」という発言がでてくるのです。
「全くそうは思わない」という二人のうちの一人の発言です。
ということは、もっと医師を知ればアンケート結果は変わりうるということだと思います。
もっと歩み寄ることはできると思います。
批判的な気持ちをぐっと下げてみたり、トーンを落としてきちんと情報を伝えるようにするとか、「お待たせしました」と心をこめていってみたり、そうすることで「いえいえ」と言われ、随分空気が変わるものです。ただ、私は労働環境が今、かなりよいので(パート医師です)余裕があってできるということはあるとは思いますが。
もちろん、患者もモンスターな人もいますから、そういう人からは無駄な傷つき方をしないように気をつけるべきと思いますが、患者側だって、大多数は普通の人、良識ある関係を築いていけるはずです。医師だって、大多数が普通の人で、一部に素晴らしい熱血医師がいるであろうし、また、逆に一部に「医は算術」的な医師とかもいると思う。だけれど、そういう特殊な例を批判しあうよりも、普通の人どおしが普通に気持ちよくおつきあいし、分かり合える努力をすることの方がずっとずっと今の日本の医療には大事なことだと思います。
「患者が医師の気持ちを想像するよりも、医師が患者の気持ちを想像する方が簡単、医師のほうから歩み寄りましょう」と、日比谷公会堂で先日あった党派を超えた決起集会(長い名前で忘れちゃったけど)で、たしか議員さんのどなたかがおっしゃってましたが、本当にそうだと思いました。
アマさんの「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会http://plaza.rakuten.co.jp/iryo000/で出会うお母さん達は本当に真剣に日本の医療を見つめている、何ができるだろうと一生懸命考えてる、そして、小児科医の大変さをなんとかしたいと本気でボランティアで取り組んでくれています。そういうお母さん達が答えているアンケートの結果だけで「所詮この程度の認識」と一言でコメントするのはどういうもんでしょうか?
医師はこういう結果をどう捕らえるか、どうしたらいいのかを考えるべきと思います。できることはまだまだある、身近な患者との関係をよりよいものにしていくことも一つ大きなことだと思います。

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