「いのちの授業~がんを知る」狛江三中第二部後半

投稿者: 川口利 | 投稿日時: 2012年07月09日 20:23

今日は、狛江三中での「いのちの授業~がんを知る」第二部後半についてのご報告です。

前半では、吉野さんが肉腫という希少な「がん」とどのような思いで闘ってきているのかという心情面を中心にインタビューをしました。後半部分では、吉野さんが病気と闘いながらどのような活動に取り組んできているのかをうかがいました。

まずは、ブラインドダンスに関する活動です。2008年5月に放映された日本テレビ系モクスペ感動ドキュメンタリー「5年後、私は生きていますか?」の冒頭部に、第1回全日本ブラインドダンス選手権の様子が少し出てきます。大会が開催されたのは2006年8月27日でした。この大会には、ウリナリ芸能人社交ダンス部のメンバーが目の不自由な方とペアを組んで出場しました。その時にメンバーのお相手となったのが東京都立八王子盲学校の生徒さんだったのです。

ブラインドダンスに関して私がお尋ねしたのは三つでした。

(1)八王子盲学校との出会いについて
(2)ブラインドダンス選手権のための指導をする中で奇跡が起こったようだが、それはどのようなことか
(3)現在ブラインドダンスとはどのような関わりを持っているか

(1)については、既に書いたとおりです。

(2)については、吉野さんから以下のようなお話がありました。

第1回ブラインドダンス選手権に向けて準備を進めている段階で4センチの腫瘍が見つかった。医師はすぐに手術をと言ったのだが、選手権が終わったあとに延期をしていただいた。選手権は成功し、検査を受けたところ腫瘍が消えており、手術を受ける必要がなくなった。毎日40℃以上になるような体育館で指導していたことも関係あるかもしれないのだが、「がん」が消えたということになる。本来は9月15日に手術を受ける予定だったのだが、“幻の手術日”となった。

(3)については

全日本選手権を年2回、関東選手権を年2回開催しており、八王子盲学校へは週に2回指導に行っている。今年で7年目になる。

とのことでした。

盲学校生徒のダンス部は“八盲マルベリーズ”という名称が付けられているようなので、由来をお尋ねしたところ、最初は自分の名前にちなんで“ゆりえーず”というような案が出されたのだが、恥しいので別の名前にしようとした。八王子は桑で有名な土地なので、そこから“マルベリーズ”(mulberries)と名付けた、とのことです。

続いて、将来の患者さんのための活動についてうかがいました。一つは、肉腫を知ってもらう活動、もう一つは、専門診断治療施設の設立活動になります。

肉腫を知ってもらう活動に関しては、次のようなお話がありました。

厚生労働省に何とかしてもらおうと1人で出かけたところ、肉腫というのは確かに難病ではあるが、「がん」の1種なので特定疾患として扱うことはできない。がん対策の中でやっていただきたい言われたのだが、「がん」の中では後回しにされてしまっており、肉腫という言葉さえ知られていなかった。

ブランドダンス選手権でウリナリ芸能人社交ダンス部と活動をともにしたこともあり、日本テレビでドキュメンタリー番組「5年後、私は生きていますか?」を制作・放映してくれ、併せて「いのちのダンス~舞姫の選択」という著書も出版した。新聞や雑誌のインタビューを受けたり、自分で執筆したりもしている。

また、「がん」患者のイベントでダンスを教えたり話をしたりもしているし、今日のように「いのちの授業」をやったり講演会で話をしたりしている。

次に、専門診断治療施設の設立活動について、代表を務められている“日本に「サルコーマセンターを設立する会」”の設立目的、活動内容、成果についてうかがいました。

肉腫(サルコーマ)を専門に診る施設が、例えばアメリカでは「がん」専門病院にはサルコーマセンターというのがあるが、日本には一つもなく、サルコーマを診てもらう施設もなければ専門医もいない状況だった。何とかしなければならないということで、「がん」患者の集会で呼びかけ、3年前の2009年に“日本に「サルコーマセンターを設立する会」”を設立した。半年後にシンポジウムを開催し、その結果、国立がんセンター中央病院(現:国立がん研究センター中央病院)に肉腫(サルコーマ)診療グループが誕生することとなった。

2010年に創立1周年を迎えた際、『肉腫(サルコーマ)ってなぁに?』という漫画冊子を作成し、全国のがん拠点病院に配布した。また、2010年には、アメリカにある世界で一番大きなMDアンダーソンがんセンターのサルコーマセンターを視察した。今年、創立3周年を迎えた。

という内容でした。

最後に、吉野さんの活動を支える思いについてうかがいました。

「救えるいのちを救いたい」
「救えるこころを救いたい」
というのがその思いである。

有効な抗がん剤もない希少な肉腫という「がん」に自分がかかったことは必然だと思っており、患者でもできる患者にしか分からないことがあると思っている。自分には間に合わないかもしれないが自分が始めなければ未来の患者さんにはその恩恵が届かない。今自分がやっていることを使命だと思っている。

「救えるいのちを救いたい」というのは、神ではないので救えないものを救うことはできないが、アメリカでは今救えているいのちを日本で救えないのであればその解決の努力をするということである。

「救えるこころを救いたい」というのは、主にブラインドダンス活動への思いである。

自分が動かなければ変えることができないという信念のもと、様々な活動に取り組んでいらっしゃる吉野さんに敬意を表し、また、その活動が進んでいくよう応援させていただきたいと思っています。

明日は、第三部についてです。

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