南相馬市、『攻めの医師募集』プロジェクトの提案

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2012年02月12日 10:53

亀田総合病院の小松秀樹副院長から標題の文章が寄せられましたので、ご紹介いたします。

原発事故による医療従事者の離職

 福島県南相馬市が含まれる相双医療圏は、従来、医師の少ない地域でした。ウェルネス二次医療圏データベース(厚労省の2010年の「病院報告」のデータに基づく)によると、2010年の 10万人当たりの勤務医数は、全国149人、福島県125人に対し、相双医療圏は87人でした。
 南相馬市の2011年3月11日の人口は7万1559人でしたが、福島第一原発事故の後、居住者が1万人程度まで減少しました。南相馬市の南部、小高区の大半は原発20km圏内の警戒区域に指定され、住民は全員避難しました。この地域の病院・診療所はすべて閉鎖されました。原町区の大半は20-30km圏の屋内退避区域(後の緊急時避難準備区域)に指定されました。その後、西側の山間部は、計画的避難区域に指定され、全住民が避難しました。緊急時避難準備区域では、入院診療が認められなくなり、ほとんどの医療機関で外来診療もストップしました。原発が落ち着くにつれて緊急時避難準備区域に住民が戻りましたが、4万人程度で横ばいになりました。緊急時避難準備区域の指定が解除された後も、2011 年12月段階で、3000人ほどの増加にとどまっています。
 南相馬市全体で、震災前に8病院、38診療所が稼動していましたが、8月23日段階で、2病院、13診療所が閉鎖されました。現在、入院診療を実施しているのは、原町区の3病院と30 km圏外の鹿島区の1病院だけです。震災前の許可病床数は総計で一般病床695床、療養病床276床でしたが、8月12日の実入院患者数は、一般病床188人だけで、居住者数に見合っていません。介護施設の復旧も遅れています。震災前、介護老人福祉施設3、介護老人保健施設2ありましたが、それぞれ1施設になりました。短期入所施設は10施設あったものが、1施設になりました。20-30 km圏の5病院では常勤医師の57%、常勤看護師の55%、その他の職員の42%が離職しました。
 2011年12月現在、実入院患者数が8月に比べて増えたものの、大きな改善はみられていません。逆に、12月いっぱいで人手不足のために閉鎖される医院があります(番場さち子「地域医療なくなる不安~南相馬市の現状)。看護師、事務職員がいなくなり、父と娘の二人の医師が、受付、事務、看護師、薬剤師の仕事を兼務していましたが限界になりました。
 2011年12月14日、福島県立医大の整形外科医局が、南相馬市立総合病院の要請に応たえて、2012年1月半ばより、整形外科医1人だけですが、派遣を再開するという情報が入りました。この律儀さは称賛に値します。私は、南相馬市立総合病院の支援者として、整形外科医局には深く感謝します。赴任してくれる医師を見つけるのは、容易ではなかったと想像します。福島県立医大の学長が整形外科医なので、福島県からの医師派遣要請に応えざるを得なかったのだと想像します。しかし、多数の医師が、福島県立医大の医局を離れたため、福島県立医大に頼るだけでは、医師を確保できません。そもそも、福島県立医大の学長には、個別の医局の人事に対する影響力は期待できません。

坪倉正治医師と高橋亨平南相馬市医師会長

 震災後、長崎大学、諏訪中央病院など、様々なグループの医師たちが、南相馬市に入って地域の医療を支えました。福島県立医大の医師も、南相馬市立総合病院の当直の一部を引き受けています。
以下、私が良く知っている二人の若い医師の活躍を紹介します。
 坪倉正治医師(29歳)は東京大学出身の6年目の医師です。亀田総合病院で初期研修を受けました。今は東京大学医科学研究所の大学院生で、血液内科医です。2011年4月より相双地区に入り、5月からは南相馬市立総合病院の非常勤医師として、ホールボディーカウンター(WBC)による内部被ばくの検査、小児の尿中セシウム検査、健康診断、放射線被ばくについての健康相談を行ってきました。チェルノブイリ事故後の内部被ばくの状況を調査するために、ウクライナにまで出かけてきました。
南相馬市にWBCを導入するきっかけを作ったのは、南相馬市医師会の高橋亨平会長です。原発事故後、日本中でWBCを探しました。南相馬市が鳥取県からバス式のWBCを借りましたが、測定限界が高く、低線量の内部被ばくを検出できませんでした。南相馬市が、高性能のキャンベラ社製のWBCを購入しようとしたところ、放射線医学総合研究所の規格に合わないとして、販売を断られました。高橋会長は、持ち前の突進力でこれを突破して購入しました。この装置によって、測定限界値が下がり、信頼性の高いデータが得られるようになりました。高橋会長は、この間の経緯について書いた文章を、以下のように締めくくりました。

