福島県立大野病院事件 判決公判

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2008年08月20日 21:15

すっかりご報告が遅れて申し訳ありません。
判決は皆様すでにご存じと思いますし
マスコミでも、だいぶ報じられているので
一般のメディアが書かないようなことを中心にご報告します。


福島は晴れ。福島駅から地裁までの道もこれで最後かと思うと感慨深い。午前9時前に着いたら、門から玄関までの道に、初公判の時をはるかに上回る鈴なりの報道陣。中継車が6台。


抽選券を交付してもらう裏の駐車場へ回ると、既に人で埋め尽くされている。駐車場を通り抜けた裏庭に通される。しかも、後から後から人が続く。斡旋業者らしき人が名簿を持って、並んでいる人に印鑑を押してもらっている。


傍聴券は25枚。並んだのは788人。初めてラミネート加工されてない急造の抽選券が登場した。当然のように抽選に外れる。周囲を見回すと、ふだん傍聴に入っているミニメディアの人たちも全滅したようだ。これはシンポジウムに全力投球するしかないかな、と思ったところで、どこからともなく当たり券が回ってきて、ありがたくいただく。


何となくいつもより慌ただしく法廷へ。法廷入口に20人位の記者が溜まって立っている。何事かと思ったら、どうやら判決を代わる代わるメモするための交代要員らしい。


公判開始。頭録り、加藤医師の入廷を待って、淡々と判決言い渡し開始。


「主文、被告人は無罪」


マスコミの記者たちが、ひっきりなしにバタバタと出入りするので裁判長の言葉がよく聞き取れなかったのと、おそらく彼らがかなり丁寧に報じているはずということで、逐一の報告はしない。全文は『周産期医療の崩壊をくいとめる会』サイトにアップされるはずなので、それを見てほしい。


判決を一言で総括するならば、検察のメンツを最大限に立てつつ、しかし医療者が安心して医療に当たれるようにという強い配慮が込められていると思う。これだけ検察のメンツが立てられたんだから、控訴しないでほしいものだ。控訴しないで、と言えば、周産期医療の崩壊をくいとめる会が署名集めを始めたそうだ。ぜひとも、ご協力いただきたい。


何を指して検察のメンツを最大に立てたと評するかというと、事実認定の部分は、ほぼ検察側の証拠・鑑定に依拠していた。特に検察側の鑑定人に関しては、適格に欠けるとの見方が業界内では一般的だったと思うが、鑑定人としての能力を十分に有していると評価して、弁護側の立てた第一人者たちの意見が、よくて検察側鑑定と相討ち、下手すると認められないということが続いたのだ。任意性を争っていた加藤医師の供述調書も、任意性を認められてしまった。このため、判決理由の朗読の途中で「本当にこんな事実だったのだろうか。これでどうやって無罪になるんだろう」と疑心暗鬼になってしまった。


ただし逆に、「あなた方の言い分とおりに認定しても、無罪ですよ」と検察に対してメッセージを出したとも考えられるのかもしれない。


一般に業務上過失致死が成り立つには、被告人の行為と被害者の死亡との間に「因果関係」があって、被告人がその因果関係を予見することが可能で(予見可能性)、かつ予見した段階で別の手段を選んでいれば違う結果になった可能性がある(回避可能性)と罪が成立するとされている。


この予見可能性については、「医師は、あらゆる可能性を排除しないで治療に当たるのが当然であり、もし有害事象の起きる可能性を予期していないとしたら、それこそヤブ医者だ」という批判がある。また回避可能性に関しても、「後出しジャンケンなら何とでも言える」という批判がある。どちらも至極まっとうな意見であり、要するに刑法と医療は相性が悪いねとしか言いようがない。


今回の判決の画期的なところは、因果関係も予見可能性も回避可能性も全て認め(このため朗読途中で疑心暗鬼になった)、そのうえでさらに医療に関しては行為が相当であるか否かは「単に移行の可能性だけでなく、医学的事柄として検討すべき」と、もう一段ハードルを設けたところにある。


そして医学的事柄として検討した部分は以下のとおりである。

「本件では、一部の文献と臨床上との認識や見解が一致していない。検察の主張は、一部の文献の記述に依拠しているとは認められるが、それを医学的準則として採用することはできない。

