「救児の人々」感想を頂きました

投稿者: 熊田梨恵 | 投稿日時: 2010年06月11日 14:05

拙著をお読み下さった方々から、有り難い感想を数多く頂戴しております。
 
その内容を皆様とも共有させていただければと思い、掲載をご了承下さった方々の感想を随時アップさせていただこうと思います。
 
 
最初は、ベストセラー「医療崩壊」(朝日新聞社)の著者で、近年は勤務医の立場から医師の自律についても訴えておられる亀田総合病院副院長の小松秀樹医師(泌尿器科顧問)から頂戴したメール(一部抜粋)です。
 
 
 
熊田 梨恵様
亀田総合病院の小松秀樹です。

一気に読みました。
お書きになられたことは、多くの医師が認識していたことだろうと思います。
しかし、医師の言葉で書いても、このような迫力は絶対に出ません。
脱帽です。
読み物としては、大成功間違いありません。
しかし、熊田さんは社会に影響を与えたい、社会を多少なりとも変化させたいと思っておられると確信します。
今後の道のりを考えると気が遠くなります。
 
私は、医的侵襲の違法性を阻却するという、法律的な意味でのインフォームドコンセントの機能の位置づけはあまり好きではありません。
これは、インフォームドコンセントの出発が、ニュルンベルグ綱領という医師を攻撃するための根拠にあったことに由来していると思います。
インフォームドコンセントの最も重要なことは、患者・家族と心配事を含めて、情報を共有することだろうと思います。

 
続いて参考にと、小松医師が使われている患者様用説明用文書「前立腺癌とは?-賢く対処するための考え方-」「被膜内に限局した前立腺がんと診断された方へ」の2つを添付していただきました。
これらの文書には、病気についての知識と情報が記載されていました。
治療法については、種類、内容、メリット・デメリットなどが詳細に書かれ、患者・家族側で時間をかけて十分に検討していただきたいという内容が記されていて、なるほどと勉強になりました。
 
中でも印象的だったのは、『「早期発見、早期治療」は賢い行動指針か?』という部分でした。
ここは、「救児の人々」の根底にあるものと通じる部分があると感じましたので、一部をご紹介させていただければと思います。
 
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「早期発見、早期治療」は賢い行動指針か?
 
生涯無症状のままとどまるような前立腺癌は診断されるより、診断されない方が幸せです。
生涯無症状ならば治療もしない方がよいに決まっています。
「早期発見、早期治療」の方針を押し進めた場合、微小な癌まで発見できるとすれば、多数の無用な治療が行われることになります。
全体としてみれば健康を損ないかねません。
特に80歳を超える高齢者は、早期癌が発見されても、余命内に進行して死に至ることはまれです。
80歳を超える高齢者が「早期発見、早期治療」の標語に従って行動することは有害です。
 
若い年齢層は余命が長いので、早期前立腺癌でも、死の原因になる可能性が高齢者より高いと考えられています。
若い年齢層では「早期発見、早期治療」は有用かもしれません。
しかし、どの年齢層に、どこまでの熱心さで早期発見を目指すのが適切かはまだ分かっていません。
 
「早期発見、早期治療」には不老不死の幻想が含まれているように思われます。
実際には現代の医師には、人間本来の寿命を延ばすようなだいそれた能力はありません。
いくら、「早期発見、早期治療」を心掛けていても、高齢になりますと次々と病が襲ってきます。
細胞分裂の回数が生物の種ごとにおおむね決まっているからです。
一定年齢を超えると生物は生命を維持できなくなります。健康に注意して、早く手を打てば、いつまでも健康を保てるなどということはありません。
死は不可避です。
高齢者では病気が次々と出てきますので、健康管理に熱心になり過ぎると、「早期発見、早期治療」のみの余生となります。
しかも、最終的には失敗しますので、心理的にも辛いものがあります。
 
2003年3月まで上智大学の教授をされていたアルフォンス・デーケン先生という方がおられます。
ふくよかでいつもにこにこされていました。
先生は死について日本中で講演されました。
いつも、講演の冒頭で医者はみなヤブ医者である、なぜなら、いくら医者が努力しても、必ず失敗して人間はいずれ死ぬからであるとおっしゃっておられました。
 
上智大学はイエズス会の大学です。
デーケン先生もカソリックの聖職者です。
「死を想え」とするのは中世以後のキリスト教の伝統的態度です。
中世、ヨーロッパではペストで短期間に地域の人口の3分の1が死亡するようなこともありました。
死が常に突き付けられていました。
死者が生者を呼び寄せる死の舞踏の絵が描かれました。
骸骨と鎌が死の舞踏の象徴でした。
不可避の死を常に意識することが求められ、よい死を迎えるために、よく生きることが勧められました。
ここからルネッサンス以後の自立した個人が生まれるきっかけとなったとする議論もあります。
カソリックの神父さんは、癌の告知を死の宣告と重ねて大騒ぎすることに違和感を持たれると思います。
彼等から見れば、人間は生まれた時から死を宣告されているのです。
 
「早期発見、早期治療」は実現困難であり、しばしば無用な焦りを生む問題のある標語かもしれません。
少なくとも賢い大人の行動指針とは言えません。
日本にも「無常観」という年月に磨かれた死生観があります。
「早期発見、早期治療」がどういう場合に役立つのか、どういう場合に有害なのか、冷静に判断すべきです。
 
(資料一部抜粋)
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私が書籍原稿を書きながらずっと考えていた「医療にどこまで求めるのか」というテーマについて、再度考えさせられました。
書籍の中に、「医療は病気をなかったことにするのではなく、病気と一緒によりよく生活していけるようサポートするもの」という内容があります。
人間は、科学や医療に溺れることなく、自ら考えて律し、よりよく使っていく事が大事なのではないかと。
そのためにも私達の死生観を問い直すことが必要ではないかと。
 
また「早期発見、早期治療」をしようとすると、何もしないでいるよりは当然費用もかかります。
内容によって自費、公費、色々な負担の形があります。
そこについても、改めて色々と考えました。
  
 
 
小松秀樹先生、ありがとうございました。
この場を借りまして、改めて深く御礼を申し上げます。

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