戦いは終わった。あとは後輩達が、正しい科学的な、世界に恥じない、データと治療法を開発できると信じている。
(「ホールボディ―カウンターとの戦い」)
 ここに書かれた後輩達とは、南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長、及川友好副院長と坪倉医師のことです。11月末、私は、高橋会長を訪問しました。進行がんを患っておられ、数日後に入院されるとのことでした。しかし、ライオンのようなごつい顔を嬉しそうにほころばせて、しっかりしたデータが得られたことを喜ばれていました。孫のような年代の坪倉医師のことを、目を細めて誇らしげに語っていました。
 私は、放射線医学総合研究所の「規格」なるものがどのようなものか承知しませんが、これがなければ、南相馬市にもっと早くキャンベラ社のWBCが導入できたはずです。
 この「規格」の詳細と、「規格」ができた経緯、「規格」に則った機器の性能、すなわち、測定限界値、データの精度、一人の検査にかかる時間などを検証する必要があります。
 坪倉医師は、キャンベラ社製WBCを用いて、南相馬市の小児の約半数に内部被ばくが認められるものの、ウクライナに比べて、内部被ばくの程度が極めて軽微であることを明らかにしました(『内部被曝量、子供と成人で減少幅に差』を参照) 。現時点では、被ばくより放射能トラウマによる健康被害が深刻であると見ています。今後の被ばくによる健康被害を防ぐためには、食品検査と内部被ばくの検査の徹底が不可欠であると訴えています。

原澤慶太郎医師と仮設住宅

 原澤慶太郎医師(31歳)は慶應義塾大学出身の8年目の医師です。亀田総合病院で初期研修を受け、その後も勤務しています。坪倉医師の2年先輩で、旧知の間柄です。もともと外科医でしたが、思うところがあって、家庭医診療科に専攻を変えました。2011年11月より、亀田総合病院から、南相馬市立総合病院に出向しました。
 原澤医師は、赴任する前に南相馬市の状況を観察して、仮設住宅を担当したいと希望しました。必要な医療サービスが届いていない人たちが多く、家庭医として、貢献できると思ったからです。南相馬市の仮設住宅には12月22日現在、4489人もの被災者が暮らしています。原澤医師は、本格的な冬を前にして、住宅が寒いこと、生活が近接していることから、インフルエンザワクチンと肺炎球菌ワクチンの予防接種が必要だと考えました。当初、市役所は、「仮設住宅の集会所での医療行為を認められない」「市としては協力できない」「開業医の先生方に迷惑がかかる」「医師会は許可しないと思う」などと原澤医師の計画に反対しました。ワクチンも不足していました。彼は、自分で動いてワクチンを調達し、前述の高橋南相馬市医師会長に直談判しました。医師会長からは、反対どころか、逆に感謝され、激励されました。
仮設住宅の住民には、ワクチン接種の必要性を説明して回りました。社会福祉協議会、看護師、病院の事務職員などを組織して、予防接種を実現しました。11月26日以後、12月末まで、毎週末、南相馬市内の仮設住宅の集会所で集団接種が行われることになりました。毎回数人の亀田総合病院の医師が、はるばる千葉県からこの活動に参加しました。南相馬市立総合病院のベテラン外科医、根本剛医師が、若い医師の活動に重みを添えました。原澤医師と個人的に知り合った福島県立医大出身の若い医師たちも、入れ替わり立ち替わり、この活動に個人的に参加しました。
 相馬市にも仮設住宅があり、相馬市、南相馬市、浪江町、飯館村の被災者が住んでいます。飯館村からの依頼がきっかけになり、12月11日、12日に相馬市の仮設住宅でも予防接種を行う計画を立てました。ところが、12月6日、相馬市医師会が自分たちで引き受けるとして、強く反対したため、計画が中止になりました。しかし、個人開業の医院を受診した被災者への接種だけでは、仮設住宅で集団接種を実施した場合の接種率には達しません。相馬市医師会は大きな責任を背負いこみました。これは、相馬市医師会が、地域住民のために、今までにない大きな役割を果たすチャンスです。今後の新たな取り組みと成果を期待します。
 相馬市医師会の反対は、別の展開を生みました。仮設住宅には、震災での体験を引きずって立ち直れていない方、運動不足と偏食で体調を崩されている方が大勢います。原澤医師は、予定をキャンセルしないでそのまま人を集め、南相馬市の既に予防接種に訪問した仮設住宅で、戸別訪問活動を展開しました。前回接種できなかったけれども、接種を希望している住民の掘り起こしと、住民の健康聞き取り調査を敢行しました。この日だけで、早急な医療介入が必要な方が数人見つかりました。
 東日本大震災の1カ月後、石巻で、亀田総合病院の小野沢滋医師が中心になって、被害のひどかった地区(元世帯数1万1271世帯)の全戸調査が、300人のボランティアによって行われました(「石巻ローラー作戦」)。これにより、何らかの医療を必要とする方が274人見つかりました。原澤医師は、この時の調査票を改変して、新たに調査票を作成しました。これは、今後の、仮設住宅での医療の基礎になります。
 この日の原澤医師の最大の収穫は、看護師からの感謝の言葉だったそうです。このような訪問活動をしたいと思っていても、きっかけがなく、できなかったとのことでした。看護師の中にも、被災者がいます。私が参加した11月26-27日の第1回目の 集団接種で、私と一緒に作業したのは、全員避難した小高区に住んでいた看護師でした。小高区の知人たちとおしゃべりをしながら、作業をしていました。
 今後、仮設住宅の医療・介護のための組織が整えられ、住民の健康を守るためのプロジェクトが計画されるはずです。12月11日、亀田総合病院の初期研修医や福島県内の若い医師たちが、生き生きと働いているのを現地で見て、この国はまだ捨てたものではないとうれしく思いました。