医師に行為義務を負わせ、その義務に反した者に刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師が当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性を具備したものでなければならない。このように解さなければ、医療措置と一部の文献に記載されている内容に齟齬があるような場合、医師は容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらす。また刑罰の科される基準が明確でない。

また、医療行為が身体に対する侵襲を伴うものである以上、患者の生命や身体に対する危険性があることは自明であり、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難である。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為に危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に示し、より適切な方法が他にあることを証明しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠である」


これが、もし判例化すれば、一般的でない論文や臨床上は空文化している教科書などを根拠に刑事訴追される恐れはなくなる。少なくとも萎縮医療に走らなければならない理由は一つ消える。


今は、とりあえず無罪判決が出てよかったと思う。
しかし判決朗読の間、前かがみになりながら裁判長を上目使いにずっと見ていたご遺族の姿が脳裏から消えない。
恨みは確実に残っている。


今回、おそらく関係者の誰もが傷を負った。
その傷を明日へ生かすのか、あるいは旧来の自分たちの世界に閉じこもるのか。
司法が、メディアが、そして何より医療界の姿勢が問われている。
単に「勝った、勝った」で済ませることのないよう、切に願う。


ここからが正念場だ。

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8/20,福島大野病院事件の判決に合わせて。 夏休みを取ったんですよね、私。 そいで、福島まで行っていたんですよー。 裁判は、もちろ... 続きを読む

コメント

お疲れ様でした。
過労にならないか、心配です。

御身大切に。
無事、家に帰り着きました!

>検察のメンツを最大限に立てつつ…

逮捕令状のためには、裁判所の許可をもらわなければなりません
つまり、福島県警の行き過ぎた逮捕劇の影の演出者は、福島地裁の裁判官ということになります

検察のメンツを守ること、逮捕を正当化することは、自らの逮捕状許可の判断に対しての自己正当化の姿のように見えます

無罪判決確定の後、福島県警、地検と共に、福島地裁の責任も問わなければならないでしょう

令状請求の却下率は、
    (1968年)→(1997年)
逮捕状請求:0.20%→0.04%
勾留請求:4.57% →0.26%
捜索等請求:0.43% →0.07%
(「裁判官はなぜ誤るのか」秋山賢三著、岩波新書、p.58、2002)
特に、勾留を軸として自白を迫る人質司法の原因の一つは、無節操に勾留を許可している裁判所の姿勢にあります

警察の行動が人権侵害に相当しないかどうか?
裁判所も、報道機関のように一方的情報だけで騙されてないか、自らの手で再検証が必要だろうと思う

お疲れ様でした。他の報道とは異なった観点からのレポート、非常に参考になりました。
この判決より医師たちがしなくてはならないことは、常識から逸脱した行為まで医師の裁量として許されるのかという患者の疑心暗鬼をなくすために、医療行為の標準化をできるだけ早急に行って公開すること、先進医療や個別に検討すべき治療などを実践する共通の手順を確立することだと思いました。

医師たちにとっては簡単なことではありませんが、この裁判で個人の集団でしかなかった医師がある程度まとまって行動できることもわかりました。この機会に動かねばならないと思います。

判決は妥当とは到底思えない。多勢を保護するためには、少数を制し有罪を認めない恐ろしい国家だと思われる判決だ。

川口先生の結語『今回、おそらく関係者の誰もが傷を負った』に全く同感です。被告とされた加藤先生は元より、ご遺族、中でも愛娘を亡くされ、残された乳飲み子の孫を看られている父上の心痛は如何ばかりかと・・・。ご遺族が充分なるフォローを受けられ、一日も早く再興されることを祈ります。

既に多くの方が述べられている様に、今回の件は、事件として検察が関わったのが不適切で、事故として医療関係者が調査すべき事柄と思います。
この観点から、福島県の事故調査委員会が、患者補償を主眼に作成・公表した報告書の作成経緯を検証すべきと感じます。

今回の件に限らず、医療関連事項に対するマスコミの報道姿勢は無責任極まり無く、誠に遺憾です。これに対抗するには、医療現場から真の事実を発信し続ける他に手は無いと思い、益々のご活躍を期待して居ります。

 加藤先生には、大学に戻られ大勢の中で医療を継続されるか、まだ医療を素朴に感謝してくれる第三国で活躍されるのが一番良いのではないかなと心配しております。
 遺族の方の「子供が成長したときに、しっかり話してやりたい」という思い、これは「医療ミスで亡くなったんだよ」と言えれば簡単ですが、「お前を生んだときに亡くなった」というのは非常につらいとは思います。
 しかし現実も受け止められ、父・亡母様の愛情を根底に、恙なく成長されることを祈ってやみません。

