ホルモン注射で、あなたの脳も若返る!? |
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投稿者: | 投稿日時: 2012年09月06日 12:00 |
これまでこのブログで食やダイエットについて取り上げてきましたが、それらと並んで誰しも気になる話題の一つが、「老化」ではないでしょうか。老化は太古の昔から永遠のテーマでした。現世で頂点を極めた時の為政者が、来世に思いを馳せつつ、あわよくば不老不死をと願って様々な秘薬を試した話は世界中で数多く聞かれます・・・。
もちろん、そのほとんどが効果がないばかりか、時には砒素など、むしろ体を害する成分を含んでいる場合もありましたが・・・。日本でも近頃は「アンチエイジング」(抗加齢)というカタカナ語が一般にすっかり浸透し、高齢化が進行するにつれますます「若さ」信仰が過熱してきたように思います。
今回は、アンチエイジング医学の流行を担う選択肢でありながら、いまだ議論の分かれるホルモン注射についての論文です。
【 ホルモン注射で、あなたの脳も若返る!? 】
1990年、アンチエイジング医学は、ダニエル・ラドマン博士らによって大躍進を遂げました。博士らは、世界でもっとも権威ある医学誌『The New England Journal of Medicine』上で、「ヒト成長ホルモンを61歳~81歳の健康な男性に投与したところ、身体的な若返りを認めた」と発表したのです。この報告は、「いつまでも若々しくいたい」と願う人々の夢が現実になるような、衝撃的なニュースとして世界を駆け巡りました。その後、アメリカのハリウッドやセレブなどを中心に、高価なヒト成長ホルモンの補充療法が行われるようになっています。ですが、本当に効果があるのでしょうか? 副作用は? 長期的には? など、様々な疑問もあります。
今回は、そんな議論のひとつの鍵になる論文を紹介させて頂きます。
Baker LD et al. Effects of growth hormone-releasing hormone on cognitive function in adults with mild cognitive impairment and healthy older adults: results of a controlled trial. Archives of Neurology 2012; 69(8): 1-10
成長ホルモン放出ホルモン(growth hormone–releasing hormone: GHRH)、成長ホルモン(growth hormone: GH)、インスリン様成長因子(insulin like growth factor 1:IGF-1;「牛乳とがん」参照)など、成長を促進するホルモン※1の仲間は、私たちの脳において重要な役割を担っています。
成長ホルモン放出ホルモンは、視床下部から分泌され、脳下垂体に直接作用して、成長ホルモンの産生・分泌を促進します。成長ホルモンは、脳下垂体から放出され、主に肝臓でのIGF-1産生・分泌を刺激します。IGF-1のレベルが上がると、負のフィードバック※2として、成長ホルモンの産生が低下します。
これらのホルモンは、加齢によって減少し、実行機能や言語記憶の低下と関係付けられています。さらに、アルツハイマー病※3などの原因となることも考えられています。特に、IGF-1の低下は、アルツハイマー病だけではなく、様々な神経変性疾患の原因と考えられています。
以前、加齢に伴うこれらのホルモンの低下に対して、GHやIGF-1の直接投与が施行されましたが、効果が不安定でした。最近は、GHRHを投与して、間接的にGHやIGF-1のレベルを調整する方法が主流となってきました。GHRHの治療は、自然にGHの産生を促進して、正常なIGF-1を介したGHの負のフィードバックを起こします。従って、副作用や過剰投与による影響も最低限になります。現在、米国では、視床下部成長ホルモン欠乏症※4およびHIV関連脂肪異栄養症症候群※5の治療に対して、GHRHを投与が米国食品医薬品局(FDA)によって承認されています。
今回ご紹介する論文は、シアトルのワシントン大学の研究者が、健康な高齢者と軽度の認知機能障害のある成人に対して、GHRHを投与し、その効果を評価したものです。
●設定:
合計152人の成人(平均68歳)を無作為二重盲検※6によって、2つのグループに分けました。78人(そのうち36人が軽度認知機能障害者)がGHRHの投与グループ、74人(そのうち30人が軽度認知機能障害者)が、比較対象のためのプラセボ投与グループです。GHRH投与グループのうち、最後まで治療が完了できた参加者は67人(そのうち31人が軽度認知機能障害者)、プラセボ投与グループでは、最後まで治療が完了できた参加者は70人(そのうち30人が軽度認知機能障害者)でした。
●治療内容:
参加者は毎日、安定化させたヒトGHRHの合成アナログ※7であるテサモレリン(tesamorelin、Theratechnologies社)あるいはプラセボを1日1mg、就寝30分前に、20週間皮下注射します。治療開始後、10週、20週目と休薬後10週すなわち30週目に、血液サンプルを集めます。20週間の治療前後で、参加者は、経口ブドウ糖負荷試験と二重X線吸収測定法※8を施行し、治療による糖の調節と肥満への影響も観察しました。
