高齢化は悪いことではない 2周目の人生も緩やかに現役で
江崎 でも、現在医師会では「かかりつけ医」を推奨しています。極端な専門医志向と9時-5時勤務を望む医師がこれだけ増えてしまった状況において、1人の患者を1人の医師が24時間365日フォローすることは現実的ではありません。私の実家は無医村なので、昔は遠く離れた診療所の先生1人がすべての医療を担当していました。しかし今ではその実家に住む私の母ですら、眼と膝と胃腸炎で別々の病院のお世話になっています。
梅村 そうですか。
江崎 ただ、現状それぞれの医師は専門分野の治療しかしませんから、3つの病院を回ると山のように薬をもらってきます。先日沢山の薬を飲むのがあまりに苦痛で、しばらく薬を飲むのを止めてみたら、かえって体調が良くなったと言っていました。私が見ても明らかに病院相互の連携はなく、大量の薬が処方されている実態は、医療財政以前の問題です。医師の方でデータを共有すれば、もっと合理的な医療ができるはずです。現在かかりつけ薬局にその役割を担わせようとしているようですが、薬剤師の判断で薬を止めさせることはできず、患者がもう一度3時間待ちして医師に相談するなど全く現実的ではありません。
梅村 急所を突きますね。厚労省は今、地域包括ケアシステムを推進しているのですが、これは古いと思っています。何でも診られる総合医を作って、24時間電話でも繋いで、何人かの家庭医が連携して対応しよう、夜中も順番に対応しようとしているのです。しかし、そこではITを使って情報共有して相互乗り入れしようという話にはあまりなっていません。今はもうカルテはほぼ全部電子化されているのだから、当然お互いに見るべきだと思います。個人情報保護法の規定で言えば、本人の許可があれば可能ですから。
江崎 そうですね。
梅村 お互いにカルテを見合えば、外の眼が入るじゃないですか。
江崎 全くその通りです。その結果、初めてサイエンスとしての医療が始まるのです。
梅村 サイエンスになる?
江崎 現在の医療は、1万年以上にわたる人類と病気との闘いによって得られた経験の積み上げです。その時代時代の最も頭の良い人たちが、試行錯誤を繰り返し少しずつ延ばしてきた鍾乳石みたいなものだと思います。その意味で、医療とは技能(アート)の伝承です。近年になってこれに科学(サイエンス)的な説明が加えられただけで、基本的に技能であることに変わりはありません。実際医療現場では、可能性のある複数の選択肢をトライしてそれでだめなら諦めるというもので、多くの患者を治療しても、医師個人の経験の積み上げによる技量の向上という形でしか活かされていきません。ここに来てようやくがん登録制度が始まりましたが、これまでがんで亡くなった膨大な数の患者に対する治療とその結果に関する情報を蓄積する仕組みもなく、医療界全体で全く活かされてこなかった事実がすべてを物語っていると思います。
梅村 その通りかもしれません。
江崎 医療のIT化とは、単にコンピュータや電子カルテが普及することではありません。医療に正しくITを組み込むことができれば、同時並行的に進む同じような治療の進行状況を複数の医師がシェアできるわけです。あれがダメならこれはどうかといった手探り型の対応ではなく、同時に進行する類似の患者に対する治療結果を比較衡量することで、治療と結果の相関性が高まります。サイエンスの絶対条件は「再現性」です。これまで1人ひとりの医師の技量に頼ってきた医療が、医療関係者が連携することで1つのシステムとして機能すれば、人類は新たなステージの医療を手にすることができると思っています。
梅村 なるほど、そうですよね。似たような話がありまして、僕はこの間、日本酒の杜氏に話を聴いたんですよ。日本酒造りの世界に、大学とかの酵母の技術とか知識とか、ああいうのが入ってきたことで、遥かに良くなったと言っていましたね。