当否はともかくとして「医療関係者が内輪でかばい合いをしている」という批判をよく耳にします。しかし司法関係者の「内輪のかばい合い」はもっとひどいのですね。判決を下すのに、あそこまで検察に気を使う必要があるんですか。今日の朝刊には「初公判のあと検察庁幹部は、どうしてこんなのを起訴したんだ、と驚いた」という記事が載ってました。最初から無理矢理の立件だったのですから、もっときっぱりと検察を断罪するべきだったと思います。やはり裁判官も検察も、身内同士でかばい合う人たちなんですね。

もう少し余計なことを言わせていただきます。

今回の事件の影響で、医者は変わりました。いままでのナイーブでイノセントな使命感だけでは生き残れないことを学習しました。無償の奉仕は幻想となり、医業のリスクに見合う対価があるかどうかが厳しく秤量されます。

患者も変わりました。二次的に大量発生した医師の逃散で、医師不足を突きつけられたことから、医師を叩くだけでは自分たちの地域社会を崩壊させてしまうことを学習しました。

さて、検察は何か学習したでしょうか。検察が「負けた負けた」と、自分たちの姿勢を改めるきっかけになるのか、またそれを国民に公開できるのかが問われていると思います。

「変わらないのは検察だけ」で終わるのでしょうか。

川口様、お疲れさまでした。
また、渾身のリポート、ありがとうございました。
ご遺族のかたの恨み、警察と検察が刑事裁判にしなかったら、今回のような惨めな思いはならさらかったのではないでしょうか。
故意ではない診療関連死を刑事事件化して加藤先生を無理やり臨床の現場から離したこと、そのために患者さんが診療を受けられなくなったこと、大事なご家族をなくされて悲しみにくれているご遺族にさらに惨めな思いをさせたこと、福島の検察と警察は多重の罪を犯したことになります。

しかし、この事件がきっかけとなって、医療界が医療安全について今まで以上に真剣に考えるようになったのは、独りの患者がお亡くなりになったという悲しい現実から、医療界が学び取った収穫です。

医療者と患者の対話をテーマに掲げて活動をしております。
日ごろは医療上の事件やかごなどにはノータッチですが、
今回は「逮捕」「起訴」に至るまでにご遺族の方々と病院側にどのようなやり取りがあったのかが気になりました。
ご遺族の「裁判をしていても真実を知ることができなかった」と言う言葉がとても心に残ります。

「逮捕」を回避できるような、両者のコミュニケーションはなかったのでしょうか。

誤解されている方が多いのでコメントします。

日本の医療界は安全に対して認識が甘いという意見をちょうだいすることが多いのですが、それは総論的には間違っていると思います。
私はすでに医療界は、多くの医療施設に於いて医療安全に対し真摯に向き合う姿勢を出していると思いますよ。少なくとも20年前とは比較になりません。特に10年前の広尾病院における事件がそれを加速させました。しかし、田舎の忙しい病院は人員不足などを理由にそれが不十分と言うことも認識しています。それでも医療安全委員会を自主的に立ち上げるなどの努力をしています。それが現場の人間の正直な感想です。加藤先生だってオーベンに相談していたりしています。これは医療安全に対し真摯に向き合っているから出る行動です。
足りないのはデータです。どういう場面に於いてどういう行動を取るべきかという問題です。データは膨大な量です。国が音頭を取ってデータベースを取らなければなりません。むしろ努力が足りないのは国です。
しかし、そのデータ収集はいたちごっこになるでしょう。あまりにも膨大だからです。想定外の事故や合併症も起きることは日常茶飯事です。神でない限り全てを対処するのは不可能です。つまり、医療界は永遠に医療安全に対して向き合う姿勢は大切ですね。そして何度も起きていることは回避するという目標も大事です。
まずは人手不足から改善すべきです。つまり医療費増額です。

事実認定を検察の主張に沿って証拠もほぼ検察の主張に沿ってなおかつ無罪の結論というのは検察の立証にかなり無理があったと言うことだろうと思いました。控訴がなされず無罪が確定することを望みます。