●効果の評価:
主な認知症に対する評価は、実行機能、言語記憶と視覚的な記憶の3つです。
●結果:
ITT解析(intention to treat analysis)※9の結果、 GHRH合成アナログの投与は、健康な高齢者と軽度認知機能障害のある成人ともに効果がありました。治療を最後まで終了した参加者は、健康な高齢者と軽度認知機能障害のある成人ともに、より効果がありました。
GHRHの合成アナログの投与は、生理的範囲内※10でIGF-1を117%増加させました。また、参加者の7.4%に体脂肪減少を、3.7%に除脂肪体重※11の増加を認めました。GHRHによる治療は、軽度認知機能障害のある参加者の35%に、正常範囲内で空腹時インスリンレベルの増加が認められました(健常人では認められませんでした)。98.7%の参加者が最後まで自己注射を完了できました。有害事象のほとんどは局所的な発赤などの皮膚の反応で、GHRH合成アナログ投与群の68%、プラセボ投与群の36%で報告されました。
今回の結果は、著者たちの以前の研究結果を再現するとともに発展させ、「GHRHの投与が健康な高齢者だけでなく認知低下や認知症の危険性のある成人の認知機能に対して、有益な効果をもたらす」ということを実証しました。今後、被験者を増やし、さらに長期期間の試験を行うことが、GHRHの投与による正常な加齢や“病的な加齢”の治療の可能性を確かめるために必要です。さらに、1注射あたり$50と高価であり、こうした価格の問題もクリアしなければなりません。
以前、このブログで「牛乳とがん」を取り上げた際、「IGF-1は、細胞の成長や分裂の促進、細胞死の抑制に関わるが、IGF-1のレベルの上昇は、異常な細胞増殖、すなわちがん化につながり、膀胱がん、前立腺がん、乳がん、大腸がんの発症リスクとの関与が指摘されている」とお話ししました。私は、アメリカの乳製品で、『no artificial growth hormone』というラベルをよく見かけます。『この牛乳は、牛成長ホルモンは使用していませんよ!』という意味です。私も多くのアメリカ人と同様、こういったラベルを注意して読んで、買い物をするように心がけています。
今回は、IGF-1の減少が脳の老化に関係するという報告でした。老化防止のために、成長ホルモンの注射をして、若返りを目指すという主旨です。
体内ではたくさんのホルモンが微妙なバランスを取りながら、私たちの体と心の健康を維持しています。病気のために、ホルモンが上手く分泌されない場合、ホルモン補充療法は、非常に重要な治療となります。しかし、加齢に伴ってホルモンの分泌が変化するのは、私たち誰もが経験する自然の生理、自然な現象です。それに対して単にホルモンを補充することが、本当にアンチエイジングになるのかどうか、今後もう少し慎重に考える必要があると思います。実際、アメリカでは、成長ホルモンをアンチエイジングの治療に使うことは、大きな議論となっています。FDAも未だ承認していません。食事、運動や環境によっても、ホルモンのバランスを整えることができますから、私は日々の生活でコントロールすることが大切と考えています。何より、安くて安全ですよ!
※1・・・特定の器官の働きを調節するために別の器官で合成・分泌され、血液に乗って体内を循環し、その標的器官で効果を発揮する物質の総称。
※2・・・ホルモンAが多く産生され、その結果として分泌された別のホルモンBが一定レベルに達すると逆にホルモンAの生産を抑制し、ホルモンB自体の分泌が抑制される仕組み。
※3・・・認知機能低下、人格の変化を主な症状とする認知症の一種。
※4・・・視床下部に病変等が認められ、その結果として患者に加齢による老化と非常に共通した症状や病態が認められるもの。
※5・・・HIV感染により、糖・脂質の代謝異常と外見上の脂肪の分布異常が見られるもの。顔や手足の脂肪がそぎ落ちて、おなか周りに内臓脂肪が付く独特の体系となる。動脈硬化の促進による脳血管障害や心疾患発症の危険性も増す。
※6・・・治療効果を確認・証明するために、治療効果のない「プラセボ(偽薬)」を投与する治験方法のひとつで、さらに被験者は被検療法とプラセボいずれかに無作為(ランダム)に割り当てられるもの。被験者にも担当医にも、被検療法とプラセボの区別がつかないよう進められる。
※7・・・構造類縁体。ある物質に性質や構造が類似している別の物質。
※8・・・二種類の異なる波長のX線を全身に照射し、その透過率の差から身体組成を計測する方法。
※9・・・実験・試験の進行に伴い、治療継続できなくなった被験者もすべて含めて解析する手法。
※10・・・人の体内で起こりうる範囲内。正常値の範囲内。
※11・・・全体重のうち、体脂肪を除いた筋肉や骨、内臓などの総量のこと。同じ体重でも除脂肪体重が少ない場合、筋肉量が減っていることを意味し、基礎代謝量も低下してやせにくい状態であると考えられる。
大西睦子(おおにし・むつこ)●ハーバード大学リサーチフェロー。医学博士。東京女子医科大学卒業。国立がんセンター、東京大学を経て2007年4月からボストンにて研究に従事。
(2012年9月9日 原論文について追記しました:堀米)
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