インセンティブ

 政府にしても、医局にしても、南相馬市に、むりやり医師を派遣しようとすると、大きな軋轢が生じます。結果として、必要な医師を集めることはできません。集められたとしても、十分に働いてもらえません。しかし、医師のみならず、若い医療従事者の中には、自分が必要とされている地で活躍したいと願っている者が大勢います。2011年11月より、原澤医師と一緒に、亀田総合病院から、大瀬律子作業療法士、山本喜文理学療法士が志願して南相馬市立総合病院に出向しました。他にも10人以上、志願者がいます。
 震災前より、南相馬市の医療には決定的に医師が不足していました。南相馬市立総合病院の許可病床数は、230床でしたが、実際に稼働していたのは、180床でした。震災前の医師数は、常勤医12人、非常勤医9人でした。入院患者100人当たり、常勤医師数6.7人です。これは若い医師からみるとびっくりするほどの少なさです。これで24時間、救急患者を受けると、医師は疲弊します。このまま医師を募集しても、誰も応募しないと思いました。ちなみに入院患者100人当たりの医師数は、国立大学病院53.1人、都道府県立病院23.9人、市町村20.2人、日赤24.6人、厚生連18.4人、国立病院機構13.4人です(国立病院機構以外については、厚労省の平成20年の「病院報告」による。国立病院機構については、平成21年度患者数、と平成22年1月1日現在の職員数より算出)。私の勤務する亀田総合病院は47.0人(2011年4月1日)です。6.7人では、提供できる医療の質が違ってきます。せめて20人程度にはする必要があります。
 亀田総合病院からの出向だけでは、到底この地域の医療は再建できません。亀田総合病院も、長期間、支援できるわけではありません。この地域で医療提供サービスを継続するには、どうしても、地域の病院が自立する必要があります。
 実は、日本最大の医師の人事システムである医局制度が、時代に合わなくなっています。医局に所属する医師がすべて、医局に適応できているわけではありません。多くの医師が、医局講座制の中でキャリアを積んでいくことに、閉塞感を持っています。医局に適応できない医師の方が、しばしば、自立的で活動的です。この状況と個々の医師のインセンティブが合わされば、医師を集められる可能性があります。
 医局になじめない医師に、医局と異なる性質の人事システムを示して、医局を離れても、きちんとした卒後教育が受けられること、能力次第で、立派なキャリア形成が可能であること、被災地で活躍することが、キャリア形成のための勲章になることを理解してもらうことができれば、医師を被災地に集めることができます。坪倉医師や原澤医師は、若い医師の新しいロールモデルになりつつあります。彼らの活動が伝説になれば、日本の若い医師の行動が変容し、医療は大きく変わります。
 従来の医学部では、臨床の教室であっても、臨床より基礎研究が一段上だとみなされてきました。多くは生物学的手法を用いた研究でした。医療を進歩させるのに研究が重要であることは間違いありませんが、臨床医にとって、目の前の患者に医療を提供することはもっと重要です。さらに、一人の個人が、基礎研究と臨床を両立させることは不可能です。研究上の業績で臨床現場の地位が決められるとすれば、弊害がでてきます。そもそも、二流以下の研究にはほとんど価値がありません。しかも、臨床の教室で、一流の研究成果を出すところは稀なのです。