ここに載っている承認に立った医者の証言などを読んでみましたが、なんだか「白い巨塔」を見ているようです。
やはり、医師は医師をかばうのかな?とも少し思いました。
医療的にミスがあったか、なかったかという事よりも、遺族側の人間が、訴えるまでになったのは、「よくして頂いた」「最善の事を尽くしてもらった」と感じられなかったからでしょう。
そこに一番の問題があるのではないかと、思います。
忙しい中で、頑張っている医師にはそこまで、求めるのは酷でしょうか?
そう言って逃げるのでは、何も変わらないのではと思います。

確か(記憶違いかも知れませんが)紀子様も前置胎盤だったのではないかと思いますが、その時の事前の準備はすごかったですよね。
同じ人間なのに、片方はこんなに手厚くされて。
そこまで、いかなくても、前置胎盤だったのだから、もう少し警戒していても良かったのではと思えますし、そのあたりの、扱い方が、遺族側の人間にとっては、納得できないものになるのではないでしょうか。

ひとりひとりを大切にする医療は、やはり夢の夢なのでしょうか。

川口さん、ありがとうこざいました。
ご遺族の方々に、今回の不幸な出来事は医療「事故」ではないと心より理解していただくことができないものかと思います。
 逮捕・起訴・裁判をきっかけとした外部事情は遺族にとってはどうでもよいことだし、迷惑なことだと思います。
 予想外に死亡したたらには、ミスがあったに違いないという断定が誤りであることを確信していただくこと。これが今後の課題だと思います。

> やはり、医師は医師をかばうのかな?

そういうわけではなく、これが本当の姿なのです。検察側証人に立った方が無責任でアホだとしかいい様がないのです。
また検察側が山のような正当な論文の証拠提出を拒否したから、それを書いた教授陣を法廷に持ってきただけで、検察側は結局その戦略はあだとなったでしょう。論文読むよりもちゃんと教えてもらえますからね。(証言という状況で)ほとんど講義状態で教えている感じだったと証人のお一人の教授が仰っていました。大変だったそうです。

ところで、もう二度と仙台にいかないで済むといいのですけれど、3日たちましたね。
最近、顔色が悪いので心配しています。お体おいといになってくださいね。私の心配している状況じゃないかもしれない、とふとよぎる時があって。余計なことかもしれませんが。

追記:こちらも産婦人科医のブログです。みてみてください。

http://d.hatena.ne.jp/shy1221/20080820/p5
・・・何かイタイ話だ。実は、この事件に関しては我々のところにも福島県警から医学的事項の照会が来ていたのだが、医療側に責任なしみたいな回答をしたらその後何も言ってこなくなったという経緯がある。今から思えば、起訴に有利な鑑定を求めていたのだな。で、C医師はその網にかかってしまったと。書きようによっては自分もC医師の立場にあったかと思うと、怖いものがある。やっぱりこういうのは業界の大物に任せるに限るな。そして専門外のことには手を出さないこと。

>epec さん
遺族は訴えていませんよ。訴えたのは検察です。
それと、事情を直接聞いたわけでもないのに、主治医が遺族の訴えを聞かなかったと断言されるのはいかがなものかと。
様々な医療裁判があります。その中には本当に正さなければならない案件もあるでしょう。しかし、本件は感情論を抜きにして語ると当たり前の医療を行ったのに逮捕されてしまったわけです。
他に、病院が取り合ってくれなかったからと主張される患者の中には、本当に病院が隠すために取り合わなかったものもありますし、患者の知識が少ない故、物事を隠していると信じて疑わない場合とあります。少なくとも本件は病院や主治医は説明しているようですし(カルテに記載しているちゃんと)、遺族を侮辱するわけではありませんが、おそらく遺族が医学的知識が欠けている故に病院が取り合わなかったのだろうと感じたのだと思います。しかし、遺族はそう思っても当たり前だと思います。こちらがちゃんと何時間もかけて説明しても患者が納得しないとか、理解してないことなんて日常茶飯事です。こちらの説明の仕方も悪いのかもしれませんが、少なくとも誠意を持って説明しています。患者が誠意を感じないというのは主観的な事であって、合理的なことではありません。これが裁判に影響するようでは、人殺しだって「あいつがにくくて殺した」というのも正当化されてしまいます。あくまでも客観的に判断する必要があるのです。
だから、問題は、検察なりマスコミなりが医師を悪者扱いしてしまったという点です。

