医療サービスにとって医療費とは何か

投稿者: 中村利仁 | 投稿日時: 2006年07月28日 18:43

 サービス業の特徴には、共通して、非貯蔵性、不可逆性などが上げられます。医療サービスも例外ではありません。

 医療サービスは医療者と患者さんとの間で生産されると同時に消費されます。予めヒマなときにサービスを作って貯めておくことはできません。また、一度提供した医療サービスを、患者さんから取り返すことも不可能です。景気循環の元となると言われる不良在庫は、サービス業の世界では存在しえないのです。

 であれば、一国の経済のようにある程度閉鎖された系では、医療に限らず、充分なサービス提供者がいて、サービスを必要とする人がいるのであれば、外部不経済のない限り、これを制限することには経済的合理性がありません。そして、医療サービスに希少資源が移動しても、ほとんど外部不経済は生じないことが予想できます。

 これからしばらくの間、日本の高齢者人口の増加にともなって、医療サービスニーズは増大し続けることが約束されています。つまりは、ニーズの増加に相応して、医療サービスの生産力を増強する必要があるということです。

 では、現時点で、あるいは将来的に必要とされるサービス生産力は充分な状態にあるのでしょうか。

 少なくとも、小児科の夜間・休日外来診療、産婦人科の分娩サービスについては、需給は逼迫した状態にあることが指摘されています。他にも、代替可能性の低下している麻酔、若手の志望者が急減している外科などで、危機的状況が表面化しつつあります。これらの分野では、様々な理由で増大したニーズに対して、充分なサービス生産力のないことが明らかです。

 このままでは、今後、事態は悪化こそすれ、改善することは期待できません。

 しばらくの間、医療サービスを増加させる必要があり、財サービスの取引量の増大に相応した過不足ない貨幣の増刷が必要です。増刷された貨幣は、何らかの方法で、サービス購入を必要とする人々のもとに届けられるよう工夫する必要があります。

 これはつまり、必要な財サービスの取り引き増加と経済規模の拡大を甘受しつつ、貨幣を増やす必要があるということです。増加した貨幣がどのような形で天下を廻るかはわかりませんが、最終的には、医療費が増加するという結果を意味することに他なりません。

 一般の消費財と異なり、医療サービスの供給には一定の公平性が必要であると言われます。公平性を確保しつつも、失業者を吸収し、質の向上と安全の確保に必要な人手を医療サービスに流入させ、一定の経済成長に寄与するためには、医療費を増加させ、拡大した経済に相応しい拡大した貨幣の流通を確保する方策を考えることが必要です。

 日本の医療費問題とは、如何にして医療費を抑制するかではなく、如何にして混乱なく増大させるかというところにあります。

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コメント

なるほど!
むしろ議論すべきは
増大の避けられない医療費を
公費でどこまで賄うべきか、ということになるのでしょうか。

 さすがに公費分全額を日銀に直接支払ってもらうわけにはいかないでしょうが…。

 公費といっても、もとは企業の利潤であり、労働者の所得です。むしろ問題は、これをどう薄めるのか、公正性をどのようにして担保するかでしょう。

なるほどー。
公正さを測る尺度としては
どんなものが一般的なのですか?

 公正の物差しとは、いきなり難しいお話ですね。

 結論から言えば、客観的に数値化できる指標として認められているものはありません、

 以前、経済企画庁が都道府県毎に計算・公表していた新国民生活指標というのがありました。8つの生活活動領域と4つの評価軸によっていたのですが、この4つの評価軸のうちの一つが公正で、「格差の少なさや社会のやさしさ度を表す軸」として定義されていました。

 具体的には家計間の所得格差(ジニ係数)、賃金格差、資産格差が検討されていましたが、負担の公正性を巡る議論は行われませんでした。

 負担の公正性と公平性については、その違いを含めて、公共経済学の中で広範な議論が行われてきていますが、公正性については負担能力が同じものは同じ支払いをという共通項はあるものの、具体的に政策化できるような共通認識が成立しているとは必ずしも言えない状況のようです。

素人の怖さで
無邪気に難しい質問してしまいまして
申し訳ありません。。。

でも
客観的に認められている数値がないということは
何が公正なのかに関しては
我々が議論して構わないことになりますね。

その辺り、ご指導よろしくお願い申し上げます。

 この負担の公正性の問題は、残念ながら学者が指導できるようなものではありません。価値判断であるということから、選れて政治的な問題であり、選良を通して国民自身が試行錯誤していくべきものです。

 学者が関与できるとしたら、問題がそこに存在し、解決には価値判断が必要であると指摘するところまで、です。

…おあとがよろしいようで。