攻めの医師募集

 2011年9月、私は、亀田総合病院の亀田信介院長と共に、南相馬市を訪問しました。桜井延勝南相馬市長に、南相馬市への医療支援を依頼されました。南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長は、特に、二次救急を充実させたいと述べられました。10月、私は南相馬市立総合病院が、医師30人を一度に募集する『攻めの医師募集案』を提案しました。人数を入れたのは、入院患者100人当たりの常勤医師数を6.7人から、20人にしたいと思っていることを、応募者にも分かってもらうようにするためです。趣意書では、具体的ミッションを明確にしました。

ミッション
1.被災者の健康管理
仮設住宅の住民4500名が、健康を保ち、気持ちよく生活できるよう対応します。地域住民の被曝について、健診と健康相談を行います。
2.高齢化社会のまちづくり
高齢化社会のまちづくりに医療・介護の視点が欠かせません。医師の立場でまちづくりに関わりましょう。
3.南相馬市の医療再建
南相馬市の医療・福祉、具体的には、二次救急、入院診療、介護を再建します。
4.雇用確保
被災地の最大の課題は雇用です。医師が普通に働けば医業収益は年間1億円。1人の医師の活動で、病院に5~6名の直接雇用が生じます。第二次的波及効果もあり、医師として活動するだけで被災地に多くの雇用をもたらします。

 金澤院長は、まず、福島県-福島県立医大の支援を求めて、十分な支援が得られないときに、この計画を実施したいと表明されました。
 『攻めの医師募集案』が目指す価値は、大学で重視されてきた価値とは異なります。社会が最も必要としている医療サービスが何かを認識して、それを上手に提供することが重要なのです。このための組織作りも、医師の責務になります。南相馬市では、臓器ごとの専門家も必要ですが、現時点で、必要度が高いのは、救急医、総合診療医、家庭医だろうと思います。従来の大学医学部では、報われることが少なかった診療科です。
 今後30年間の日本最大の問題は高齢化です。高齢者人口が急速に増加し続ける一方で、若い働き手が減少し続けます。従来の医学部の持っている専門医重視のコンセプトと組織体制では、必要な医療を提供できなくなります。医師のキャリアパス、医局制度なども、社会の要請に従って、変えていかなければなりません。南相馬市は日本の高齢化に伴う医療・介護問題の最先進地域になります。南相馬市の医療から、日本の医療の新しい形が提示されるかもしれません。
 私の友人には、個人として影響力のある尊敬すべき医師がたくさんいます。こうした有名な医師に、プロジェクトの協力医師として、若い医師のキャリア形成の相談役になってもらうことを了承してもらいました。
 亀田隆明氏は、亀田総合病院を経営する医療法人鉄蕉会の理事長であり、日本を代表する病院経営者です。河北総合病院の経営者である河北博文氏は、深い教養と高い理想で日本の病院経営者に大きな影響力を持っています。久住英二氏は、立川で日本最初の駅中クリニックを成功させ、医療へのアクセスに革命をもたらしました。東大の国際保健の渋谷健司氏はランセット(世界最高峰の臨床医学雑誌)の日本特集を編集しました。谷口修一氏は、血液の移植医療の第一人者です。原発労働者の大量被ばく事故に備えて、末梢血幹細胞を採取保存するプロジェクト(谷口プロジェクト)を提唱・推進しています。土屋了介氏は、国立がんセンター病院の院長として、日本のがん医療を主導し、がんセンターの改革を推進しました。寺野彰氏は、学校法人獨協学園理事長、卓越した消化器内科医、弁護士と多彩な顔を持ちます。獨協学園傘下の獨協医科大学は、福島県二本松市に分室を設けて、内部被ばく検査など、被災地支援活動を行っています。常盤峻士氏は、いわき市を中心に医療機関や介護施設を経営しています。震災では強力な指導力で、透析患者の大移送作戦、老健疎開作戦を成功させました。中村祐輔氏は、日本を代表するゲノム研究者で、内閣官房医療イノベーション室長を務めました。野田哲夫氏は日本のがん研究の第一人者です。松本慎一氏は膵島移植の世界的権威です。武藤真祐氏は、震災後、東京から石巻に入り、在宅医療施設を、仮設住宅に隣接したところに新設しました。目黒泰一郎氏は、臨床に主眼を置いた医学部を東北に新設しようとしています。
 医師の研修に関しては、ノウハウを持つ亀田総合病院が協力できます。他にも喜んで協力してくれる病院はあるはずです。
 時代の要請に沿った提案なので、3人集めるより30人、30人より300人集める方が簡単かもしれません。
 この計画を聞いて、首都圏と関東の大学の現役の准教授が2人、現在のポジションを離れて、相双地区で活動してくれることになりました。他に、都内の名門病院の部長も戦列に加わりそうです。原澤医師の個人的働きかけで、1月17日より、大阪の澤病院から精神科の医師と看護師が、南相馬市立総合病院に出向していただけることになりました。
 12月17日、桜井市長は、この計画を進めることを決断しました。
 計画の実施については、懸念があります。計画をスムースに進めるために、敢えて書くことにしました。そもそも、提案から2カ月以上、私から見ると無為に時間が経過しました。亀田総合病院からの出向に関わる南相馬市の事務処理の遅さが、亀田側で話題になりました。事務処理が進められているのかどうかも伝わってきません。南相馬市役所の動きは、普通の社会人から見ると誠実性が疑われるレベルです。本来、南相馬市にとって必要な人材なら、礼を尽くして、市が赴任を望んでいることを、本人に伝わるようにしなければなりません。市役所の職員は、地域社会が崩壊の危機にあること、日本の医師が、自治体病院全般に対し、必ずしもよい印象を持っていないことを自覚すべきです。『攻めの医師募集』でどの程度医師を集められるのか分かりませんが、医師のインセンティブを扱うのに、従来のお役所仕事そのままで対応すれば、到底うまくいくとは思えません。
 私は、桜井市長に、南相馬市立総合病院で採用できる医師数の上限を決め、詳細については、すべて、金澤院長に一任することを求めました。市長はこれに同意しました。市長は、南相馬市役所が復興の障害にならないよう、人事権でも処分権でも使えるものは何でも使って、指導力を発揮しなければなりません。市役所の職員が、市長の方針を合理的理由なしに無視することは、制度上許されることではありません。
 プロジェクトが2月初めにスタートしました。具体的には、南相馬市立総合病院小野田病院が医師を募集いたします。応募される方は、病院と直接交渉してください。南相馬市医療再建会議、協力医師、亀田総合病院は応援団であり、採用事務には一切かかわりません。採用された医師は、希望すれば外部の医師とキャリア形成について相談できます。ただし、キャリア形成は基本的に本人の責任で行われるものです。従来の医局のように職を保証するものではありません。