証言だって別に医師同士かばったわけではありません。そう取るのは主観ですから結構ですが、裁判記録を見ても、主治医は患者を大切にしていることが解りますよ。

もう少し感情論抜きにして客観的に物事を見てはいかがでしょうか?感情論は何も生みません。

pepecさま

>やはり、医師は医師をかばうのかな?とも少し思いました。

証言の内容を理解した上で、その内容に矛盾があり論理に無理があると感じられてのことであればわかりますが、単に医師が医療側に有利な証言をすればかばい合いだと偏見をもって見られるのであれば、患者と医師の対立関係はなかなか解消しませんね。

>医療的にミスがあったか、なかったかという事よりも、遺族側の人間が、訴えるまでになったのは、「よくして頂いた」「最善の事を尽くしてもらった」と感じられなかったからでしょう。

被告医師の診療に対して反感をもっている患者が他に数多くいるのであればその論理は正しいと言えます。逆に感謝している人が多数派であり、反感を持つ人が他にほとんどいなければ、同じように診療を受けているのに「よくしてもらったと感じない人」の方が特殊な人たちである場合もあります。

遺族の心情を理解することと、真実を追求することは同じではなく、遺族の目が悲しみや怒りで曇っている場合その言い分は必ずしも正しいとは限りません。

またマスコミが長年かけて築きあげた「医師は権力と富を手にした横暴で横柄な性格の人間」というイメージは現実と異なっていることの方が多く、すべてそろっている人は少数だと思います。

それと
>紀子様も前置胎盤だったのではないかと思いますが、その時の事前の準備はすごかったですよね。
同じ人間なのに、片方はこんなに手厚くされて。

についてですが、皇室の方は「同じ人間」ではなく特別な方なので例えとしては適切ではありません。生まれてくるのは皇室の跡取りになりうる御子なので、国家予算で多額の費用を投じてのバックアップが可能なのでしょう。同じくらいの医療費をかけるつもりがあれば民間の方であっても手厚い医療は可能ですが、今の保険診療体制を利用してでは無理です。

pepecさん、お返事がないようですね。

よく資料に目を通さず、事件の背景を理解していないと、pepecさんのような的外れのコメントになります。
おそらくあなたが読んだであろう、大手のマスコミの記者の書いた記事も同じです。
一言で言えば、あなたの認識不足です。
公判記録に目を通せば、あるいはブログ等で産科の先生方が書かれた資料を読めば、一般人であっても理解はできるのすが。
今回は医者だけではなく、一般人の方々の加藤先生への支援もありました。

あなたのコメントへの返事は、他の先生方がなされているのでこれ以上は言いません。
ただ、全部とはいいませんが、まず、必要な資料には必ず目を通してからコメントして下さいね。
その上で、「資料にはこう書いてあったけれど、よくわからない、説明してください」と言われれば、お答えできますが。
あなたは、大手マスコミの理解力不足の記事を真に受けた一般人の認識程度です。

やはり、世間にはこの程度の浅い認識の一般人が多いのでしょう。

yama先生が医療安全についてお書きになったことに便乗して。
欧米の先進国が医療安全のデータベース化や予防、有害事象が起きた場合の医療側の対処の仕方を整備しだしたのは、この10年くらうの間だと思います。

参考までに、国際的な医療安全情報機関として以下のホームページがあります(いちおう、わたし全部に目を通したんです)。
ネットを通じて、だれでも医療安全情報が得られます。
日本でもこのくらい充実した医療安全の公的部局が整備されると良いです。
政府のかた、国の予算を回してください!

◎言わずとしれたWorld Alliance for Patient Safety
http://www.who.int/patientsafety/worldalliance/en/

◎WHO Collaborating Centre for Patient Safety Solutions(WHOの提携機関です)
http://www.ccforpatientsafety.org/

◎ヨーロッパ連合の医療安全情報
http://ec.europa.eu/health-eu/care_for_me/patient_safety/index_en.htm

◎イギリス医療安全局(NPSA)
http://www.npsa.nhs.uk/patientsafety

◎NPSAのリンク・海外の医療安全部局情報
http://www.npsa.nhs.uk/patientsafety/psdlinks

◎アメリカ合衆国保健局の医療安全部門
http://www.ahrq.gov/qual/advances/

◎アメリカ合衆国保健局の医療安全部門(Medical Errors & Patient Safetyの除法)
http://www.ahrq.gov/qual/errorsix.htm

