日本茶のカラクリ

投稿者: 川口恭 | 投稿日時: 2006年08月18日 22:04

実は、ロハスメディア、日本茶のプロモーションをしてたりもする
もうすぐ企画商品も出てくる。
なぜそんなことをしているか問われれば、ご縁としか答えようがない。


2年前、独立を控えて年休を消化していたころ
創立披露パーティーの引き出物にロハスな良いものないかしら、と
エコグッズ展を覗きに行ったら、偶然農家の方々と会った
それがきっかけだ。

農家の方々は
無農薬・無化学肥料を前面に押し出してプロモーションしていた。
でも、思ったほどは売れないという。


話を聴いてみて、漠然と何か別の切り口があるような気がした。


今と違って当時はヒマだったので
静岡の国の茶業試験場まで取材に行ったり
図書館に通ったりして
お茶をどうやったら「ロハス」チックに語れるものか
随分悩み、勉強もした。


だんだん見えてきたものがあった。
なんだ、この業界、不合理だらけじゃん!


不合理の最たるものが
畑のほとんどを
「やぶきた」という同一品種(クローン)が占めていることだった。
これは茶摘み作業を機械化した時に
畑の木が同じ時に同じくらい伸びないと具合が悪いということで
それまでの実生栽培から挿し木栽培へ移行した名残だ。
そして、それが様々な問題を引き起こしていた。
大きなものは以下の二つ。


問題1)「やぶきた」は病気に弱い。
      → 周囲の畑に迷惑をかけないために、
        農家の人は農薬を過剰にまきがちである。
農村の行動原理は、駆け出しの記者時代に驚かされたものだ。
自分の畑が全滅するのは構わないが
他人の畑に虫や病気が飛び火したら、もはやムラには居られない。
ムラが全部同じ木のとき、いったい何が起きるか。


問題2)一斉に芽吹き
    かつ摘んだ後は粗茶にするまで保存が効かないので
    年間を通して見たとき、作業量に極端な山と谷がある。
     → 労働力も工場も
       ありとあらゆるものがピークを基準に存在し
       過剰労働力・過剰設備である。つまり生産性が低い。


これをスマートに解決したら、ロハスといって差し支えないだろう。
で、ひねくり出したアイデアが「ロハス・セレクション」だ。


第一のキモは多品種化にある。
・単一品種の畑は虫や病気に極端に弱い。
 多品種にすればリスクヘッジできる。
・芽吹きのピークが分散すれば、作業も分散・平準化される。


もっとも、ここまでは我々のアイデアではない。
国の茶業試験場の方々が
上記のようなことを考えて様々な優れた品種を開発していたのだ。


しかし残念なことに、農家にはまったく浸透していなかった。
お茶の流通が「やぶきた」を基準に成り立っているため
他の品種は「変な味」と買い叩かれるためだった。


ならば、どうする?


そこで第二のキモである。
茶葉に種類があることを消費者へ浸透させれば
「変な味」と言われなくなるはず。
実際、もとから違うものと知って味わうと
後続の茶葉だって十分おいしい。
フレーバーの違いを味わうのは、他の嗜好品なら常識だし
何より話が弾んで楽しいはずだ。


そして、こういう売り方をできるのは、実は有機栽培茶だけなのだ。
有機である時点で、通常の流通には乗っけてもらえないし
リスクヘッジの必要もあるから
皆さん、既に複数品種栽培に舵を切っていた。


こういう発想になると、あとは茶葉の種類を増やすことが大事だ。
と思って、もう一軒大きな農家に参加していただき
三重は尾鷲の桐箱に詰めて、なかなか魅力的な商品が企画できた。


そして、昨年はこの商品を名刺代わりに持って歩いた。
皆さんとても喜んでくれた。
ロハス・メディカル創刊の陰の立役者だったと思っている。
ちなみに
ロハス・メディカルのラックが桐でできている理由もこのご縁にある。


ということで、ロハス・セレクションも今年で2年目。
そろそろ他のメディアもこの状況に気づいて便乗しないかなあ。

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コメント

面白い!このウンチク、講演テーマに値するように思います・・

真木様
ありがとうございます。
実は、このウンチクは
創立記念パーティーの方々の引き出物にも
印刷物として付けたので
どこかの雑誌がパクッてくれるのでは、と思いましたが
今のところ反応なしです。

この話を突き詰めていくと
ペットボトルのお茶が本当に大丈夫なのか
心配になるので
商業誌は採り上げづらいのかもしれません。

農村の行動原理、、、
>自分の畑が全滅するのは構わないが
>他人の畑に虫や病気が飛び火したら、もはやムラには居られない。
さきがけない、遅れない。
ひとつ抜けた存在をあまり良しとしない。
うちも農家ですが、20年位前に祖母に聞いたときは訳がわからなかったです。
でも、なぜか2年ほど前に、「そういう気持ちでやってきたんだね」と、心情的にはすっと腑に落ちた記憶があります。
これからどうするか、日々模索ですが。

>みやっち様
良い悪いでなく
そういうものだという現状把握からスタートしないと
何をやっても空論になりますよね。