臨床研修病院

 『攻めの医師募集案』は、最終解決策ではなく、次のステップへの準備です。この地域で継続して質の高い医療を提供するためには、魅力的な臨床研修病院を作らなければなりません。日本で評価されている有名病院の多くは、医師の教育制度を充実させ、自前で医師を育成しています。地方の中規模の病院でも、元気がよいのは、自前で医師を育てている病院だけです。
 福島県立医大もこの際、理念を見直し、医局の在り方を再検討して、上手に協力すれば良いと思います。キーポイントは、医局の排他性をいかにコントロールするかです。参入障壁にならないようにするにはどうすればよいのか、本気で考える必要があります。時代に逆らって旧体制を温存しようとすると、ますます医師は離れます。
 臨床研修病院を作る上での問題は、南相馬市の人口では、高い水準の臨床研修病院を維持することが難しいことです。本格的な病院を支えるためには、相当な人口と資金が必要です。この地域の自治体が協力して病院を集約する必要があります。とりあえず、既存の病院の建物はそのままでも、機能的に統合させる必要があります。臨床研修病院のサイズは、南相馬市、相馬市単独では支えきれません。共同で病院を持つとしても、臨床研修病院としては最小クラスにしかなりません。魅力的な臨床研修病院が作れなければ、この地域の医療サービスは現在よりさらに縮小します。
 原発事故直後に、近隣自治体の個々の住民にどの程度の被ばくがあったのか具体的なデータはありません。しかし、現在の南相馬市立総合病院北側の外部線量は、毎時、0.5マイクロシーベルトと比較的低値です。食品検査の徹底で内部被ばくを防止できれば、今後、健康に問題が生じるような新たな被ばくは生じないと思います。食品検査の徹底は、市役所がその気になれば、難しいことではありません。
 南相馬市の大半は、立ち入りを禁止されているわけではありません。ここに残って地域社会を守ろうとしている人たちがいます。地域外に避難したものの、生活のために、戻らざるをえない人たちがいます。この人たちが生活していくためには、医療サービスの継続的提供は必要不可欠なのです。

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