◎アメリカ在郷軍人局医療部門(医療安全のリーダーとして、海外でも参考にされています)
http://www.patientsafety.gov/resources.html

◎アメリカ在郷軍人局医療部門(Culture Change: Prevention, Not Punishment

http://www.patientsafety.gov/vision.html

冠省
 いつもながら、傍聴記ありがとうございます。
 私は、あの後、福島県に滞在して、夏休みをとり、猪苗代湖の野口英世記念館で博士の本来の業績について考えたりや若松城で会津藩と薩摩藩の関係などについて考えるなどゆっくり保養させていただき、次の自分の刑事訴訟に備えています。
 本日、喜田村先生とお会いして、大野病院事件の判決について簡単にお話をききました。朝日新聞の判決要旨を読んだだけの感想からすれば、「完勝」だそうです。それは川口さんの指摘された、「ただし逆に、『あなた方の言い分とおりに認定しても、無罪ですよ』と検察に対してメッセージを出したとも考えられるのかもしれない」は私の判決と全く同じです。私も自分の判決を聞いたときは、ずいぶん偏っているのではないかと極めて不満に感じましたが、喜田村先生のおっしゃるには、「検察の主張を全部認めたとしても、これがあれば、絶対に無罪という判決の書き方をした」とのことでした。裁判官は、遺族への気づかいを充分、というか十二分、必要以上にしてのことだと思います。
「被告人の行為と被害者の死亡との間に「因果関係」があって、被告人がその因果関係を予見することが可能で(予見可能性)、かつ予見した段階で別の手段を選んでいれば違う結果になった可能性がある(回避可能性)と罪が成立するとされている。
」というご意見は、少し認識が誤っていると思います。(以下全て私の意見で、喜田村先生は上記以上は何も語っていません)
 シンポジウムの時に、いっしょにお食事をしていたときにもお話されていましたが、判決の直後で少し高揚されていたので、可能ならシンポジウムの時にお話しようと思ったのですが、時間オーバーで言及できませんでした。
 旧過失論では、結果無価値論を理論的基礎として、「過失の本質は結果の予見可能性」に求める見解です。
一方、新過失論では、行為無価値論を理論的基礎として、「結果回避義務」を中心とした理論構成の見解です。

「結果回避義務」です。

 判決では、「結果回避可能性について、見当した後、医学的準則及び胎盤剥離中止義務について検討する。」と前置きして、検察官が、「結果回避義務」があったことを立証していない、具体的は危険性が証明されていないことを判示しています。「注意義務の証明がないから、この段階で、公訴事実第一はその証明がない」のです。

 予見可能性を中心とする過失犯論は、結果無価値論の理論的帰結にほかなりません。旧過失論においても、結果発生が予見可能であれば、その行為をやめさえすれば結果発生は回避できるのですから、「結果の回避可能性」を要求してもほとんど意味がありません。
旧過失論では、予見可能性という概念をブラックボックスとせざるを得ず、理論的に必要とされる「社会生活上普遍的に遵守を要求されるルール」という視点を持ち出すことができない点に、結果無価値論型過失論の欠陥があります。

この当たりは難しいはなしですが、理論刑法学のリーダー新過失論の立場にある慶応大学の井田良教授の「刑法総論の理論構造」(成文堂)に詳しく書いてあります。
井田良教授は、「帝京大エイズ事件」の安部英教授の無罪を理論的に説明した論文がいくつかありますので、参考になると思います。

ちなみに、医療事故調の前田雅英座長は、結果無価値論者で、旧過失論者です。(私が、学生の時に教科書で学んだ中山研一氏は、もっと厳しい立場に立つ人ですが、その方の「刑法講義」の本では、前田氏は、理論的には、弱いところがあり、政策に傾いているので、学者としては・・・)
私のシンポジウムのスライドでも簡単に紹介しましたが、国会議員の方々が大笑いされていたのは、「前田氏」が「信頼の原則」を認めない立場であることを言及した部分と「検察庁」と「裁判所」は地下つながりで、検察官は「風呂敷」に書類を包んで持ってくる話のところでした。
「大野病院事件 無罪判決 前夜、当日、シンポジウム」
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_35f3.html
「信頼の原則」の医療事故への適用
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_8d0d.html

今回の判決要旨はとても分かり易く明快な文章だと思います。
ある程度、多くの人が読むことが予想されていたためか、裁判官も気合を入れて書いたかもしれません。

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